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アプリケーション

高校に入学したとき、すでに殆どの同級生が携帯電話を持っていた。メールをしたり写メを撮ったり、みんなケータイを活用して学生生活をおくっていた。

3年生になる頃には、スマートホンが普及し始め、複数人が集まって同じアプリゲームで遊ぶという文化ができ始めた。

一方で、同級生の「たけにゃん」は、いつも自分のちんちんを触っていた。具体的には、玉袋の皮をぐいっと伸ばして陰茎部を包み込み、大きな肉の球をつくって遊んでいた。たけにゃんのちんちん遊びについて、我々は「衛生的にも倫理的にも良くないからやめなさい」とたびたび咎めていた。

ある日、いつものようにちんちんを触っていたたけにゃんを、これまたいつものように我々が注意していた。しかし、たけにゃんはいつもと違った。

たけにゃんはぐわっと目を剥き、我々を見回して「みんなケータイのアプリで遊んでいるだろう。おれにとっては、これがアプリなんだ。」と股間に大きな肉の球をつくって誇らしげに見せつけてきた。

その日を境に、我々はたけにゃんのちんちんをアプリと呼ぶことにした。我々はアプリに魅了され、事あるごとにたけにゃんへアプリをせがんだ。アプリは我々をとても楽しませてくれた。

しかし、アプリとの別れは突如として訪れた。

我々は気づいてしまったのである。「アプリってなんなんだ?」と。「ちんちんはパンツに仕舞って、早くズボンを履きなさい」と。

熱病に浮かされたような妙な熱気をはらみ、ゆらゆらと蜃気楼を纏った我々とアプリの数ヶ月間。短い期間だったが、とても有意義な時間だった。きっと、我々とアプリの日々は消えない。我々は、この青春を生涯忘れないだろう。

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