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65歳の日常 平穏 2022/10/09

こんばんは。
わが家では昔から「Pマンション」と呼んでいました。
馬込に住んでいた40年近く前から。
東海道新幹線で品川駅を出てちょっとして、緩やかなカーブを回っているときに長いこと見えるんです。周りに遮るものがなくてハッキリと。
西から帰ってきたときに見えると、東京に帰ってきたと思ってました。
40年変わらずにあるランドマークです。

私は1ヶ月に一度ここに帰ってきます。散髪しに(^^ゞ
三十数年来変わらない日常です。

そう言えばこの三十数年の間に、五反田は変わったような、変わらないような、ですね。
変わらない駅前の空間。東口を出て見えてくる景色のかわらなさ。

五反田駅東口を出ると真っ正面に見えます

私が子どもの頃からまったく変わらないのが、左から二番目の中華料理店「亜細亜」さんです。両脇のお店は名前が変わりましたが、建物自体は全部昔のまま。正直言って、昭和遺産です(^_^;)

その脇の路地ときたらもう大変

路地の奥に見える「グリルエフ」は有名な洋食屋さん(?)です。
テレビでも取材されることが多いお店。でも、私は未体験(^_^;)
こんな感じの路地が山手線の駅の真ん前にあるなんて、信じられませんよ。
「五反田には聖と俗がある(?)」と言われる所以でもあるかもしれません。

「聖」とは、山手線を貫いている国道一号線の西側の丘の部分。
山手線五反田駅のホームから北を見て左手にあたります。

地域的には池田山と呼ばれるエリア。
何を隠そう(って隠されてるわけではありませんが)、上皇后美智子様のご生家もあった(現在は公園になっています)、高級住宅地なのです。

で、「俗」というのは、庶民・労働者が集まるからですね。
太平洋戦争後の復興で大崎のエリアとかには工場が沢山。目黒川は水運に使われていたみたい。東京湾から近いし。
工場労働者はお仕事終わってする事と言えば、いっぱいひっかけて仕事の疲れを取るところが必要ですよね。
それで、歓楽街が出来るわけでありますよ。
まぁ、工場労働者でなくても呑むところは必要ですもんね。

と、言うことだったようなのですが、
私が五反田から離れてしばらくしたら、「聖」が「性」の字に変わってきたようで、そっちの方で名が売れてしまったみたいです(>_<)
でも、まぁそれも「俗」の一部ではあったわけですが、、、(^_^;)

多分、皆さんも同じ感覚を持ったことがあると思うのが、
子どもの頃に感じていた街並みの大きさが、大人になって見るとこんなに狭かったのかとビックリすることですね。
ちなみに、私が生まれ育ったのは「俗」のちょい外れでしたが、当時小学校への登校路が遠く感じたけど、こんなに近かったのかとかもありますね。

五反田の変わったところが、まさに小学校の近辺です。
これは本当に大きく変わりました。
なんてったって、区画整理されて大崎駅の裏側まで行ける道路が出来ちゃった。一体どうなってるのか昔の記憶が完全に役に立たなくなっちゃった。
目黒川は自分の子どもの頃はとんでもないドブ川だったけど、今や川沿いにカフェが出来たり、桜並木があって桜の散り際はあの目黒川に花筏が、なんてね。有名な目黒川の桜はもう少し上流の中目黒のあたりですけどね(^_^;)
しかし、風流になったもんです。

あ、あと駅前にホテルが出来たのは大きく変わったことですね。
中学生の頃まであった日本食堂が閉店して、更地になってから随分長くかかったけど、やっとちゃんとした形のあるものが出来ました。

JRグループのホテル「METS」

そう考えると、五反田は山手線の駅の中でも変わらない部分が多い街なのかと思いますね。
子供の時には変わって欲しいと思っていましたが、今となっては変わらないことにホッとしているように感じています。
皆さんのふるさとは変わってますか?

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