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国債と政府の借金

■日銀の役割と政策金利

 日銀の仕事とは金融調節である。金融調節とは社会に出ているお金の量を増減させることを指す。お金自体は日銀が発行するわけではない。民間銀行が「信用創造」という制度を通じて発行するが、それは元は誰かの借金である。しかもそのお金とは紙幣を物理的に発行するのではなく、電子情報として記載することで発行される。
 日銀は民間銀行がそうしてお金を発行するのをコントールするのが役目である。民間銀行がたくさんお金を貸せば、お金は世の中に増える。その反対にお金を貸さなければお金の量は減る。つまり日銀の役割とは、民間銀行の借金の量を調整することであると言える。そのためには方法が二つある。

 一つは金利の上げ下げである。日銀が「政策金利」を上げ下げすることで、民間銀行の金利をコントロールする。政策金利とは日銀が民間銀行にお金を貸す時の金利のことである。政策金利が上がれば民間銀行の金利も上がる。逆に政策金利が下がれば民間銀行の金利も下がる。民間銀行の金利が下がれば、お金を借りて事業をする人や、家や車を買う人が増える。つまり消費が増え、借金が増え、お金が増える。その逆に民間銀行の金利が上がればお金を借りる人が減り、金利も返されていくためお金の量が減っていく。
 つまり政策金利と民間銀行の金利が連動することで、社会のお金の量を調整していく。しかし実際には長期にわたってデフレになっているため、すでに日銀の政策金利はゼロになっている。だからこれ以上下げることができない。従って、今はこの政策金利を上げ下げする方法は行われていない。

■買いオペと売りオペ

 もう一つの方法は「公開市場操作」と呼ばれるものである。これはオペレーションと呼ばれる。公開市場操作とは日銀が市場で国債を売ったり、買ったりすることである。日銀が民間銀行から国債を買うことを「買いオペ」といい、国債を売ることを「売りオペ」という。
 日銀は買いオペの際に、買ったお金を日銀内にある民間銀行の「当座預金」に振り込む。当座預金とは民間銀行が日銀にお金を預けるために日銀内に持つ口座のことである。民間銀行は準備預金制度として預金の一定割合を日銀に預ける必要がある。その時に使用する口座であるが、当座預金には基本的に金利がつかない。従って今までは国債を買って金利を得ていたが、当座預金に入れると金利がつかなくなる。民間銀行の方は準備金が増えるので、人々に貸せる金額も増えるということになる。
 民間銀行がそのまま資金を遊ばせておけば銀行自体の収益が落ちてしまう。だから買いオペすることで必然的に民間銀行が融資を増やし、社会にお金が増えるだろうというのが狙いである。売りオペはその逆であり、民間銀行の当座預金からお金を引き上げることになる。
 つまり日銀の役割は民間銀行の融資を調節することで、社会に出ている借金の量の増減を間接的にコントロールすることにある。日銀が直接的に社会のお金を調節するわけではない。 

■民間銀行の預金貸出残高

 民間銀行の貸出残高は一体どれぐらいになっているのだろうか。実はその額は日銀のウェブサイトにデータがあって誰でも見ることができる。日本銀行時系列統計データ検索サイトにアクセスして、預金貸出関連統計というリンクをクリックする。左のメニュー検索から預金貸出残高を選び、その中の貸出預金同行を選ぶと欲しいデータ項目が現れる。抽出期間を設定して抽出ボタンを押すとデータがダウンロードできる。
 見るべきデータは総貸出平均残高(銀行計)というもの、91年3月末の銀行の貸出平均残高は513兆円となっている。94年にはそれが524兆円となっているが、90年代半ばをピークにその貸出がどんどん減っている。2003年にはついに400兆円を切る。そして2014年3月には413兆円となっている。
 つまり日銀の金融緩和政策にもかかわらず、この20年で100兆円以上の民間銀行の貸出が減ったという事実が浮かび上がる。これは世の中から100兆円以上のお金が消えたことを意味する。

 さてなぜ日銀は金融緩和をするのだろうか。それは社会が今デフレであるからだ。デフレとはモノの価格が下がることである。その逆でモノの価格が上がることがインフレであり、これらは貨幣的現象と呼ばれている。つまりお金の量が多ければインフレになり、少なければデフレになる。それはお金の量の問題であり、お金を増やしさえすればデフレは解決するという感気に基づいている。
 だから日銀は金融緩和をすることで民間銀行がお金を貸すように促し、お金の量を増やそうとするのである。そして実際にそれによってお金を増やすことに成功したという捉え方もある。

■国民の総預金と政府債務 

 一方で我々のお金の量はマネーストックM2の数字を見れば概ね把握できる。日本銀行のウェブサイトからさきほどの日本銀行時系列統計データ検索サイトにアクセスし通貨関連をクリックする。そのメニュー検索の中からマネーストック統計を開くとM2が確認できる。統計方法が途中で改変したため、データが連続していないところがあるが、大きなズレはない。

 マネーストック2つまりM2は郵便貯金を除いた国民の総預金金額である。これが1990年には502兆円。そこから毎年増えて、1998年には600兆円を超えてさらに増え続けている。2007年には700兆円を超え、2011年に806兆円を超え、2014年には860兆円となっている。つまり1990年から360兆円も増えていることがこのデータからわかる。
 しかしこのデータだけで日銀の金融緩和政策が効いて350兆円のお金が増えたと言えるのだろうか。それは一体どうやって増えたのかということを考察することが重要である。

 すべてのお金は誰かの借金である。最初のデータでは民間銀行の融資残高が100兆円も減っている。ということは100兆円のお金が社会から消えたことである。それにもかかわらず国民の総預金金額は360兆円も増えている。その差し引き460兆円のお金は一体誰がどのように発行したのだろうか。つまりそれは一体誰の借金なのかということである。
 その答えは明確だ。その460兆円は政府の借金として発行されたということになる。それもデータで確認できる。先ほどの日銀のウェブサイトの日本銀行時系列統計データ検索サイトから財政関連統計をクリックする。左のメニューから政府債務を選んで期間を指定して抽出すると政府債務の統計が出てくる。一番左の数値が政府債務の合計で、その隣が国債の合計となっている。
 1990年のデータを見ると、政府債務の合計は221兆円であり、国債の残高は166兆円である。ところが、2014年のデータを見ると、政府債務の合計は1020兆円で、国債の残高は819兆円となっている。つまりこの24年間で政府債務は800兆円も増え、国債は650兆円も増えているということになる。これは一体どういうことだろうか。
 政府が借金を背負ってお金を増やしたのである。これは日銀の金融緩和が成果を上げたという結果ではない。むしろその反対で日銀の金融緩和が効力を発揮しないから政府が借金を背負うことになるのである。

■政府は借金で利息を払っている 

 増えた国債を主に買っているのは民間銀行である。民間銀行が国債を買えば、銀行は政府に対してお金を貸したことになる。そのお金は政府預金となる。政府はそれを政府支出として使う。使われたお金は世の中へ回り、それがまたどこかの銀行の誰かの預金になれば、それを使って銀行はまた新たな国債を買うことができる。
 政府が国債を発行し続け、それを民間銀行は買い続ければお金はグルグルと世の中を回りながら増えていく。これは基本的には信用創造と同じ仕組みである。何が違うのかというと、信用を与える相手が民間ではなく政府であるということである。
 なぜ銀行はそうするのだろうか。それは民間銀行が融資できる先に信用のおける相手が減ってきているからである。つまり日銀の金融緩和が効いていない証拠である。金融緩和政策が効かないから融資先が減り、より安全な国債を買うということになる。
 それでも世の中にお金が増えているという捉え方もあるが、それは間違いである。なぜならばお金は増えていないからである。国債の残高は650兆円、政府債務も800兆円を越している。一方で増えたお金は460兆円しかない。政府の借金がお金の発行であるとすれば、借金が増えた分のお金が増えなければ辻褄が合わない。しかしなぜそうなっていないのだろうか。なぜ借金の方が多いのだろうか。
 それは政府の借金がすべて政府支出として使われるわけではないからである。日本政府はもう30年以上も、1円も返すことなく借金を続けている。毎年の支出もまかねていないため、これまでの借金の原本も金利も全く支払うことができない。したがって、それらも含めて、すべて新たな借金で借り直している。つまり毎年増える借金のうち、利息に相当する部分は政府支出としては使われず、これまでの借金の利息の支払いに充てられる。
 これは政府支出として使われなければそのお金は世の中には回らない。つまり我々国民のお金にはならないということである。だからM2には入らない。
 その額は一体どれぐらいになっているのだろうか。だいたい毎年40兆円ぐらいの借金が増えている。しかし実際に政府支出として使われるのは30兆円ほどである。残りの10兆円は利息の支払いに充てられる。それが25年以上も毎年続けられ、200兆円以上が利息の支払いに充てられている。財務省のウェブサイトに「利払い費と金利の推移」というグラフがあり、そこでその実態が確認できる。

■政府は誰に利息を支払っているのか 

 ではこの膨大な金利は誰に対して支払われているのだろうか。政府が毎年10兆円もの金利を払っている相手は一体誰なのか。それは実は我々国民自身である。日本の国債のほとんどは銀行などの「機関投資家」が持っている。機関投資家というのは、銀行やゆうちょ銀行、生命保険、損害保険などの保険会社、そして国民年金を運用する独立行政法人などである。それらの機関はどれも国民の資産を運用している。だから間接的に国債のオーナーは国民自身であるといえる。その利息も国民が受け取っている。
 ただ我々にはその実感がない。なぜならば銀行やゆうちょ銀行の預金金利はほぼゼロに近いからである。だからほとんど何も受け取ったと思えないのである。
 しかし我々が受け取るかもしれない生命保険屋損害保険の保険金、そして年金には国債の利息が含まれている。それは年金や保険金が存在することを前提に給付額が決められている。
 しかし実際には政府はその利息を1円も払えていない。払えないから、全てを新たな借金としてして借り直して払ったことにしている。つまり借用書の額を書き足しているだけである。受け取る方も帳簿上の資産に数字を書き足しているだけである。
 そのような資産は本当に存在すると言えるのだろうか。それを「ある」として帳簿に乗せている我々の年金は本当にあるのだろうか。それは年金だけではない。我々が存在すると思っている全ての金融資産は、政府の借金として発行されたお金が回って作られているものである。それは政府は今まで一度も払えていない利息を運用益に加えた金融資産である。それが額面通り存在していると言えるのだろうか。

■加速する政府の借金

 基本的にすべての金融資産は誰かの借金である。お金とは誰かの借金として発行され、それが回っているだけだからだ。したがって日本中の全ての借金と金融資産を相殺すればゼロになるはずである。
 かつてはそうした金銭の貸し借りは民間同士で済まされていた。それだけ十分なお金が発行されていたからである。ところが、それではお金が足りなくなった。発行されたお金すべてに金利がかかるため少なくともその金利分はお金が増え続けなければならない仕組みだからである。お金が増え続けるためには、借金が増え続けなければならない。しかし民間同士の借金には限界がある。だから結局政府が借金をしてお金を発行せざるを得なくなった。それが加速し始めたのがちょうど25年ほど前である。
 加速するのは当然の事態である。なぜならば利息も新たな借金で支払っているからである。だから金利には金利がかかる複利となる。そうなると借金は加速度的に増える。
 こうして25年が経ち、我々の手元にある現金、預貯金、そしてこれから受け取るであろう保険金や年金、その他の金融資産。それはほとんど政府の借金の裏返しにすぎない。従って、それを税金として集め、政府の借金を減らせば、減らした分だけ金融資産も減る。
 このカラクリが理解できれば、税と社会保障の一体改革として消費税を上げることがいかにまなざしが狭く近視眼的であるのかが理解できるだろう。税金をあげればいずれ必ず年金が減る。それでは根本的な解決にはならない。
 まなざしの範囲を広げて、この問題を俯瞰する必要がある。問題は政府にお金が足りないことではない。なぜそうなるのかという理由の方が重要である。それは政府の無駄遣いや税収不足ではない。もっと根本的な仕組みに問題があるのだ。それはお金の仕組みそのものである。お金の仕組み事態に無理があるのに、いくら税金を集めても、政府の支出をカットしても、国民のお金は減っていくばかりである。それは何の解決ももたらさずデフレを加速されるだけである。では一体それをどう変えればいいのだろうか。今の財政赤字をどう解決するためのデザインがあり得るのだろうか。


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