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永遠へのまなざし

 中世から近代へと移り変わりの中で提出された問い___。つまり「世界は善なるものか、それとも悪なるものか」という問いを進めると次に何が立ち現れるのか。世界が善なるものであれば問題なし。しかし悪なるものであれば、そこには「救い」が必要になる。
 その救いとは、神の絶対的秩序が地上へ実現することであり、「永遠なるもの」を手に入れるということである。この世界が永遠の秩序を獲得したのであれば、それは悪からの救済を意味する。近世西欧の神秘思想ではそのように解釈したのではなかったのだろうか。
 西欧の神秘主義はどこからそうした着想を得たか。それは東からである。東洋や中東の思想では、そうした永遠の獲得の問題は決着がついており、すでに理論化されていたからだ。近世の西欧は神秘主義の中にそうした知識体系と技法を輸入する形となった。
 この“永遠についての問題”とは言い換えると、「時」というものどどのように捉えるかという問題である。西欧でも中世の頃より、“時間の克服”の重要性は、キリスト教の影で細々とではあるが意識されていた。
 例えば13世紀のドイツの聖職者であったマイスター・エックハルトは、“時の完了”を問題にした。時の完了が意味するのは、過去や未来の出来事を現在の瞬間に引寄せることである。それは永遠の今を意味する。その今において全ての物事を知ることこそ神と接することであると、異端の聖職者エックハルトは考えていた。
 つまり端的に言うと、「救済の問題」とは「永遠の問題」であり、それは「時の問題」なのである。究極なるものが意味するのは、時の制限を乗り越えることだ。宗教の目的も、ひょっとすると科学の目的もそこへ収斂されていくのかもしれない。そうした永遠を獲得した究極なるものを求めることこそが宗教であると、20世紀の神学者のパウル・ティリッヒも定義している。
 「永遠の獲得」というテーマ。それは東洋や中東では古来より追求されてきた。仏教の涅槃、バラモンのブラフマン、道教のタオ。こうした永遠の存在と一体化する方法論が、互いに影響を及ぼしながら確立されていったのだ。
 では西欧ではそうした思想は無かったのか。そんなことはない。1世紀ごろから4世紀ごろにかけて、地中海周辺を席巻したグノーシス主義と呼ばれる思想にその一端を見ることができる。ヘレニズムによる東西文化が交錯する中で生まれたグノーシス主義は、ギリシア時代末期のピュタゴラス教団の思想や新プラトン主義などの神秘主義の系譜を吸収し発展した。
 グノーシス主義も同様に、過去と未来を拒否し、時間という概念を否定することで、自己の本質と真の神についての認識に到達することに傾注する。その思想はマニ教のような宗教として結実するだけでなく、原始キリスト教の中にも入り込んで体系化し、その後のキリスト教にも度々影響を及ぼしている。
 例えば、10世紀半ばにフランス南部とイタリア北部の地域に広がったカタリ派という民衆運動や、19世紀に神秘キリスト教を提唱して、「黄金の夜明け」団の創立者たちに深い影響を与えたアンナ・キングスフォードなどである。時を否定するグノーシス主義はその後の神秘主義の中に脈々と受け継がれていった。その根底にあるのは、永遠と接触することで救済を得ること、そして自らの内に眠る神を覚醒させるという思想である。その自己救済へのまなざしは、近代的自我の目覚めにも近いものであったのではないか。

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