見出し画像

[オランダで育児]日本の教育

日本では子どもたちの間で風邪が流行っているようですね、皆さんもお気をつけください、さやです。

先日はオランダの学校のシステムについて記事にしました。
一般的な学校はシエナプランが取り入れられていて、2学年同じクラス、自分ができると自信を持ってから次の学年(グループ)に進むというもの。

今日はそんなオランダの学校と日本の学校の違いについて記事にしようと思います。

私の娘はまだ5歳なので学校には通っていますが、まだGroep1/2の幼稚園クラス。お勉強らしいお勉強はまだ始まっていません。
今は集団行動や簡単な作業、自分でやることを決めて行動するというのを学んでいる最中です。

私は日本の学校で小中高を過ごし、それ以降は海外の学校で学びましたが、とにかくベースは日本。私の旦那さんは生まれてからずっとオランダ。海外留学もしていない、生粋のオランダ教育修了者です

夫婦でお互いの学生時代の話をしたりしますが、やはり違いには戸惑います。
日本の学校のいいところ、悪いところが浮かんできます。
ただ全体的に言えば日本も教育は丁寧で本当に幅広く色んな分野を網羅しているというところ。

自分が学生の時は1時間目はあれ、2時間目はこれ、3時間目はそれ、という感じでやりたくもないことをやらさせられてる感がありましたが。
今思えば、やりたくなくてもやらなきゃいけなくて(義務教育だから)、だけどそれは全部無料でさせてもらえた(義務教育だから)っていうのは本当にすごいことなんだなと感じています。

もちろん国数英理社(歴史)は大体どこの国でも習うわけで、旦那さんとも歴史は好きだったけど数学は嫌いだったなぁなんて話の共通点があります。
ただ私からすると小学校からカリキュラムにあった体育、保健、道徳、音楽、図工、家庭科がないことにびっくり!
体育や音楽は好き嫌いや得意不得意がある教科ですが、みんなで跳び箱を飛んだり、大縄跳びをしたり、登り棒を上ったり、ラジオ体操やマット運動、リコーダーを吹いたり、楽譜を読む練習をしたり、ボタンを縫い付けたり、調理室があってお料理したり、アイロン掛けやミシンがけを習う、彫刻刀や絵の具、書道をしたり、ノコギリトンカチの使い方を覚えたり....挙げたらキリがないですが、こういうことって少なくともオランダの学校では科目として習わないんです。(おうちで覚えたり、習い事として覚える)

男の子でも女の子でも誰でもみんな受ける授業(今は性別で分けるようなことはないですが)、うちの父の年代ですら家庭科の授業はあったり、実はすごく革新的な教育を義務教育の範囲でしてるってすごいことなんですよね。(少なくとも戦後、60年以上は今のベースとなる授業形態ができあがってきていた)
ちなみになぜうちの父を例にあげたかと言うと、父のおばあちゃん(私のひいおばあちゃん)は“家庭科”という授業は納得ができず学校に怒鳴りこみに行ったそうですが(男が台所に立つなんて!と言って)

なんとなくでも金槌を使えたり、音程に合わせて歌を歌ったり、ボタンをつけ直せたりって、どこかで習わなければ急にはできないことですよね。
跳び箱が飛べるのも一輪車が乗れるのも、実はすごいことなんだ!と気付かされました。
あとは給食当番があったり、登校班があって上級生が下級生の面倒をみたり、前ならえってして列を整えて順番を待ったり、お掃除当番で教室やおトイレを掃除したり、雑巾を絞ったり、家でももちろん教えてもらえることだけど、学校という集団生活の中で学ぶって大切だったなぁと思えます。

ただ残念なのはこれが義務教育の学校という組織の中で「やらされた」と感じてしまっているということ、少なくともその当時は。
やりたくないけど音楽の授業、体育の授業、掃除の時間、調理実習の時間、というふうに自分主体ではなく学校が主体、もちろんカリキュラムですからやらなきゃいけないし、そこに評価がついてくるのです。
包丁の使い方や泡立て器で混ぜ混ぜしたり、アイロンの使い方を学ぶのはいいことだし、将来のためになるのに、そこに評価が発生するから子どものやる気を上げる可能性にもなるけど、下げる可能性の方が高いと思うのです。
だって上手にできなければ評価は下がるし、評価を上げるためだけに頑張るのです。

「あの子はできるけど、私はできない」
と今言われてる自己肯定感にも繋がります。

大人になれば包丁で冷蔵庫の中にあるものをチャチャっと切って、炒めて自分が美味しいと思える料理ができれば合格なのに、綺麗にいちょう切りができてなければマイナス点。
ランニングをすることは健康にいいことなのに、学生時代に競争させられて辛いと位置付けられた経験が、大人になって「ランニングしたい!」って気持ちにならなかったり。
まさに私はランニングは楽しい!というより、辛い体育の授業、地獄のマラソン大会という位置付けで、今もやりたいとは思えません。

いろんなことを学校という場所でさせてもらえたことには感謝だし、今の私があるし、今の日本の多くのところで社会の秩序が守られていること(清潔さや公共の場での振る舞い方、順番やルールを守るということ)や日本全体でみんな同じような経験をしてきたことで、大きく言えば国全体の、国民全体のレベルに差がないと言うよい結果をもたらしてると思います。

だけど学校のように評価が付き纏っていたところでしていたことや、できていた事を、評価なんて関係ないところ(一般社会に出て)でしたいのかと問われると「したくない」だったり「意味を感じられない」と言ってやる気が起こらなくなってしまうのはそれは悲しいなぁと思います。

数年前にこのビデオを観てしっくりきたんです。
フィンランドの校長先生と日本の校長先生のどちらの言ってることもわかるのです。
でももし私が学校を選べるならフィンランドの学校に行きたかったなぁと思いました


でも、それでも私は高校生まで日本の教育を受けれて良かったなぁと総評的に思います。
英語教育がどうこう、とかではなく学校で上級生の役割とかお掃除や行事を通じて道徳的なこととかそのほか幅広くいろんなことを学べて、後の人生に行かせているところです。(ボタンつけできるようになっててよかったーとか機械を直すのにハンダゴテを旦那よりも上手に使えこなせた的な)

どの国の教育もいいところと悪いところがある。オランダの教育は自由なところが多いけれど、結局主体性や興味が本人に沸かなければがなければ何も先に学べない。

私は自分自身はが日本とカナダとオランダで教育を受けてきて比べることができてよかったなぁと思います。
もしチャンスがあるのならば、いろんな国のいろんな教育方法を知れたら、自分にピッタリの教育方法で学べて後の人生を楽しく過ごせるんだろうなぁと思いました。
私は娘はとりあえずオランダの学校にいますが、日本の学校も体験させてあげたいと思っています。(それが彼女の中にある“日本人”を育てると思うし)
もう少し大きくなったら、私がカナダの学校に行ったことを教えてあげたいと思います。

世界は広いから!


それでは、また!Doei!
明日またフライトにでるので記事は書けるかなーどうかなーです

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?