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『太平洋序曲』観劇の前と後。(3/18、20、28追記)

2023年3月は、多くのミュージカル作品が開幕。どの作品も気になるところですが、私の今年最初のミュージカル観劇は、『太平洋序曲』となりました。数ある作品の中から選んだ理由は、応援している俳優の出演、日生劇場での上演(クリエと日生はアクセスや劇場規模が個人的に好き)、そして、フライヤーの言葉「時代の変わり目を日本人はどう生き抜いたのか」でした。

『クロネコチャンネル』での作品解説を見たことを除き、作品の詳細は調べていません。ただし、開幕前の上演時間をめぐる公式の説明で、この作品には様々なバージョンがあることを知りました。

【観劇の前】
未知の作品へのワクワク感と、初ソンドハイムへの不安が入り混じっていました。ソンドハイム氏の楽曲は、難曲が多く、海外の俳優たちのインタビューでも、自分の歌っている音が合っているのか迷子になるくらい難しい、というのを聞いたことがありました。

しかし、開幕初日の翌日、テレビの生放送で、海宝さんとウエンツさんが『太平洋序曲』から楽曲を披露。その際、舞台映像も紹介され、お二人のパフォーマンスに心を立て直せました。ソンドハイム氏の楽曲を最高のキャストで聴けるのだ、と。

【観劇の後】
以下、内容に触れていますので、ネタバレしたくない方はご注意ください。

日生劇場 外看板

舞台は、緞帳が無くセットが見えていました。全体に木目調と渋い金箔の色合い、上手寄りにお社のような建物の模型、下手寄りに板をしならせたような半月状のオブジェ、装束、人形浄瑠璃に出てきそうな一体の人形と中央には大きな円をバックにした階段状のセット。断片的に日本を表現している不思議な世界観。海外から見た日本、不思議な国日本。日本人から見ても、掴みどころが無い摩訶不思議な国と思わせるような。

印象的だったのは、全編通して観客側も照明が明るめで、舞台と観客の境目がぼんやりしていたこと。舞台を観ているのに、どっぷりとその世界に浸かる感じではなく、狂言回しによって、いろいろと案内されながら物語の展開を眺める。まさに、ギャラリーに展示された品々について、エピソードを聞きながら巡るような感じ。

舞台の最初は、狂言回し以外のキャストが、現代人の設定でしたが、その後演じる役柄とリンクする振る舞いが見られました。例えば、将軍演じる朝海さんと香山演じる海宝さんの二人。華やかな女性と、それに付き従う感じの男性。女性が、装束の前で将軍様のポーズをとっておどけて見せるのも、印象的。ひとつ、分からなかったのは、万次郎演じるウエンツさんのウェイター。ウェイターと万次郎、その意味は。また、綿引さん演じるたまては、現代人ではなく登場。たまての歌声で、一気に時代が遡る瞬間が好きでした。

今回、2公演を観劇しましたが、どちらも下手側で、観え方に偏りがありました。上手側からも観たかった。それくらい、場面により上手と下手で繰り広げられる芝居が分かれていました。

では、公演日別キャストの感想を。

2023/3/11ソワレ

狂言回しは、台詞の情報量が多く、初見では聞き逃すまい!と喰らい付くように観ていました。物語のウチとソトを行き来する自由な立ち位置。松下さんの狂言回しは、軽やかで人を煙に巻く感じの粋な人物像、と感じました。

万次郎は、限られた登場場面で長い人生を演じる難しい存在だと感じました。ウエンツさんのTVでの印象と、万次郎のチャーミングなキャラクター(香山との交流、主に中盤くらいまで)が重なり、海宝さん香山との組み合わせでは、コミカルな場面も息がピッタリで、相棒感がよく出ていました。

そして、香山。登場時は、たまてと二人、静かで穏やかであったのに、物語が進むにつれ、あまりにも辛かった。(穏やかな二人を上手側からじっくり観たかった。登場してしばらく、香山とたまては上手側で仲良く釣りをしています)香山が、たまてを亡くしてから、西洋化の波にのり、自身の生き方も変化を遂げていく様、♪ボウラーハットは、見事。この作品では、1曲の中で同じ旋律が繰り返されることが多くありましたが、単調になることなく、その音楽が作品の推進力となっていました。特に、香山の変化(生活洋式、思想や宗教、そして奥様も、、、)は、亡きたまての寂しそうな表情と佇まいが重なり、切ない場面。♪ボウラーハットでは、和装から洋装、帽子や眼鏡、懐中時計、ロザリオといった身につける小物に至るまで音楽に合わせて、海宝さんがが早替わりしながら歌い演じる姿に、魅入りました。他にも、洋書、インクとペン、ティーセットが出てきたり、今まで香山が触れてこなかったあらゆるものが登場し、1曲に詰め込まれていました。印象的だったのは、最後の歌詞が英語で歌われるところ。香山の西洋化が行き着いたことを表しているようでした。この場面では、下手側に香山、上手側に万次郎がいて、互いが変化する時の流れを対比。万次郎は、香山とは正反対に武士として生きていく姿が表現されていました。(着物を身につけて、剣術を習い、座禅を組んだり)歌唱は香山のみ。

観劇後から、たまてが死を選んだ理由について、ぐるぐると考えていました。香山がどれくらい長く便りを出せなかったのかわからないのですが、香山が戻らないことを悟り、後を追ったのか。(他に道はない、と二人で歌っていたことからも)はたまた、香山が不在の間に、たまての身に酷いことが起こったのか。(最期の姿があまりにも妖艶で鮮烈)武士の妻としてのたまての死の場面は、とても衝撃を受けました。海宝さんの嘆き悲しむ演技には、どんな役柄でも毎回心をえぐられます。香山が、深い喪失感を埋めるように西洋文化を受け入れていったことが、最終的には万次郎との対決に繋がり、、、。万次郎に斬られた後、たまてが穏やかな微笑みで香山を見つめる表情が、何とも言えず、香山も「やっと帰って来たよ」というような雰囲気をその背中で醸し出していました。

また、心がざわつく場面もありました。3人の水平と少女の場面は、まさに。心がざわざわしながら、フライヤーのあの言葉、結局、日本人はどう生き抜いたのか、頭を巡ります。

2023/3/12 マチネ梅芸貸切

そして、2回目。海宝さん香山は固定で、もうひとりの狂言回し山本さん、万次郎の立石さん。やはり、同じ作品でもキャストが変わると印象も変わりました。

山本さんの狂言回しは、まるで講談師で、扇子捌きが様になっていました。立石さんの万次郎は、しなやかで美しかった。ペリーの船に香山と共に立ち向かう場面では、急誂えのコミカルな姿なのに、美しくて、そこがまたギャップとなって笑いが起こりました。海宝さん香山とは、兄弟のような感じ。それなのに、最後には香山を斬る側になる。斬った後、刀を払う姿に物哀しい美しさがありました。

最後の楽曲♪ネクストに至るところだったか、狂言回しの台詞「無いなら真似ればいい」という言葉が、日本人が生き延びた術だったのかな、と思わせました。列強が次々とやって来て、なす術無くサインしてしまう将軍の姿は、滑稽に描かれていました。将軍は、「外つ国(とつくに)が持つ力の秘密は何なのか」、と言っていました。そして、その秘密は、真似ることによって得られた。西洋文化を日本流にアレンジして、生活している今。

今に至るまでの先人たちについて考え出すと、どこまでも広がり、収拾がつかなくなりそうです。

長くなりましたが、最後に、可知寛子さんの老中は忘れられない観劇体験になりました。早替わりにも、声が変幻自在なのにも驚きっぱなし。また、日生劇場という特別な空間に、キャスト全員のエネルギーが満ちていました。さらに、全編通して、前田文子さんの衣装がキャラクターを引き立てていて、素敵でした。

独特な世界観、ふと口ずさんでいるメロディー、これがソンドハイム氏の世界か、と感じています。

(3/18追記)
たまて演じる綿引さやかさんのインスタライブで、『太平洋序曲』の貴重なお話を聞き、「なるほど!」と思うところがいろいろありました。(綿引さん、公演期間中にお話くださって、ありがとうございます)

個人的メモとして、3つ。
①たまては、作品の中で日本の行末を見守る存在、また西洋化が進んでも変わらない日本の姿を象徴する存在。(だから、たまては現代の場面でも一貫してたまてとして存在していたのですね)

②最初と最後に歌う長歌は、当初尺八で演奏するか、そもそも楽曲を使用するかも決まっていなかった。(たまてが歌う今の演出が好き。時代が一気に動くのを感じられるから)

③帝人形は、少女役の井上花菜さんが動かしていた!!本来なら、3人で操作する文楽人形。それを初めてのことなのに、あれほど生き生きと操る花菜さん、すごい!!本職の方との稽古や、少女と万次郎との関係設定(観た方にふんわりと伝わるといいな、と)も花菜さんからお話くださって。また、帝の成長過程が人形の姿(幼い時は座っていて、成長してから立っている)と、人形の動きで表現されている話も。最後に明治天皇を人間が演じるのも、演出の意図が深くて、その流れだけでももう一度見直したくなる!しみじみ、キャストの皆様ひとりひとりの役割が半端ない作品だと思いました。

このお話の後、観劇できる方が羨ましいです。観るポイントがたくさんあって、まだまだ発見したくなります。

(おまけ)香山とたまての釣りの場面では、毎回二人で役として違う話をしているそう。香山も、海宝さんと廣瀬さんでキャラクターも異なるので、毎回新鮮な感覚で釣りをしている。

(3/20追記)
個人的メモ追記。
♪ボウラーハットの最後に歌われている英語歌詞、「lt’s called a cutaway 」
香山が西洋の様々なものに触れていくこの場面では、spectacles(眼鏡)やpocket watch(懐中時計)等出てくる中、最後のcutaway(モーニングコート)、確か香山が完璧な西洋スタイルの正装をして場面が終わる演出でした。ここの万次郎との対比が、とても印象深かったです。

(3/28追記)
海宝さんご出演回の東京千穐楽。あらためて、思い出したり、心に引っかかっていたこと追記します。

舞台最後の♪ネクストについて、今思い出しても、こそばゆい感覚が残っていました。海外の人々から見ると、この作品が生まれた1970年代の日本はこんな感じに映ったのか、と思いながら、今の日本はこういう勢いは無いし、何だか気恥ずかしい感じがしました。子どもの頃よく流れていた「武富士」のCMを見ているみたい、というか。(その場面だけ見るとそう感じた、個人的感想)今と当時では、世界の情勢も異なる中、この作品が現在の日本で上演されていることが、すごい挑戦。好みが別れる作品だということも含めて、問題提起されているのかな、としみじみ。時間を置いてもう一度観劇できたらよかったのですが。

それから、カーテンコールでの一コマも。私の観劇した回で、朝海さん将軍と海宝さん香山が微笑ましかったこと。

3/11ソワレでは、最後のハケで、下手側の朝海さんが海宝さんを舞台に押し出して、海宝さんがひとり舞台上で「どうしよ」という感じの困り笑顔でお辞儀。

一方、3/12マチネでは、海宝さんが朝海さんより先に、下手袖へさっとハケたので、朝海さんが「やられたー!」的な表情で、前日のようにはいかなかった、というオチ。表情豊かなお二人のやり取りがかわいらしかったです。

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