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5-10まなざしから生命表象学へ

「まなざしのデザイン」没原稿:第5章「心の進化」10
 
 まなざしの高度を変えていけば、風景は様々なスケールへと変化し、実は無関係と思われていたものが総合的に関係しているということがわかる。風景というのは、自然と人間の両方の表れである。風景とは一部分だけ取り出すことはできず、自然も人も全てが関係付いているで具体的な世界の把握の方法である。
 しかし近代文明以降の20世紀は、それを細分化して一つ一つに焦点を当てることを選択した。そのことでまなざしの解像度を上げて詳細に把握し、それぞれの領域で様々なことが明らかになってきたと言える。しかし一方で、その領域の間の総合性を失って分断されたままになっているという課題を残している。
 社会の法則と自然の法則が今、分離していることがこの世界に問題をもたらしている。かつて人間がまだ原初的な形態の共同体を維持していた頃には、自然と社会は何も矛盾がなかった。しかしそれは前世紀に急速に分離してしまったのだ。
 この分離を埋めて、もう一度自然と社会とが伴走するためには、これまでの科学の方向性ではもはや難しいことは明らかである。とはいえ、全てを放棄してかつての原始共同体に戻るという方向性を私たちは選択することはできない。だとすれば私たちの文明が目指すべき方向は、これまでの文明の枠の中で捉えられた科学から抜け出し、次の文明に寄り添うような科学の方向性が模索されるべきである。そしてその姿はおそらく、自然と人とを対立するものとして分けずに、生命として一体であるという捉え方をせねばならないだろう。
 クリストファー・アレキザンダーという研究者は、20世紀を物理学が支配した時代とし、21世紀は生物学が支配する時代になるだろうと述べていた。それを受けると、生物学という限定された領域からさらに発展した「生命学」という呼び名の方がより詳細かつ総合的に把握できそうだ。
 生命とは一体どういうものなのであるのか。そして生命とはどのような形として姿を表すのか。それは今世紀における最大のテーマになるだろう。私がランドスケープデザインという学問領域を学んだのは、生命環境科学の領域だった。生命と環境との間にある関係から、文化や社会を考え直す枠組みが、これから重要になってくるのではないかと思う。そしたその中にはあらゆる生命における環境への知覚や認知といったものを含めた「心」の問題が必ず入ってくるはずである。
 これまでのランドスケープデザインや景観デザインというのは、「場所」と「人間」を中心に、地形、気候、水分、植生、農、建築、身体、芸術あたりをカバーする領域だった(図)。それに対して、私が取り組んできた風景異化論は、自然の要素をひとまず外して、代わりに「意識」や「無意識」、「脳」など、心の領域へ手を伸ばしたものだ。これは自然科学領域と人文科学領域をつなぐ橋になると考えている。
 例えば「意識」や「無意識」、「脳」などに「制度」や「経済」、「メディア」などを加えると、クリエイティブシェアで考えたような「共有経済論」のような領域が生まれる。また「意識」と「無意識」、「精神」と「脳」などに、「「食」や「身体」などを加えて領域を囲むと、生命の発生とはいかなる原理に基づくのかという「生命形態論」という問いが生まれるだろう。
 また「精神」や「神」、「意識」と「無意識」などに「聖地」や「電磁気」、「地殻」や「地形」、を含めると、人にとって想像力を喚起させられる特殊な聖地はいかにして創造されるのかという「聖地創造論」という問いになる。さらに、「地球」や「地殻」、「気候」や「水分」や「植生」などと最新の「科学技術」などを含めると、この地球という惑星の景観が、どのように変化してきて、これから先どのように進化していくのかという「景観進化論」という領域が生まれる。地球というものは物理的な要素だけではなく、多分に生物学的な要素で進化している。
 生命というものを定義することはとても難しいことであるが、生命現象というのは物理現象にように線形科学として把握できないという特徴がある。生命というのは次々に移り変わって姿形を変えていき、そこにはエネルギーと物質との間の相互変化が見られる。植物は最初は種の状態であるが、それが割れて芽がでる。そしてまた時間が経つとそれは茎になっていき、葉が出るようになる。そして花が咲いて、枯れて。その中にあった種子がまた地面に落ちる。最初の種から随分と様々な姿形となって生命は移ろって行くのだ。
 私たちの身体も同様に移ろっている。人生という時間軸で見ても最初は小さな赤ん坊だった私たちは、大きな身体へと育っていくだけではない。日々の時間軸の中でも私たちの細胞は常に入れ替わっている。つまり私たちが今見ているものは、生命の一時的な姿に過ぎず、あらゆる生命はとどまることなくその表象を変えていくのだと言えるだろう。だからこのように広い範囲でまなざしを設定し、生命のあらゆる姿形、すなわち表象を考える学問があるとすれば、それは「生命表象学」とでも呼べるような枠組みで物事を考えることが、今後必要になるのではないかと私は考えている。

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