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noteにクリエイターと呼ばれる違和感

noteは、自分のような書き手、投稿者のことをクリエイターと呼ぶ。

noteは、文章、写真、音楽、漫画、図解、動画など、クリエイターが気軽に創作ができるプラットフォームです。

創作なんて言えるほどのことをしていない

note公式が、自分のことをクリエイターと呼んでくることに対して、どうも違和感があった。

noteは、自分の考えや思い出を整理するために使っているだけで、創作なんて言えるほどのことをしていない。アクセス数が多かったり、「スキ」をもらえたりすると嬉しいが、それはただの趣味の延長である。人からクリエイターと呼ばれるに値するほどの内容を書けている自信はない。

noteは、自分のような一般人には向いていないプラットフォームなのだろうか?

だれも創作をしていない、編集をしている

そんなモヤモヤを抱えながら記事を書いていたのだけれど、先日読んだ任天堂・宮本茂氏のロングインタビューの中に、答えを見つけた気がした。

「クリエイターとかクリエイションというのはおこがましい」と。そう呼べるのは神様だけ。誰もクリエイションなんてしていない。みんなエディットをしてるんだと。「それはいいなあ」と思って。だから、僕もエディターなんですよね。

なるほど、これですっきりした。

“編集”を突き詰めることで独創性が生まれる

自分のことを振り返っても、いわゆる「ゼロからイチをつくった」と言える経験をまともに積んできた自信がない。新しいものを発明したことはなく、これまで作ってきたものは、過去に触れたものの焼き直しであったり、過去の知識や経験の組み合わせで成り立っている。

でも、それでいいのかもしれない。

自分の経験をどのように編集するのかが個性であり、それを突き詰めることで独創性が生まれるのではないだろうか。

これからも、自分が大切にする価値観に沿って、自分のやり方で「編集」をしていこう、と思う。

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