答えのない世界の問

いくら恐ろしい殺人鬼が居たとしても、国の法律として罰が終われば、その辺の人と何ら変わらない生活を送る。何十も人を殺していても、犯罪者が未成年の場合、法律に守られ死刑になる事もなく普通の人として生きていく。殺し方が残酷でも、いくら見てられない聞いてられないような事件だとしても、彼らが死刑や無期懲役にならない限り私たちと同じ世界で生き続ける。被害者はとうの昔に、この世界から消えてしまったのに。犯罪を犯した者は、被害者が亡くなったとしても生きている。

死刑にすることを望んでいる訳ではない。ただ純粋な疑問なのだ。私は大切な人を殺されたことが無い。一般的にそういった人々がほとんど。大切な人を失う苦しみを味わうことがあっても、それが他人だったり殺害されたりなんてことになると話は別。きっと私は大切な人を殺されたとしたら、殺人鬼を許せない。絶対に。殺してしまう。そこに自分の犠牲なんて推し量ってられない。大切な人を殺されたこの屈辱は、何がなんでも晴らさなければいけない。そう思うはず。これが復讐


ニュースでは絶えることのない殺人事件。被害者の遺族や大きく関わった人々は、どういう気持ちなのだろう。私たちが考えるよりも、もっともっと深く重くしんどいなんて言葉では言い表せないほどの憎悪を抱いてるはず。死刑を望む声が多くあるのはそれが原因。当たり前だ。自分にとって必要不可欠である存在の人間が、赤の他人である気持ちの悪い人間から殺されるのだから。大切な命を蔑ろにするのだから。そりゃ、加害者に死んで欲しいと思う。許せないに決まってる。

ただ、私は思う。死刑にするということは加害者の命が消えるということ。なんというか、だからと言って死刑の判決を下すと言われたら、もしもの可能性を信じてしまう。もしも、何十年か刑務所内での生活をするにあたり物凄く価値観を変え、全く違う人種として世界で生きていけるのかもしれないと。もしも、加害者の親がいたなら、自分が死ぬほどお腹を痛めて産んだ子供が法律の元で殺されるのだろうかと。どちらの立場に立っても、殺人を犯すことは絶対にあってはならない。人の命を消してしまう行為なんて決して許されない。あってはならない。それでも人は迷う。死刑にするか否か。

死刑が行われても被害者が帰ってくる訳では無い。しかし、死刑が行われなければ遺族の思いは解消されない。ましてや、この世界で生きている人々にも不安や恐怖の気持ちが募ることも事実。

犯罪者の目線から考えてもそう。死刑が行われれば、自分が死ぬ事で罪が軽くなると考える。でも死ねば万事解決という訳では無い。生きて生きて最後まで生きて罪を背負わなければならない場合もある。でも殺人鬼が生きているということは、周りからは軽蔑される目で見られ、自業自得といっても過言では無いかもしれないが、それにしても、、という所まである。

結局、どうすればいいのかと言う問は一生解決できないのだ。人の数だけ考えがあり、人の数だけ正義や悪がある。それらを全て換算して丁寧に生きていくことなんて出来るわけない。人間だから。

ただ最近聞いた話として、未成年の頃に殺害をした元犯罪者が現在この世界で物凄い勢いでイキっている。というものがあるらしい。本当かどうかは分からないが、神経が狂っている。自分が元犯罪者というのを、ステータスのように声を上げ、周りを恐怖に晒している。それは有り得ない話なのだ。きっと殺人鬼の中には私たちが考えられないほどの思考回路を回し、想像もつかないほどの悪い考えをしている人もいるのかもしれない。そういった人はまた例外の話で。

やはり、どういう問題でも"生死"が関わるものは、誰にも答えが分からず、不正解かも分からない。モヤモヤしたまま終わってしまうのが、どれだけ考えても分からない殺人の問題なのだ。どちらかの立場にならないと、善し悪しの判断はできないのだと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?