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Vega Long Neck Banjo 第1回

今回、バンジョーについての話はGibson系ではなくVega(しかもLong Neck)ですが、その前にVega Banjoについて少しおさらいをしておきましょう。

1875年 ボストンの北東部、19世紀は産業地区だったチェルシーでアルバート・コナント・フェアバンクス氏がA.C.Fairbanks Banjo社を創業しバンジョーを作り始めました。
時代的には日本では明治8年で、新島襄が同志社を開校し、ロシアではチャイコフスキーがピアノ協奏曲第1番を初演したのが此の年です。
1880年にはウイリアム・コール氏が共同経営者として参加しFairbanks And Coleとなりましたが1890年にはCole氏が抜け元の社名に戻っています。1890年から1896年にかけて現在はWhyte Ladieと呼ばれているトーンリング(当時はElectricという名称でした)を発明し、当時の標準以上の画期的な大音量の楽器だったそうです。

1896年、創業者のアルバート・コナント・フェアバンクス氏は事業を売却し自身はバンジョーの胴体リムを製作する技術を活用して自転車のリムを製造する仕事へ転じています。しかし、後にBacon And Day社で名を馳せるデビッド・デイ氏がマネージャーとして参加し、バンジョーの事業は順調に伸びていました。

ところが1904年に工場が火災に遭い、一転して多額の債務を抱える事態に陥ってしまったのです。そこへ救いの手を差し伸べたのが、1889年(別の記録では1881年)にやはりボストンで創業し各種の楽器を製造販売していたVega社でした。その後は「Fairbanks by Vega」として戦前のバンジョー界では4弦、5弦ともに高い人気を得ていました。

1875年 A.C.Farbanks  創業
1880年 Fairbanks & Cole に変更
1890年 A.C.Farbanks  に戻る
1904年 Fairbanks by Vega として再スタート

なんでVegaじゃないの?
という強気のコピー・・・笑笑
Tu-Ba-Phoneのカタログ


第二次世界大戦後、ビル・モンローが画期的なブルーグラス・ミュージックを発表してグランドオールオープリーのラジオ放送とも相まって全米的に盛んになりバンジョーの人気は名手アール・スクラッグスが3本指で華麗に弾いたGibson社のMastertoneに押されてしまいますが、Vegaも巻返しを図ってScruggs ModelやOsborne Modelなどを発表します。しかし思った殆どの人気は得られず、唯一フォーク・シンガーのピート・シーガー仕様で作られたロングネックだけがキングストントリオやライムライターズなどの人気によって販売数が伸び、かろうじて会社の維持が保てるような状況でした。当時のカタログによるとScruggs ModelよりもLong Neck Xcel Customの方が高価だたんですね・・・

1960年代の360ドル、物価などを勘案すると現在の650,000円程度だと考えられます。

1963年のVega社カタログ その1
その2

Pete Seegerの個人的な声の高さに合わせただけの、3フレット長いネックのバンジョーは、実に使いにくい(製造する方も使う方も取り回しが面倒な)楽器で、3カポ以下のポジションで使うことは稀であり、殆どモダンフォーク系のバンドのカバーバンド以外で使われることは無いように思いますが、さて、最初にロングネックを使ったのは本当にSeeger氏だったのでしょうか? 続きは次回に・・・


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