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5-8私たちはどこへ行くのか

「まなざしのデザイン」没原稿:第5章「心の進化」08 

 なぜ生命が進化を目指すのかということに、現代科学はまだ答えを出していない。宗教はそれぞれによって様々な解釈を持っているが、その中でも明確な理論を持っているのは仏教ではないかと思う。仏教の世界観というのは現代の素粒子論や分子生物学のように、この世界の一切のものはそこにとどまらずに生成と消滅を繰り返しているという輪廻転生がベースになっている。そしてその根底には「心」が関係していると釈迦は考えていた。
 釈迦は生命というものを明確に定義している。釈迦によれば生命とは「心」を持ったものだ。そして「心」というのは知る機能であると定義されている。小さな細菌や微生物ですら環境の状態を知る機能を持っていて、その機能によって環境にあわせて反応するのだ。私たち人間はそういった環境だけではなく、目に目ないような抽象的なものに対しても知ろうと心を発揮するという特性をもっている。
 机やタオルは何かを知る機能を持っていないので心を持たない。だから生命ではなく単なる物質であるというのが釈迦の解釈だ。モノに対しても心や生命を見出す宗教は世界中にあるが、生命とは物質と心の両方で出来ていて、その割合によって生命の進化の度合いが決まるというのが小乗仏教の世界観である。
 細菌や虫は心の占める割合が低く物質の割合が高い。一方で人間は心の割合が非常に大きい生命だと仏教では考えられている。それは高度な生命であるかもしれないが、一方でその心の大きさゆえに現実世界の対応できず、様々な妄想や想像力を働かせてしまうという問題もある。
 そのような心の働きは芸術・宗教・文化・科学など様々なものを生みだす一方で、同時に私たちはそのような心の働きのために苦しむ。うまく制御できない心は、私たちの意思とは無関係に回転していき、巨大な妄想を生むのだ。その結果、目の前にはないものによって苦しみ、概念によって死に至る。だから私たちはちゃんと心を制御する必要があり、そのための入り口としてまなざしのデザインを考えてきた。
 いずれにせよその大小に関わらず、心というものが生命の本質であり、その心によって生命が生まれてくると釈迦は本気で考えていた。もしそれが本当なのであれば、心を持った生命で満たされているこの地球のあり方は、私たちも含めた生命の心のあり方と関係付いていると考えてもおかしくはない。
 心というレベルではないが、生命というレベルで地球上の全ての生命が関係付いているといち早く唱えたのは、ジェームズ・ラブロックの「ガイア仮説」である。岩盤や溶岩、そして気象や水分といった無機的なもの。そして地球のあらゆる場所を覆う細菌や微生物、そして植物や動物など。これら全ては、まるで私たちの身体が数十兆個の細胞で出来ているように、密接に関係付いていて、一つの有機体となっている。それをかつてギリシャ神話の中で語られていた大地母神である「ガイア」という名前にたくした仮説だ。
 私はかつて高校生の時にこの説の存在を知ってランドスケープデザインの方向へ進んだ。21世紀は間違いなく、人間もあわせた生命がどこからやってきて、これからこの地球はどこへやって行くのかということの中で、我々人類の進むべき方向やあらゆる物事を見直すことがこれから求められるだろう。そのためにはまなざしの高さをより上空へと上げて地球全体の風景を眺めると同時に、まなざしの高さをどんどん下げていき、私たちの身体や心の中にまで入り込んでいくことが必要だ。「まなざしの解像度」や焦点を自由自在にデザインすることが大切になるのだ。

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