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01ユーラシア大陸の横断

 KIX発10:00のルフトハンザにてフランクフルト経由で、バルセロナへ。
飛行機内は空いていて、隣には人が座らなかったので快適に過ごす。日本では執筆に追われていたので、まともに映画を見る時間も本を読む時間もなかったので、機中ではそういう時間を持つことにする。

 フランクフルトに着くまでの間に、「ジェイソン・ボーン」(2016)、「君の名は」(2016)、「天使と悪魔」(2009)の3本を見る。ジェイソンボーンは相変わらず派手な感じだったが、ポールグリーングラス節が効いていて楽しめた。トミー・リー・ジョーンズが宇宙人にしか見えずに笑えたが。  日本で見逃した「君の名は」は、なかなか良かった。ランドスケープの書き込みが精密で、表現力の素晴らしさはもちろんだが、ストーリーとしてもいくつか捻りが効いていた。3本の中で一番楽しめたかもしれない。ただ、瀧と三葉とがなぜそこまで魅かれ合うようになったのかという理由には疑問符がついた。二人の思い出の積み上げについては、もうちょい時間をかけても良かったかもしれない。

 「天使と悪魔」は今回の渡欧に際して、カトリックの歴史的な背景も少し踏まえておこうと考えて見た。謎解きとしてはよく出来ていたが、ダヴィンチコードの時よりもラングドン教授のキャラクター描写が雑になっていた感は否めない。
 そういえば丁度今日見た2作の前の作品である、「ボーン・アイデンティティ」と「ダビンチコード」は、対照的な映画だという評論を以前読んだことがあった。主人公の内面描写にフォーカスしたボーンシリーズに対して、ダヴィンチコードではラングドン教授の内面はほとんど描かれることがない。むしろ教授は物語を転がすための単なるナビゲーターなので、内面描写はほとんど必要ないというような図式は、今回より強まっていた。そう考えると、両方のバランスのとれた「君の名は」が一番よかった。
 映画と並行して、スペインの歴史について少し学習する。スペインという国家は歴史的にも一枚岩ではなく、様々な人種と文化が編み上げられているということがよく分かる。
 先史時代から住んでいた人々、ローマ帝国に取り込まれ、その後ゴート人の国になり、イスラムが入ってくるという経緯。決して平等な形ではなかったが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が共存していたという歴史。改宗モスリムのモリスコや改宗ユダヤのコンベルソなど様々な形があったことも、21世紀の宗教の並存と調和を考える上で、興味深いサンプルである。
 ユヴァル・ノア・ハラリの論考を読んでから、帝国についてずっと考えている。様々な文化や地域を吸収しながら統治していく帝国というシステムは、中央大きな権力機構とローカルな統治の仕組みの両方のバランスが重要である。ローマ帝国、イスラム帝国、アラゴン連合国などいくつかの帝国の支配下にあったイベリア半島。自らもスペイン帝国として南米などを支配下に置いたのは、そうした帝国としての経験値があったからであろうか。
 ひとまずスペインの歴史は、第二部の中世から近世あたりまでを読み終える。この時代は813年以降のレコンキスタの中でサンティアゴ巡礼がキーの一つになると考えていたが、イベリア半島の全体史を考えると以外とそうではないらしい。以前自分が書いた論文の見直しをせなばならない。
 そうこうしている間にフランクフルトに到着し、トランジットに向かう。今回初めて入るEU圏なので、ここでまずは入国審査を受ける。一度入ればシェンゲン協定の中なので、EU圏内ではそういうチェックはなくなる。機中で読んだ読売新聞にイギリスがEUを離脱する表明を正式にEU委員会に出した記事を読んだ。制度上は可能であったが、今回のイギリスが初めてのEU離脱なので、これを機に他の国々も可能性については考えるであろう。

一説によると、EUは通貨統合はしたが経済統合しなかったので、南北格差が生まれたという。いずれにせよ多額の分担金を払ってEUを維持する必然性がだんだん薄れてきているのかもしれない。その背後には、アメリカの弱体化があるのではないかと個人的には睨んでいる。アメリカの経済圏に対抗する形で生まれたEUだが、もはや団結して対抗する必然性が無くなったのではないか。それはアメリカという国自体が体をなさなくなってきていることが原因かもしれない。
 それはアメリカという国だけの問題ではない。グローバル経済の進行に伴い国家という枠組み自体が、だんだん意味をなさなくなっているからだろう。今、欧州では必死でナショナリズムが高まっているが、それも断末魔のような感を受ける。もちろん日本とて例外ではない。
 テロリズム研究も少し視野に入っているので、セキュリティゲートを注意深く観察する。トランジットはいくつかの方向からあるのだが、アジア方面からのゲートには、スカイスキャナーが5台導入されていた。靴は脱がなくてよかったが、衣服の中身は全てトレイに出さされて、電子機器も全てカバンから出す必要があった。スキャナーを抜けた後にはパーティションブースが3つあり。それぞれに人が張り付いてボディチェックをするという念の入れよう。
 それを抜けると警察による入国審査。かなり入念にチェックされる。
トランジットの時間が1時間しか無かったので、すぐにバルセロナ行きのフライトが出た。機中はドイツ人とスペイン人が混ざっている。同じ欧州だがまるで違う人種である。
 機中では空港についての学習をする。空港という場所がどのような仕組みで成り立っているのかがよく分かる。「KIX」の最後の「X」はなぜついているのだろうかと疑問に思っていたが、空港名が二文字の場合は、最後に「X」をつけて文字がないことを示す三文字に変えるというルールがIATAで決められているらしい。
 ルフトハンザの機内誌がおしゃれ。掲載されていた記事のアーティストの作品が気になる。鳥の軌跡を一枚の写真にオーバープリントした作品だったが、現象芸術の一つとして興味深い。

 18:05にバルセロナ着。入国審査もなくそのままゲートを抜けて荷物を取って、市内へ向かう。100リットルの大きなトランクが二つと、110リットルのバックパックが一つ。90リットル程度のボストンキャリーが一つ、それにそれぞれの機内持ち込み用のキャリーの合計6つを管理。タクシーが心配だったが、問題なくホテルまで送り届けてくれた。
 無事にホテルアネトにチェックインする。ラバル地区の中心地にあり、バルセロナ大学からも近いので、便利だが、部屋は暗く狭いのは仕方あるまい。114号室。エレベーターで3階分上るが、階段部分はスペインのゾンビ映画「rec」に出てくるような風景で、リアルに怖い。

 夜はいきなりスペイン料理を食べる気にもならず、ベトナム料理屋に入る。店内はアジア人は一人も居らず、全て西洋人。観光地なので、逆にこういう店にアジア人が入る必然性がないのかもしれない。
 フォーが大体8.5ユーロぐらいの価格。日本円にすると1000円ぐらいか。これでもかなり安い方である。バルセロナは20年前に来た時とは比べものにならないぐらい観光化が進んでいて、物価がとても高い。スペインの売りはEU圏内なのに物価が安いことであったのに、このままではきっと観光もそのうちにダメになっていくだろうと感じる。 

このあいだバルセロナに来たのは5月だったが、その頃よりも落ち着いて街を見れるようになっている。観光化には光と闇の両面があるが、今回は闇の部分がよく見える。通り一遍等の観光礼賛にはほとんど意味はないであろう。新自由主義系の経済至上主義の連中にはきっと観光の闇の部分は暗すぎて見えない。一方で社会包摂系の人間には観光の光の部分は眩しすぎて見えない。
 どちらも偏ったモノの見方である。ツーリズムの陰影を冷静に見つめ、精細に思考していく必要があるだろう。

2017.03.30



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