見出し画像

事前の判断が適切であったかを検証するということ

事前の判断が適切であったかを検証する際、一般に最も重視されるのは「その判断の結果実際に何が起こったか」ということだが、これは適切か。結果は知りようがないから「事前」なのであって、結果だけに基づいて遡って事前の判断を断罪、評価するのは後知恵に過ぎない。

本来は結果が未定の段階でなお利用し得た情報を見落としていた、適切に評価できていなかった、といったあくまで「事前の瑕疵」を、結果情報を手がかりに新たに発見し得たときのみ、事前の判断の適否を問い直すことができるのではないか。そうでなければいつまで経っても「次回に活かせる」実効性のある反省はなし得ない。

そういう意味で、オリンピック開催の結果感染状況が悪化しようとしまいと、それをそのまま事前の判断の評価に直結させるのは不適切だと思う。

エンゼルスの大谷は凡打に終わった打席でも「良いスイングができていた」などと省みることが多々あるが、あれはまさにそういう考え方だと思う。

もちろん凡打続きだとレギュラーを外されたり減俸されたり解雇されたりするわけであり、あらゆる事前判断には立場に応じた責任が伴うことは言うまでもない。しかしそれと、結果情報に基づいた原因探索、事前判断の評価はまた別の問題である。

もっとも、システムのメカニズムが全くわからない時には誤差情報に基づいてやみくもにパラメータを少しずつ変えていくフィードバック学習を行うしかやりようが無いのだが、本当に全くわからないわけじゃないですよね、いつまでもそれでいいんですか、という話だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?