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ソ連に欠けていた資本主義精神

〓経済がつくるまなざし
 資本主義経済は極まるところまできているこの時代。すべての物事に関して経済を抜きにして考えることはできない。そんな時代だからこそ、経済および経済学というものが一体なんであるのかを再び考え直す必要があるように思えてならない。
 私の専門はまなざしのデザインであり、経済学の門外漢である。しかしあらゆるシステムは出来上がった後には必ず人間の心のまなざしの形成に影響を与えるのであれば、経済についても学ぶ必要がある。まなざしのデザインの視点を持ちながら一から経済学を見直していくプロセス。それをここに記録するという目的で記している。
 経済のシステムというのは自然とは異なって、人間が作ったものである。しかしそれは一度定着してしまうと、人間の手でコントロールすることは不可能になる。マルクスはそのことを「疎外(Entfremdung)」という考え方で説明した。この世に自然法則があり、それは人間の意志ではいかんとも変え難いものであるように、経済にも法則がある。それは人間の意志ではいかんとも変え難いことがマルクスの疎外の真の意味であるという。
 価格は需要と供給のバランスによって生まれ、神の見えざる手によって変動していくという資本主義。それに対して、人間がそれを計画的にコントロールするというのが社会主義である。しかし社会主義も基本的には経済システムの原則を無視することはできない。だから資本主義を考える上でも、20世紀に破綻してしまった社会主義が一体どういうものなのかを考えることを端緒にしてみたい。

〓ソビエト連邦の計画経済
 20世紀に社会主義を推し進めた一番の国はソビエト連邦である。正式には「ソビエト社会主義共和国連邦」であり、1922年から1991年まで続いた。私がまだ中学に通っていた頃、ペレストロイカが起こりソ連の社会主義が崩壊したというニュースが学校で話されたものだった。簡単にソ連の歴史を経済との関係で振り返ってみたい。
 1917年のロシア革命がきっかけでソビエト連邦は生まれる。それまでのロシア帝国をウラジーミル・レーニン率いるボリシェヴィキ(ロシア社会民主労働党)が転覆させ、ロシア社会主義連邦ソビエト共和国を設立した。
 この十月革命と呼ばれる革命を皮切りに、革命派の赤軍は複数の旧ロシア帝国領に侵攻する。そして名目上労働者および小作農の代表として振る舞ったソビエトを通じ、現地の共産主義者の権力掌握を支援した。
 1922年、共産主義者が勝利。ロシア、ザカフカース、ウクライナ、白ロシア各共和国を統合し、ソビエト連邦が形成される。そして1924年のレーニン死去後、ヨシフ・スターリン(1879-1953)が政権を握る。レーニンは自らが創造したマルクス・レーニン主義を国家イデオロギーとし、計画経済を始めた。
 1926年には穀物を中心とする農作物の調達危機が起こり、それが農業の集団化へと繋がっていく。その後の1928年にそのソ連政府が発表した第一次五ヶ年計画の中核に、農業の集団化が据えられていた。それがコルホーズやソフホーズと呼ばれるものである。コルホーズとは民間組合が運営する農場である。それに対してソフホーズは機械や設備も含めすべて国有の国営農場である。コルホーズでは収穫物を一定の割合で国家に納めて、余ったものについては自由処分することが許されていた。一方で労働が義務化されていなかったソフホーズの方は、富農(クラーク)から取り上げた土地を農民が耕作するというものであった。その運営主体の違いがあるが、両者ともに資本主義がもたらす格差社会を否定して、計画的に経済を管理していくという考え方に立っている。
 それと同時にソビエトではこれまで脆弱であった工業を発展させる工業重点化政策を敷いた。それによってソビエトは世界第2位の経済大国にまで躍り出ることになる。一方で急速な経済構造の改革によって農業政策が混乱し、1932年から1年間の深刻な食糧不足による飢饉も発生した。
 
〓失敗した社会主義
 なぜスターリン・モデルがなぜ失敗したのか。それについてはマックス・ヴェーバーは「資本主義の精神の欠如」であると考察している。資本主義の精神とは大きく整理すると以下の4つに集約される。
「時間は貨幣である」
「利子・利潤が正しいことであると認められる」
「目的合理的に行動する」
「労働は神聖であって神に救われるための方法になる」
 これらがエートス(行動様式)以前の心の中にあるまなざしとして設定されており、そこから近代資本主義の経済活動が派生する。しかしソ連はこれらの精神を重要視しなかった。利子を全廃し、納期という概念を設けず、労働の量的ノルマを重視することで質の評価ができなかった。だから滅んだということである。
 1953年のスターリン死後、ニキータ・フルシチョフ政権の下、「非スターリン化」として知られる穏健な社会的および経済的自由化が生じた。その中でソ連は史上初の人工衛星打上げおよび世界初の有人宇宙飛行を行う。宇宙開発競争を中心にアメリカと並ぶ技術的な革新を遂げ、核開発などを進めた。
 その後の1962年にはアメリカとの間での緊張感関係が極まったキューバ危機が起こった。核戦争への水際まで来たが1970年代に緊張緩和が生じることで危機が免れた。そして1979年にはアフガニスタンの軍事支援によって、またもやアメリカとの間での緊張関係が生まれる。この軍事行動によってソ連の経済資源は消耗した。こうして冷戦構造が進んでいく。
 しかし1985年、ミハイル・ゴルバチョフがソ連共産党書記長に就任し状況が変化し始める。ゴルバチョフは連邦の改革および北欧型の社会民主主義の方向に向かうことを求めた。経済停滞期を終わらせ、政府を民主化するためにグラスノスチおよびペレストロイカの政策を導入した。
 この頃にはすでにソ連経済は行き詰まっていた。その時に問題にされたのが労働の効率化である。そのために禁酒法が導入され、酒類の生産を削減、販売を厳しく規制された。確かに公的経済における酒の消費量は減った。しかしヤミ経済がアルコールを供給することとなり、結果としては大失敗に終わったと言える。

〓資本主義精神の欠如
 ゴルバチョフの政策は加速化(ウエスカレーニエ)、すなわち技術革新・ハイテク化であった。しかし効果はさっぱりだった。その背後にも「資本主義精神の欠如」があると指摘されている。特に「時間は貨幣である」という精神が欠如している。そのため納期が守られず、流通が働かなくなることでソ連の国中に莫大な滞貨が見られたという。つまり人々が必死で手に入れたがっているにも関わらず、流通が滞ったために工場や貨車には物が溢れて、市場には出回らなかった。
 また「労働は神聖であって神に救われるための方法になる」という精神がない。そのため労働にノルマが課されたが、それは量的なものにとどまっていた。従って商品の嗜好性のような「質的な差異」の原理が働かない。だから生産性は確かに高いが、同じような商品が流通するというようなことになる。
 結局のところ、資本主義というのは、その精神を完璧に持った人間がいるというモデルを大前提としたシステムである。しかしその精神をコントロールせずにシステムだけ機能させようとしたためソ連は破綻を来たした。
 逆の言い方をすると、今の資本主義はその精神をコントロールすることから手をつけたので、20世紀を席巻することができたのだ。その精神がアメリカンマインドである。


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