2-9 風景異化の手法

Landscape(風景)はLand(土地・場所・環境)とscape(まなざし)という言葉に分かれると前章で述べた。つまり風景とは、「環境(客体)」と「まなざし(主体)」の関係性で出来ているとすれば、その関係性が変化すればジャメヴュが起こり、そこに新しい風景が生まれると考えられる。この客体と主体との関係性をこれまでとは異なる状態へと変化させることを、ぼくは「風景異化」と命名した(図2)。

 「異化」という言葉は耳慣れないかもしれないが、実は文学の領域で唱えられた概念で、これを最初に提示したのはヴィクトール・シュクロフスキー(Ви́ктор Бори́сович Шкло́вский)というロシアの文芸評論家である。ロシア語の原語は“Osteranenie”(オストラネニー)といい、演劇や芸術の中で広くこの概念が広がっていった。もともとは言語学の中で考えられた異化という概念は、ぼくらが日常的に接する間に慣れ親しみすぎて意味や価値を改めて考えなくなってしまったような言葉に、“再び力を与える方法”として概念化されたものだ。シュクロフスキーは1910〜20年代に提唱した「ロシア・フォルマリズム」という文学批評の方法に関する理論の中で、異化を「日常的な事物の組合せの中において生気を失っている事物 (「自動化された事物」 )が、新たな組合せの中で再び生気を取り戻すこと」と定義している42)。これを風景にあてはめると、“生気を取り戻す”ことが“ジャメヴュする”ことであり、そのための方法が風景異化だと言うことができる。ジャメヴュという言葉は、あくまで主体であるぼくらの内部で起こる「感覚」を現した言葉であることに対して、風景異化という言葉は、そのジャメヴュを“計画する”という立場から述べた「方法」であると考えてもいいだろう。概念的な話ばかりではイメージしにくいので、具体的な事例で考えてみよう。

 

これまでいくつかの風景異化の取り組みの事例を取り上げた。これらは一見バラバラに見えるかもしれないが、背後には同じ考え方がある。それを少し整理してみることでより多くの人が使えるような方法を考えたい。

 風景(Landscape)は場所•環境(Land)と人間のまなざし(scape)との関係性で出来ていて、その関係性をデザインして風景のジャメヴュを起こす方法が風景異化である。そのためのアプローチとして、 “眺められる客体”である「環境」へ働きかけることと、“眺める主体”である「人間」へ働きかけることの二つの対象が考えられる。これを「環境のデザイン」と「まなざしのデザイン」というように整理した。

 しかしこれはどんな対象に働きかけるのかということだけを表しているため、どのように働きかけるのかということを考える上では不十分である。なので環境と人間のまなざしという二つの対象に対してデザイン操作を施す場合に、それぞれにどのような方法で働きかけるのかを考えるために、物理的なアプローチと心理的なアプローチというデザインの方法を交差させてみることにする。

 図のように「環境—人間」という軸に対して「物理的—心理的」という軸を交差させてみると、4つの領域に分かれる。この4つの領域はそれぞれ“どんな対象”に対して、“いかに働きかける”のかということを表していて、これが風景異化の具体的なデザインを考える上でのフレームワークになる(図)。このフレームワークに沿って考えると風景異化を起こすためのありとあらゆる操作や手法が整理できるはずだ。

 「環境」へ「物理的」に働きかけるという①の領域は、その場所を構成する素材(MATERIAL)に刺激を与えるというデザイン手法である。建築や土木や造園が行うような建設的な方法で、壁を作ったり、地形を作ったり緑を植えたりするというように場所を作り替える場合や、事例で取り上げた工事現場のリミックスのように、場所にあるモノを組み替えるという方法で風景異化を行うことができる。あるいは山に差し込んだプラスチックの植物のように、その場所に一時的に何かの素材を足すという方法もある。こうした手法を現代アートでは空間に何かを挿入(インストール)するという意味から「インスタレーション」と呼ばれているが、インスタレーションは風景異化の重要な方法の一つである。もちろんここで扱われる素材とはコンクリートや木材といった「物質」だけではなく、光や音のように一時的に現れては消えるような「現象」も含まれている。場所の素材をほんの少し追加•変更する事から100%違ったものにすることまでの幅はあるが、場所を構成する様々な素材を組み替えたり追加したり、マイナスしたりする方法がありうる。

 「環境」へ「心理的」に働きかけるという②の領域は、その場所に対して社会的に与えられた記号(PROGRAM CODE)に刺激を与えるというデザイン手法である。場所というのは多くの場合、集団的なまなざしによってそれぞれ社会的に与えられた用途や機能などがあり、それらはプログラムと呼ばれる事がある。そのプログラムによって場所に与えられた記号が集団的に認識され場所の意味を生じている。例えば大学キャンパスやお寺、街路などの公共空間は誰もがそうした場所として認識している場所の記号だと言える。こうした環境に与えられた記号を書き換えるという操作が、この領域の手法と言える。データを用いて、大学キャンパスをテーマパークや世界遺産としての記号を当てはめてみることや、山の自然を美術作品としての記号を与えてみることなどはこの領域の操作をしている。あるいはインスタレーションという行為そのものが、ある場所を従来の使い方とは異なる使い方をさせるものであり、表象記号を書き換える操作であると言える。また祭りやパフォーマンス、イベントのような行為も、その場所に一時的な用途の変更を加え、非日常な用途を与えることで場所の表象記号を書き換えていると捉えることが出来る。また、場所の命名や分類を社会的に変更することでも、まなざしの変容を起すことができる可能性があり、場所のネーミングを変更することや場所の歴史を掘り起こすこと、場所に物語を付与するなどの意味付けすることも表象記号の操作の一つとなり得ると考えられる。昨今唱えられている地域のブランディングはこうした表象記号の操作によってまなざしを変容させ、地域の機能向上や魅力性の向上を促す行為であると捉えることも出来る。

 その一方で人間のまなざしに働きかけるのにも、物理的、心理的な方法がありうると考えられる。通常まなざしと言うと視覚を指しているが、ここでぼくが“まなざし”という言葉で呼んでいるものは、視覚だけを指しているのではない。もちろん人間の五感の中でも約 83 %を占めると言われている視覚が風景を感じる際に中心的な感覚になっているのは間違いない。しかし人間は視覚以外にも様々な感覚を通じて全般的に環境を感じており、それは意識に上るものだけではなく、ぼくらが気づかない間に身体が勝手に感じてしまっているものも含まれるのだ。

 心理学の領域では人間が環境を把握する能力として、おおまかに「知覚」と「認知」というプロセスがあるというように捉えている。知覚とはぼくらが五感と呼んでいる感覚を総称した言葉で、それは目の網膜や耳の耳小骨(じしょうこつ)や皮膚といった「感覚器」を通じて感じることのできる環境からの物理的なインプットである。一方で認知とは、その感覚器によって知覚された対象に対して、その人が頭の中に持っている知識や抱いている想像力などによって、それを判断したり解釈したりする心理的な動きのことを指し、「脳」の中のプロセスであると捉えることができる。

 それを踏まえると、人間の「まなざし」に「物理的」に働きかけるという③の領域は知覚(SENCE)に刺激を与えるデザイン手法を指している。その一つに感覚器への物理的な入力を変換する道具(TOOL)やテクノロジーを用いるという方法が考えられる。

 ここでの道具というのは、人形やカメラといったものだけでなく、環境に対する人間の知覚を拡げるようなあらゆる道具が該当する可能性がある。メガネや双眼鏡といった視覚を拡張するような道具、集音機や補聴器のような聴覚を拡張する道具、盲人の杖のような触覚を拡張する道具、車椅子や自転車、スケートボードなどの移動感覚を変換するような道具を用いることで、物理的なまなざしの変容をもたらす可能性がある。また地図のように俯瞰して知覚するような道具やメジャースケールのような数値化して場所を知覚させるような道具、カメラやビデオのような環境のイメージングの道具や、GPSやスマートフォン、グーグルグラスのようなVR(ヴァーチャルリアリティ)を用いた視覚メディアなどの電子的な情報デバイスによっても知覚は拡張されるだろう。こうした道具を用いることや、新たな道具を開発することを通じて、まなざしのサイズ感を変えたり、まなざしをある部分へクローズアップさせたり、まなざしを変換したりするという手法とアプローチをとるのが、この領域における風景異化の手法の一つとなり得る。

 もちろんまなざしを拡張するだけではなく、逆にまなざしを奪ってしまうことでも風景異化は起こる。例えば以前、目隠しをして全速力で走るというワークショップをしたことがある。もちろん安全を期するように動線上には物理的な障害は何もなく、走った先には受け止めてくれる人を数人用意した状態で走らせるのだが、視力を奪われた状態で実際に走ってみると、ほとんどの人は目視で確認した距離の半分も走る事が出来ず途中で不安を感じて止まってしまう。物理的な空間としては何も変化していないが、まなざしを奪うという簡単な働きかけでも感じる環境はガラリと変化するのだ。人間の脳はちょっとした物理的な感覚のズレによってもジャメヴュを起こすのだが、それを手助けするような道具やメディアを使うというのが人間に物理的に働きかけるこの領域の一つの手法となる。

 それに対して「まなざし」に「心理的」に働きかけるという④の領域は認知(COGNITION)に刺激を与えるというデザイン手法を指している。これまでその対象に対して抱いていた意味や解釈を変更するような情報を与えたり、その対象に対して普段自分が取るまなざしや振舞いや気分のモードを変えてみるという方法で風景異化へとアプローチする方法を取る。この日常的な行動や思考や気分の様式(MODE)の変更を起こすような刺激全般がこの④の領域に該当すると考えられる。データハンダイなどで紹介したように、ガイドによるインタープリテーションや、ある場所に対して認識を深めるようなワークショップによってある対象に日常的に抱いている想像力が変更されることもこの領域のデザイン手法である。またレインボーウォークのようにある目的に沿った行動を促すことや、観光や冒険などのようなこれまでと異なるモードへと変更させる仕掛けなども考えられる。また映画、写真、物語などによるイメージの付与などを通じて、その対象に対する認知を変更するというのもこの領域における有効な風景異化の手法である。

 ②の領域の記号を変更するというデザイン手法も心理的な刺激を与えているが、そこで用いている記号とはもうちょっと社会的なものを指している。環境へ心理的な刺激を与えるというのは、ある環境に対して向けられた集団的なまなざしによって社会的に共有されているコードの変更であることに対して、④の領域であるまなざしに心理的な刺激を当てるというのは、個人的なモードの変更を促している。データハンダイでは大学キャンパスという場所を違った記号へと変更するという刺激を与えているが、それは同時にその場所に対して主体が抱いている情報が変更され、また積極的にキャンパスへのモードを変更するという刺激にもなっている。同じ対象に対して集団として了解されている意味と、個人の中で認識している意味が一致する場合もあるが、どちらも個人の頭の中で起こっていることなので明確に分けることは難しく、ここではあくまで風景異化を考える上でデザインする対象として、社会的に了解されている集団的な表象アプローチするのか、個人的に抱いている意味へアプローチするのかという違いの整理としている。

 ここに示したように主体と客体に対して物理的、心理的に働きかけることから生まれる、「構成素材(CONSTRUCTIONAL MATERIALS)」、「表象記号(PROGRAM CODES)」、「知覚道具(PERCEPTIONAL TOOLS)」、「認知様式(COGNITIVE MODES)」という4つは風景異化の手法であると同時に、デザイン全般にも応用できるフレームワークである。これらは単独で用いることもできれば、組み合わせて行うこともできる。これまで環境に対して物理的に働きかけるという方法論が主流だったランドスケープデザインでは、まなざしや心理的な要素を加味することもあったが、それらは具体的な方法論として整理するのは困難であった。しかし風景異化という概念へと拡張することで、この世界で感じられる風景全てを対象にデザインを考えられる可能性を考えてみた。それは荒削りで無謀な試みではあることはわかっているが、一方で風景を生み出す主体の問題をデザインの中に含めることで、風景の問題をデザイナーという専門的な職業から開放することができないかという可能性を考えている。なぜならばこの手法を知っていると、自らが自らのまなざしをデザインして、自分の内部の風景をジャメヴュすることができる可能性があるからだ。

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