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「無知の集積」(2020年12月)

●12月2日/2nd Dec
I got the trophy from RIGA of Latvia, for the 13th INTERNATIONAL TOURISM FILM FESTIVAL "TOURFILM RIGA".
We got the award in the category of TOURISM DESTINATION - COUNTRY of RIGA.
Thank you very much all the Team at RIGA and all the members related to our movie.
#RIGA
#TourfilmRIGA
#SeeingdifferentlyTourfilm Riga

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●12月3日/3rd Dec
なぜ仏陀がわざわざ「心」と「心所」を分けて捉えたのかを、現代の一部の人工知能領域、発達心理学領域での議論と合わせて考察すると大変興味深い。
「心」は生命それぞれに宿ってはいるように見えるが、それは「心所」が働いているからであり、「心」とは実は分割出来ないものなのではないかとも読めるからだ。
言わば一人の中に複数の人格がある発達性乖離障害のように、一つの心が無数の私たちを生み出しており、心所が組み合わさるヴァリエーションのまとまりがそれを表現していると仏陀は理解していたのかも知れない。
心を「意識」と言い換えてもいいかも知れないが、人工知能は「心」を獲得出来るのかという「問い」そのものが正反対で、大きく的外れな可能性が出てくる。
つまり「我々がどうやって意識を生み出す」のではなく「意識が我々をどうやって生み出す」のかを問わねばならなくなるのだ。

●12月4日/4th Dec
本日は社会人大学院の都市文化デザイン演習。第一回では演習全体のガイダンスとフェルミ推計のトレーニングをした。先週は本筋から脱線してなぜ今こうなっていて、これからどうなるかについてのハナムラなりの予想を語った。
この演習では、ここしばらくは都市の文化を測る指標を学生達と探る試みをしている。文化は質の問題なので、それをどのように量としてインデックス化するのかを一緒に考える。
特に今年はコロナ禍の中なので、ますます集客という指標や経済という指標だけでは都市の文化を測るのが難しい。
人々のコミュニケーションや繋がりも物理的に分断され、ますますヴァーチャル空間に移っている。そんな中で都市という特定の地理と空間に紐づいた単位がどれほどのチカラを持ち得るのかを考える。

●12月5日/5th Dec
朝からハンサムなGATOクンに話しかけられた。
どうやら道に迷ったらしいのだが、本人もどこから来たのか分かっていないらしくお互いどうしようかねと。
日差しが気持ちよかったので、しばらく一緒に日向ぼっこしながら背中や頭を撫でてやるとゴロゴロと喉を鳴らして寝転びだした。
バルセロナで一緒に暮らしていた子はツンデレだったけど、この子はとても人懐こい子で色々と話をしたが、痩せ細っていてあまり何も食べてなさそうだった。
しばらくすると、向こうから来たオジサンがこの子を探していたようで、ここですよと教えてあげる。どうらやら捨てネコのようで貰い手を探しているとのこと。
もう少し僕が暇なら家に上げても良かったんだけど、今はちょっと難しいからゴメンねと話して別れる。

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●12月6日/6th Dec
本日は博士前期過程の入試。今年は最終年度ということもあり受験生がかなり居て、午後からの試験がこの時間でようやく終わった。
2022年の新大学統合に伴い、今所属する経済学研究科自体は統合して再編される。新大学では観光・地域創造分野は解体され終了するため、来年度入学の学生の修了をもって経済学の枠組みでの教育はひとまず終了となる。
僕自身も次に所属は大きく変わるので、経済の枠組みで教育をするのは、これで最後になるだろう。思えばこの8年は学生の皆さんと観光・地域創造分野に関して色々と勉強させてもらった。
10年前には全く知らない領域だった経済学について僕自身も詳しくなった。元々の専門は理系だったのに何の因果か前職では文学部の哲学・芸術領域で教えることになり、人文科学や社会科学に携わるようになったことで随分と世の中が見えるようになった。
また理系の枠組みに戻ることになるが、もはや理系文系といった区分けが意味をなさない社会では、両方の視座をもっていることは強みだ。心より感謝。

●12月7日/7th Nov
日々のほんのわずかな無知が膨大に積み重なり、いつの間にか取り返しのつかない大きな狂気になる。私たち一人一人のわずかな無関心が積み重なり、どうにもならない理不尽な仕組みが固定されて動かなくなる。
それはいずれは崩壊するか、強制的にリセットするしかなく、元に戻ることはない。だがもしリセットするとしたら誰がどのようにするのかは注意して見ておかないといけない。
まことしやかに並べ立てられた甘い言葉には罠がある。悪魔というのはとても優しくて強烈に魅力的だが、その引き換えに何を請求されるのかは考えておいた方がいいだろう。

●12月8日/8th Dec11日、12日、13日あたりか。色々と起こりそうなのは。それとも週末なのでもうちょい早いか。米も大詰めになってきたみたい。
午後から卒論指導をしているとこんな時間になる。8名の学生でテーマもバラバラだが、みんなよく頑張っている。
研究の方向として、今の文化現象を把握してその背後の要員を分析考察するものが多いが、中には修士論文でも作らないような膨大なデータベースをオリジナルで作成して分析している力作もある。
年内にデータがまとまり、要旨の大枠さえ見えれば年末年始に作業が出来るので、毎回のゼミはかなり集中度が高い。終わると非常に疲れるが、人生の中でも特に成長するタイミングなので、丁寧に伸ばしていきたい。

●12月9日/9th Dec
PCR検査を感染症の判定に用いることへの懸念は発明者のマリス博士自身が指摘していたが、Ct値によって偽陽性の確率が上がる。一応僕自身も半年も前に指摘しておいたが、ようやくメディカルトリビューンのような表の世界でも見解が出始めたか。
現在のPCR検査の元になっている論文は、欧州疾病対策センター(ECDC) Eurosurveillanceに、2020年1月23日に掲載されたものだが、一応それがSARS-CoV-2の遺伝子配列を初めて報告した論文となっている。
だが、その論文に多くの科学的欠陥があるとして、ドイツの遺伝学者Pieter Borger氏ら22氏の科学者で構成するInternational Consortium of Scientists in Life Sciences(ICSLS)が掲載誌からの論文撤回を求めているとのことだ。
実際の論文には目を通していないが、撤回を求める公開書簡によると、論文に対する10個の欠陥が指摘されている。どうやら問題になった論文は、査読も24時間で行われたらしく、Ct値の記載もないらしい。
PCR検査にかけたウイルスの遺伝子が、ウイルス全体であるか断片のみであるかが判別できないため、PCR検査結果をもって感染性ありと診断することは不可能であるとはっきり書かれている。
それ以前に、そもそもウイルスというもの自体がどういうものなのかがよく分かっていないという問題もあるのだけどね。

●12月11日/11th Dec
これから京都外国語大学で「スピリチュアルツーリズム」の講義。昨年は精神世界に興味津々な学生からの質問が多かったので、全部応えたが今年はどうなるか...
話すことは一応組み立ててきたが、おそらく脱線して学生からの質問に応える方が面白くなるだろうから、様子見ながら進めるか。

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●12月13日/13th Dec
Wireless Wire Newsに新しい論考をアップしました。「正体不明な必需品としての常識」というタイトルで「常識」と「現実」について考えていきます。
この2020年を境にこれまでの常識が崩壊し始め、どんどん常識と非常識が反転していく。私たちが見ている「現実」は本当にリアルなのか。私たちが考える「常識」は共有されているものなのか。今、改めて常識とは一体何なのか、そして現実はいかに生まれるのかについて3回に渡って考えます。もし論考お読み頂き、共感された方は是非シェアして頂ければ幸いです。
第一回
「改めて問う、現実とは、常識とは一体何なのか?」
・現実とは何を指すのか?
・常識とは一体何なのか?
第二回
「常識はどのようにして生まれるのか、多数決なのか?」(仮)
・常識はどのように生まれるのか
・多数決の罠
第三回
「非常識は罪なのか、そして常識は崩壊する」(仮)
・非常識と罪
・常識の崩壊
以下、第一回本文の一部↓
「もし、私たちにとって常識というものが、身につけていなければ生きていけないような重要なものだとすれば、それを身につけているかどうかの前に、その内容の方が問題になるはずだ。だが、私たちは常識が大切だといいながら、それが一体何なのかについてはちゃんと分かっていない。中身は正体不明だが、常識というラベルが貼られた容器を必需品として持ち歩くのはおかしな話である。だから今こそ、常識という箱を開けて中身を確かめなければならない。改めて、常識とは一体何を指すのだろうか。それはいくつかの角度から考えられる。
まず第一に...」

●12月14日/14th Dec
このコロナで明らかになってきたのは、多くの人は自分が常識的な人間だと信じ込んでいることだ。一つ前の投稿でリンクした「常識」について書いた僕の論考も、おそらく多くの人に読まれることはないと予想できるのは、多くの人が自分は常識人だと考えているからだろう。だから「常識」には関心を持ちにくい。
「常識」という言葉自体が一体何を指しているのかを深く考えることもなく、その中身を改めることもないままいると、この常識が大きく変わる世界の中で気がつけばいつのまにか自分が「非常識」な人間になっているかもしれない。その頃に嘆いてもどうにもならないこともある。

●12月18日/18th Dec
12月23日の晩に、京都のインパクトハブにて京都大学の塩瀬先生と対談します。何やらタイトルには「100年後のまなざし」とついていますが、どんな話をするのかは全くわかりません。
塩瀬先生が激動の年の終わりにハナムラと話したいと仰ってくれているので、おそらく何か聞きたいことがあるのだと思います。なので尋ねられるままに答えてみようと思います。
ハナムラが知っているヤバめなことや、今話したいことをどこまで話せるのかはわかりません。おそらく話せないでしょうし、話しても理解されないと思いますし、話してはいけない雰囲気のある場のような気がします。そもそもそんなことを聞きたいと思っていないような気がします。
話が面白くなるのかも分かりません。すごく面白くなるかもしれませんし、全くつまらないかもしれません。本質的なことを話せるかもしれませんし、表面的な話で終わるかもしれません。
仲良く何かメッセージを紡ぐかもしれませんし、大喧嘩するかもしれません。すごく気分が乗るかもしれませんし、全く気乗りせず終わるかもしれません。適当に話合わせていい感じに共有できるようにするかもしれません。
オンライン配信は苦手ですので、カメラが回っていないところで面白いことを言うかもしれません。ヤバいこと言ってYouTubeに弾かれるかもしれません。つまんなさすぎて皆さんか僕か塩瀬先生が途中で帰るかもしれません。とにかくどうなるか全くわかりません。
そんな感じでも良ければ、対面かYouTubeでご覧頂ければと思います。
◇概要
Impact Hub Kyotoが拠点を置く京都中央電話局西陣分局は、来年で建立100周年を迎えます。いまの社会、世界を変えたいと強く欲する人がたくさん集まるこのImpact Hub Kyotoにおいて、100年というスケールで社会や世界のことを考える意義について、ともに考えたいと思います。本企画では、Impact HubKyotoで様々なプロジェクトをモデレートしてきた京都大学総合博物館の塩瀬隆之さんと、ランドスケープデザインをベースに、風景へのまなざしを変える「TranScape」という領域横断的な表現活動を行うハナムラチカヒロさんによる対談形式で進行いただきます。明日の暮らしも一年後の生活も見通しが立たないなかで、100年後というスケールを持ち出すことに無責任とのそしりを受けるか
も知れませんが、だからこそ100年後を見据えた作品制作や未来フォーラムなど様々な企画や登壇の経験が豊富なお二人にエスコートいただき、この100年スケールで考える視点を参加者の皆さんと共有できるような場がデザインしてもらえるのではと考えました。2020年も残りわずかとなる年末、いまだ世界を襲ったコロナ禍の収束は見通しがたっていません。その中で、このモヤモヤと向き合う一つのまなざしを増やして2021年を迎えることができたら、わたしたちはいまの社会、世界を変えたいともう一度強く願う力を手に入れられると期待しています。
日時:2020年12月23日(水)19-21時
会場:Impact Hub Kyoto
定員:【対面】20名、【YouTube配信】無制限(後日、試聴用のリンクをお送りします)
料金:無料(要事前申込)
申込:Peatixにてお申し込みください
https://impacthubkyoto-100nengo-no-manazashi.peatix.com/
主催:Impact Hub Kyoto、京都西陣町屋スタジオ

●12月15日/15th Dec
物事を「分かる」ためには、要素に「分けて」把握せねばならないので、理解のためには還元主義的科学や要素分解構築的な論理が役に立つだろう。
だが生命や自然とはそういう方法でコミュニケーションするようにはなっていない。近づくためには要素に分けて把握するのではなく、いきなり丸ごと感じることが必要だ。
大学で教育していて難しいのは、今の科学的方法論が「分ける」ことしかないことで、統合の方法がないこと。だから一方で芸術のような方法で補うしかないのだが、それは科学とは切り分けられてしまうことが歯痒い。

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●12月16日/16th Dec
ハナムラが監督を務めた映画「SeeingDifferently」が、観光映画祭ネットワークのグランプリを定める国際委員会CIFFTで受賞しました。「Tourism Destination- Country部門で第2位です!
CIFFTは国連組織などをはじめとする数々の国際組織と連携する、最も権威のある観光映像祭ネットワークで、世界中の観光映像祭のサーキットの中で最も優れた作品をグランプリとして選定します。
今回は160の国・地域から3,500本を超える出展映像のなかから我々の作品が選ばれました。
ここで選定されることは世界的に大変名誉なことであり、すでに通達を受けて知っていたとはいえ、先週ウィーンで開催されたオンライン受賞式の瞬間はさすがに緊張しました。
この大変素晴らしい賞を頂き、心より光栄に感じるとともに、この映画のすべてのメンバーおよびこの映画を支えていただきました全ての関係者に心から感謝の意を捧げます。
「CIFFTとは?」
CIFFTとは、CIFFT独自の観光映像祭サーキットを通じて、業界における素晴らしい映像作品をグランプリとして表彰することを目的にした国際委員会です。
このサーキットは、4つの大陸で世界最高峰の観光映画祭を開催しており、ここでの表彰は観光映像市場の業界にとって最も権威のあるものとなっています。
UNWTO(世界観光機関)、ETC(ヨーロッパ旅行委員会、CTO(カリブ海観光機関)、CATA(中央アメリカ観光協会))と協力して、CIFFTは映像を通じてそ観光地の価値やサービス、そして場所そのものを広く知ってもらうために取り組んでいます。
We got the award of CIFFT which is the International Committee of Tourism Film Festival. Our movie “Seeing Differently” is placed the 2nd place in the category of Tourism Destination -County!!
It is great honor for us to get this award and I really appreciate all members of this film and related people who helped us!
[What is CIFFT?]
CIFFT’s mission is to reward excellence in Travel video Marketing through a unique and exclusive competition - The Grand Prix CIFFT Circuit.
The circuit brings together the World's Best Tourism Film Festivals in four continents, making this competition the most prestigious awards and recognition initiative for the Travel Video Marketing Industry.
In partnership with our endorsers - UNWTO (World Tourism Organization), ETC (European Travel Commission, CTO (Caribbean Tourism Organization), and CATA (Centro America Tourism Association) – CIFFT works to encourage tourism destinations to achieve the excellence in promoting their products, services, and locations using video.
#CIFFT #WorldBestTourismFilmAwards #GPCIFFTCircuit

●12月17日/17th Dec
本日は関西大倉高校で500人近い高校生に向けて講演をする。本当はホールでする予定が、このコロナ禍の中なので別の教室からzoomで配信という形になった。
今年はオンラインで講演して欲しいという依頼は多数あったが、僕の講演スタイルは舞台公演に近いので、ベストなパフォーマンスが発揮できない場では基本はお断りしてきた。
ただ今回は高校生たちのためならということでお引き受けしたが、やはりオンラインで講演は厳しいと実感する。
オンラインの講演は高校でも初めての試みらしく、各教室とオンラインで繋ぎながらで、先生方もバタバタと出入りされておられた。だから終始うまく音声や画像が届いているのかが不安な中で話す。
それ以上に、聞いている人の顔や反応が全く見えない状態で話す消耗感に、普段どれだけ観客の皆さんからエネルギーを頂いているかに改めて気づく。
舞台公演でも同じように観客の空気が役者のパフォーマンスに左右するのだが、今回はカメラに向けて話しているので、どちらかというと映画撮影に近い。
役者としての自分を分析するに、舞台よりも映画の方が向いていると思うのだが、瞬発力の必要な映画の芝居を90分の舞台でするような持続力を求められる感じで、終わるとヘトヘトになっていた。
こんなに手応えのない講演に、今後zoomでは一切講演しないぞと敗北感を噛み締めていたが、終わってから学生が続々とやってきて本質的な質問をチカラいっぱいぶつけ始めたことに救われる。
響く学生にはかなり響いていたみたいで、哲学的な質問をぶつけては熱心に僕の答えに聞き入っていた。多分、周りには本質的な疑問に応えてくれる大人がいないので、聞いてみたかったのだろう。質疑に丁寧に答えていると結局講演よりも長く話し込むことになった。
昔、初舞台の時に「観客の反応は意外と演者の感覚と反対のことがある」と芝居仲間に言われたことを思い出す。今回もそんな感じだったのかもしれない。
だがやはり、インタビューや対談のように相手がいる場合はオンラインでも良いが、いつものようにスライドを作り込んでやる舞台のような講演はオンラインでは引き受けないと誓う。その一方で、18歳までの将来の大人たちとの対話には大きな可能性を感じた。しかしそれはリアルな場で顔を突き合わせてやらねばダメだ。

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●12月23日/23th Dec
インパクトハブ京都に到着しました。
19:00から京都大学の塩瀬先生との対談始まります。こちらで無料で見れるようです。
これまでの「まなざしのデザイン」定番プレゼンは今回はしませんが、2018年の「地球の告白」の話は少ししようとおもいます。後は塩瀬先生にうまく引き出してもらいます。
今回面白くなるかどうかは分かりませんが、ご関心有ればぜひ。
https://youtu.be/MODhzHLty-A

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●12月24日/24th Dec
クリスマスになるといつもこの詩を思い出す。
とても好きな詩で毎年シェアしているが、今年のクリスマスは格別に自分ごとに響く人が多いのではないか。
ニューヨークのリハビリテーション研究所の待合に掲げられている銘板の言葉。昨日の対談でも少し触れた謙虚さの話。多くの人に届きますように。
「病者の祈り」
大事を成そうとして力を与えてほしいと神に求めたのに、慎み深く従順であるようにと弱さを授かった。
より偉大なことができるようにと健康を求めたのに、より良きことができるようにと病弱を与えられた。
幸せになろうとして富を求めたのに、賢明であるようにと貧困を授かった。
世の人々の賞賛を得ようとして権力を求めたのに、神の前にひざまずくようにと弱さを授かった。
人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、あらゆることを喜べるようにと生命を授かった。
求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた。
神の意にそわぬものであるにもかかわらず、心の中を言い表せない祈りはすべてかなえられた。
私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ。
A Creed for Those Who Have Suffered
I asked God for strength, that I might achieve, I was made weak, that I might learn humbly to obey.
I asked for health, that I might do greater things, I was given infirmity, that I might do better things.
I asked for riches, that I might be happy, Iwas given poverty, that I might be wise.
I asked for power, that I might have the praise of men, I was given weakness, that I might feel the need of God.
I asked for all things, that I might enjoy life,I was given life, that I might enjoy all things.
I got nothing that I asked for —-but everything I had hoped for.
Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.
I am among all men, most richly blessed!

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対談を経て色々と思うところを反芻する。僕の言葉は人によっては厳しく響いたのかもしれないなと。今はコロナ禍の中で皆が下向いている時だ。きっと元気になるような言葉を聞きたいだろう。そんな中で耳が痛い厳しい言葉は酷だという見方ももっともだ。
しかし一方でこんな状況になっても、まだ甘い言葉を信じることを本当に繰り返したいのだろうか。これまで目を背けて耳ざわりのいいことだけを評価してもてはやしたことが、今の事態を招いてきたのではないか。以前の世界で中心的だったもの、影響力のあったものがどのような力学だったのかを考えないのだろうか。
だが、そんなことに気づき始めた人が今年から確実に増えている実感がある。10年前から自分は同じことを言い続けているが、耳を傾ける相手が多くなったし、その種類が変わってきたからだ。これまでは8ぐらいポジティブな話をして、2ぐらいを本当に考えてもらいたい厳しいことを言ってきた。そうでないと人は話を聞かなかったからだ。それでも都合のいい8しか聞かない人ばかりだった。
だが今は5ぐらい厳しいことを言っても腑に落とせる人が増えた。本当はそんな人には次の話をしたいのだけど、そのためには何段階も認識の壁を破らないといけない。対談相手や観客との認識の擦り合わせもある中で、一回の講演や一回の対談で先へと導くのは難しい。
来年は少しそういうことを語れる環境も整える必要があるなと思う一方、そうしている間に自由にモノが語れなくなる社会にどんどんなっていく。だから怖い人だという印象持たれるかもしれないけど、話せるチャンスがある時にギリギリの所まで語ってしまうのだろう。

●12月25日/25th Dec
なぜ私たちは、芸能人の不倫の非常識として許せないのか。大勢の人が当たり前だと思っていることに正当性はあるのか。僕らは自分が常識人だと思っている間に、気がつけばかつての常識は非常識になっていく。
そんなテーマでWireless Wire Newsに寄稿した「常識」についてのハナムラの論考の2つめが昨日、3つめが今朝アップされました。これで「常識」の項目はひとまず終わりです。

(1)改めて問う「現実」「常識」とは一体何なのか?
https://wirelesswire.jp/2020/12/78308/告知の再投稿します。Wireless Wire Newsに寄稿した「常識」についてのハナムラの論考の2つめが昨日アップされました。
前回の(1)ではそもそも「常識とは何か?」というテーマでしたが、今回は「常識はいかに生まれるか?」「常識はどこにあるのか?」というテーマです。
自分は常識を備えていて、非常識なのはあなたであると私たちは人に指をさしますが、本当にそうなのでしょうか。そんなことを少し考える時間を持てればと。是非ご笑覧下さい。
(2)多数決で成立する常識は危うい
https://wirelesswire.jp/2020/12/78402/
(3)常識と非常識はどう峻別されるべきか
https://wirelesswire.jp/2020/12/78407/
今回は「常識とは一体何か」よりも、「常識はどのように生まれるのか」に焦点を当てました。
論考(1)からお読み頂ければ理解が深まるかと思いますので、そちらも是非どうぞ。

●12月26日/26th Dec
再投稿します。Wireless Wire Newsに寄稿した「常識」についてのハナムラの論考の3つめが25日にアップされました。
(3)常識と非常識はどう峻別されるべきか

前回の(2)では、「多数決の罠」に触れましたが、今回は「非常識と罪」についてです。なぜ私たちは芸能人の不倫を許せないのに、理不尽な法案が通過することは見過ごせるのか。常識は本当に正しくて、非常識と切り捨ててきたことの中には真実はないのか。そんなことを考えてみました。是非ご笑覧ください。

●12月27日/27th Dec
ハナムラが監督した映像「Seeing Differently」が世界最大の観光映像祭で受賞したことがYahoo!ニュースで取り上げられました。感謝。

先日、インパクトハブ京都で行いました京都大学の塩瀬先生との対談「100年後のまなざし」で頂いた質問へのアンサー映像を僕のYouTubeチャンネルにアップしました。

せっかく寄せて頂いたのですが対談時間内にお答え出来なかったので後日に研究室で撮影したものです。質問自体に哲学的な問いがあるので、色々と考えました。
書き込みが22個あり、その中で質問は16個ぐらいですが、一つ一つに答えてます。時間切れで前半と後半に分けましたが、ひとまず前半の映像だけでもご覧頂ければ幸いです。
書き込みと質問は以下です。
1)ハナムラさんは「知る」と「感じる」は使い分けていましたか?
2)森(世の中)に生きた木(人)がどの様に生きてきたかを見て、どの様に家を作るか、まさにそう思います。大工の中間世代である我々がどの様に活かして繋ぐのか。
3)https://wirelesswire.jp/2020/04/75327/
4)まなざしが変わったなと実感した個人的なエピソードがあれば知りたいです。
5)100年後にタイムスリップするなら何を持っていきますか?
6)40代後半になってきたからこそ、自分の時間だけでおわらない目標とか、ビジョン をたてることがなじんできた気がします。 お話を聞いていて、時間の捉え方がめちゃくちゃしっくりしました。13カ月28日。人間は過ちをおかしますが、いつも前に進んでいる。過去歴史に学び直すことは、実は未来を想像することと近いかも。
7)「成熟する」や「共存する」などの言葉が出た時に引っかかっていたのが、そのような精神を鍛える手法(型)で一般化できるモノが必要だと思いました。過去は「道」と言う考え方を通して自然と共生したり、精神を成熟することはありましたが、現代で「道」を再定義することは出来るのでしょうか?
8)身体的な体験が、一人称の科学のベースになると思いますが、知的に理解することと体験的理解はどのような関係を持てると思いますか?
9)自分が自分を誤魔化してることにどうやって気づくのですか?
10)中立的に物事を見たい時に、自我が邪魔するのをどうやって抑えられるのでしょうか。コツがあれば教えて欲しいです。
11)未実現だけど取り組みたいプロジェクトはありますか?
12)究極のエゴの発露として何か作れるなら何を作りますか?
13)自分と向き合う時、風景はどんな役割を果たしますか? お寺の庭とかはそのためにデザインされているのでしょうか。
14)歴史は繰り返すとは言われることに近いことを話されていると感じました。繰り返されるとすれば、どこまで遡るのか、何がトリガーになるのか。これも感覚的なものなのでしょうか
15)孫の世代までのことを考えて経済活動をしたいけど、現代の生きる手段を抜きにして行動できない状況の人、制限がかかっている人が多数だと思います。例えば、お金など。その状況を打破するための入り口で何か面白い事例はありますか?
16)未来の話が出てくるのかなと思ってきましたが、 歴史の話がどんどん出てきて、 最初は驚きましたが、聞いていくうちに納得感や考え直すことがたくさん出てきて めちゃめちゃ面白かったです
17)100年を考えられるような最高のランドスケープの事例とかありますか?
18)お二人の話をもっと聴きたいです!
19)これから人類にとっての宗教の意味についてどう思われますか?
20)生きた証を次に生きる灯りにする を具現化したいと考えていますが、重たさに広げることができていないのが悩みです。
21)ハナムラさんは本当は何に怒っているんでしょうか
22)時間をゆっくり体感するということをおっしゃってましたが、 逆に解像度を上げてめちゃくちゃ細かく感じるみたいなことはありますか?

●12月30日/30th Dec
先週、京都のインパクトハブで京大の塩瀬先生と対談した「100年後のまなざし」。そのアンサー映像の後半をアップロード致しました。
https://youtu.be/mAWDdU9KWPk
対談の中で寄せられた質疑に答える形のアンサー映像ですが、先日アップした前半では、19個の質問に答えてます。今回の回答は残りの3つです。ただ、それに引っ掛けてかなり色んなこと話したら長くなりました。
あんまり危ない話は出来ないので、かなり抑え気味で編集も入れてます。結構攻めたので知らなかった人は何かピンと来るかも知れませんが、すでに色々と知っている人は物足りないと思います。
出来るだけ年内に見て欲しかったので、焦って撮影しましたが、来年はこんな形で質問に答えていく形で動画配信する方がいいかもな...とか思いました。
ご覧になって、大事だとか面白いとか感じた方は是非対談の映像やアンサー映像の前半と合わせてシェアして頂ければ幸いです。

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●12月31日/31th Dec
毎年、大晦日から年始にかけてはお寺で瞑想に耽るが、今年は寺が開かれていないので、一年を静かに振り返りながら自宅で過ごすことにする。今年は色んなことがあった。ただそれは大きな流れの始まりに過ぎない。
これまでの常識は明らかに崩壊していく。今年はそんな事にようやく気づき始めた人が急増した。そのことは年末の対談では一部しか語れなかったが、自分のYouTube配信では質疑応答の後半でほんの少しだけ話した。

この2020年が目に見える形の転換点であったことは間違いない。それが2021年にはどのような方向へ進んでいくのかが明らかになるだろう。特に2月以降のこの半年ぐらいは世界の方向が急激に反転するようなことが起こることが予想される。
映像の中で表面的にサラっと呟いた言葉には、実はそれ以上の意味があるのだが、それはよく聞かないと分からないかもしれない。だが頭に入れておけば状況が進んだ頃に何のことか具体的にわかってくるだろう。別ヴァージョンの映像ではもうちょっと突っ込んで話しているが、それはまだ流せないのでタイミングを見計らっている。
これまでマイノリティに押し込められていた価値観を受け入れる人々の数が急に増えている。それが今年以降さらに増え、半分にまで近づいてくるにつれ今の分断はますます深刻になるだろう。海の向こうでは顕著にそれが現れているが、人々はどちらを信じればいいのか分からず混乱しているか盲信に走りがちだ。そんな時こそ、互いがそれぞれを信じ込ませようという政治が働く。
世界のシステムに矛盾を感じることなくうまくやってきた人以上に、これまでシステムに乗って名を馳せた人、システムの利権に預かってきた人々は、これから来るシステムの崩壊や反転を認めたくない。あるいはその崩壊の中に自分に有利な次のシステムを差し込もうとするだろう。
一方でそのシステムにこれまで苦しんで来た人々にはチャンスが訪れる。そこで甘い言葉に乗らず、長い物に巻かれず、流言飛語に飛び付かず、怒りや欲に囚われずに、自分の理性と感性でちゃんと身心に向き合っていれば、自ずと楽になっていくだろう。大切なのは自分の心の状態を誤魔化さずにちゃんと気づいていることだ。
特に怒りや欲よりも根深いのは無知だ。反転する世界では、自分を頭が良いと思い込んでいる人ほど、無知になっていく。"自分が知らない"ことを素直に受け入れられず、知っていると思い込んだまま進むと気がつけば頓珍漢なことになっているだろう。既に識者達はそうなりかけている。
自分の都合を外して眺めることの重要さをいくら語りかけても、大人たちはそうだそうだと言いながらやっぱり自分の都合のいいように話を聞く。この十年ぐらい語り続けてきた中で大人に期待することを一つずつ諦めてきた。だから来年からは子供たちとの対話の機会を持とうと思う。
したり顔で上から何かを語るのではなく、これまでの社会を生きてきた一つの生命として、この先の社会を生きていく生命と大切なことを確認する場を持ちたい。これまでの社会がいかにあべこべだったのか。僕らは何を間違えてきて、これから何を間違えないようにするのか。なぜみんなが生きづらいのか。そしてどうすれば生きやすくなるのか。そんな対話が出来ることを願っている。
年の瀬にもかかわらず、僕の言葉に耳を傾けてくれた多くの方に感謝を。また今年精一杯僕の活動を支えてくれた方に感謝を。そして全ての生きとし生けるものが幸せでありますようにと願いつつ静かに新しい年を迎えることとする。

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