見出し画像

サービス雑感

サービスといっても、飲食店での給仕に纏わる接客サービスのことです。
サービスといえばかつては「奉仕」と直訳されていて、かつてはどころか未だにサービス料のことも「奉仕料」などと記載されていることがあるようです。(特に和の料理店において多いですね… ) 

その語弊からか、サービスは「ただ」との認識があるようですし、サービスを提供する側にもそのサービス技術は無料との誤認があるようです。
ここに未だに(特に日本において)、この業界におけるサービスが大きく改善されない要素があるようです。

ただほど高いものはないといいます。 
冗談はおいてボランティアではないのです。
介護サービスでさえ保険制度になって久しいです。
お金を出すのです、もはや慈善事業では成り立たなくなってきたのです。

とにかく今まではと言っても良いほど、サービスは個人の資質に頼っていることが多かったようです。
したがって、その良し悪しはサービスを担当するスタッフのもって生まれた技量に頼ることが多かったように思います。
ようするにはっきりと言って、行き当たりばったりのサービス教育しかなされてこなかったのです。

笑顔は誰にでも出せる最もコストのかからないサービス、などという誤認もあります。
笑顔ほど、真剣に演出しようとすればその費用がかかるものはありません。
見ず知らずの初対面の他人に対して、満面の笑顔を示すなど普通ではできない行為であります。

冒頭にも記したように、ついこの間までこんな解釈でありましたから、サービスに対する認識ははとんでもない方向を示してました。
サービスは「ただ」ということから始まり、そのコストはまさに「ただ」という解釈だったのですから。
しかし、ほんとうにサービスというものを教育しようとすればそのコストは巨額なものになるのです。

それは、多店舗展開しているファストフード店などのサービスマニュアルをみれば理解できることです。
サービスは、ただではないのです。
どころか、徹底的に養育をしようとすればとんでもないコストが発生する代物なのです。
(京の舞妓の育成費用をみれば、そのことの如何に膨大なことかがわかります。) 

ところが、いかに安易にサービスというものを捉え飲食店を開店させている事例が多いか、その認識の甘さというか、なさといっても良いほどの酷さを多く見るのです。

街の個人店に多くある形態、シェフはそこそこの腕前で華々しい過去もあるのですが、開店に当たってはサービスの人材をまったく手当てしていないことがよくあるのです。
オープン直前にアルバイト募集をすればよいとでもの認識で、実際にオペレーションが始まってから思いつきとしかいえないスタンスで始まるのですから、悲惨としかいいようがありません。
(ほんとうの「サービスのプロ」を雇おうという認識で、あるいは実際に「プロ」を採用してオープンするレストランの如何に少ないことか、残念です。)

サービスを疎かにする勿れ。
そのリバウンドは、恐ろしいほどはっきりとしているのです。
本当のサービス教育は、大きな費用と時間がかかるのです。
実際の店舗開業に際して、このことを理解していないオーナーシェフが多すぎます。

なんといっても、飲食店の開店にはそのオーナーは料理人であることがたいていであるからです。
料理さえ出せれば、レンストランを運営できるという解釈だからです。
調理師学校は数多あれど、サービス員育成学校やその学科は未だに非常に少ないことがその事実を示しています。

私は、個人店舗に大きなサービス教育費用が捻出できるなどとは思ってません。
その「認識」がほしいといっているだけなのです。
サービスへの愛情とまではいいません、認識があるかないかでまったく結果は違ってくるからです。

料理だけでは、飲食店は成り立ちません

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?