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一寸先の幻想

少し、高校時代の登校中のルーティンを思い出した。今日はそのことについて書いていこうと思う。

私は家から高校までほぼ毎日バスで通っていた。40分程と時間がかかるので音楽を聴きながら、また単語帳を読んでいるふりをしながらバス停までの暇をつぶしていた。バスの窓から見える朝の陽光に照らされた木々は実に美しく意気軒昂としていた。雨の日には、晴れの日とはまた違うどこか時の止まったかのような風情を醸し出していた。

そうこうしていると、バス停に着き運転手に一瞥して降りていく。そこから高校までジグザグとした狭い道を通っていく。ジグザグとした道の右隣には桜が数本立っており、春になると新たな門出を祝しているように感じた。そして桜の奥には小さな公園があった。その公園全体が明るい太陽に照らされて公園の中に敷き詰められた芝生は朝露を纏い、壮観で輝いて見えた。また雨の日には、雰囲気が一変し、隅にあった一基のベンチのもの悲しい様子が際立って見えた。

私は毎日その公園を目で追い、少しの間美しさに浸り、足早に去って行った。朝のあの公園はまるで幻想のような美しくいつまでも心に残しておきたい代物であった。

だからこそ私はあの公園には見るだけ、視線を向けるだけで足を踏み入れたりはしなかった。もし朝のあの公園に一歩でも足を踏み入れたら公園の美しさは瓦解してしまうだろう。もし足を踏み入れ美しさを直に感じようとしたら急に美しさを失いどこにでもある公園へと変貌し、心の中にある、あの時の公園と比べ嘆息して破壊してしまうだろう。金閣寺のように。

今はもう高校を卒業しあの公園を長らく見ていない。しかしあの日の公園の景色は今もなお心の中で美しさを放ち続けている。




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