コロナ禍で得たもの。

「心つづれおり」と題を付けて、連日noteに投稿してきました。あ、今日からは投稿テーマがないのか、と思いつつも、ふと書きたくなり・・・。

今までは、コロナ禍で失ったものに気持ちが引っ張られがちでしたが、今日からは得たものにも意識を向けようと思います。

こんな風に思ったのは、昨晩のTV中継で京都五山送り火を見て。今年は中止も考えられた中、規模を縮小し開催されたそうです。「大」の文字は、文字の端5箇所と中心部の1箇所のみに火が灯り、例年のように文字としては描かれませんでした。その光景に対し、番組にゲスト出演した磯田道史さんが、送り火の本来の意味(宗教的な行事であること)に気づかされた、というコメントをされました。あぁ確かに。力強く灯った6つの点は、夜空の星にも見え、厳かで心静まる光景でした。昔の人々は、こうしてご先祖様を送っていたのだろうな、と。いつも通りにできなかったことから、物事の本質に気づくという出来事でした。

失って気づく。これを何度体験したでしょうか。コロナ禍にある現在、私はこの繰り返しで日常を過ごしていると言ってもいいくらいです。そして、少しでもより良い毎日にしたくて、新しいことに目を向ける機会が増えました。

私にとってその最たることは、デジタルな事柄へのチャレンジ。好きなことを充実させるためという理由が原動力になって、ここ3か月程でようやく慣れてきました。

チャレンジ① スマホに慣れること。実は、スマホを持ってまだ1年経っていません。学生の頃からずっと、ガラケーに愛着があり、電話とちょっとしたメールができればOKでした。しかし昨年秋に発売されたiPhone11にときめいて、スマホデビュー。

チャレンジ② ネットの世界にアクセスすること。今までは、連絡や買い物の手段としてのみネットを利用していました。それ以外の未知の世界は恐くて触れられなかった。しかし、noteをきっかけに自ら発信することへ少し抵抗が和らぎました。

チャレンジ③ 配信観劇、配信ライブ、配信番組、気になるものは見ること。これは、スマホにして本当に良かったと思うことで、様々なコンテンツに触れる機会が格段に増えました。思うように繋がらなくて、ハラハラしたりもしましたが、自宅のネット環境やTV周りの環境を整えて、ようやく楽しめるようになってきています。

以前の私なら、「自分は超アナログ人間だから、配信や双方向のコンテンツには縁がない」と思っていました。しかし、コロナ禍ではそうも言っていられなくなりました。頑固な自分を少しずつ解きほぐす時が来た、という感じです。

コロナ禍で得たもの。それは、自分の知らない世界に関わってみる気持ちになれたことです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?