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【2024創作大賞応募作品】はじまりの物語 第二章

あらすじ

ヘビには水を通って天上と地上を自由に行き来することができるという不思議な力がありました。昔はよく旅をしていたのに、今では水辺のほとりに立つ木の見張り番をさせられています。木の下からなにか楽しそうな声がします。この果を取ることは禁じられているのに、そんなこと気に留める様子もありません。ふと、この木の下の者どもと地上に行きたいと思いが沸いてきました。むかしの旅の記憶が蘇ってきます。それは遙か遠い昔はじめてコトバを交わしたかの者と、その血をひくこの者。それは平安といわれる時代。一緒に濃くて長い旅をした。これはそんな旅の記憶のおはなしです。


第2章



この社に連れてきたものはかの者の縁者であろう
その者とここで励むが良い

 そうだ、かの者の血族、君としたいことがあるんだ、と言っていたな。
それが天帝のいう役目なのか、なぜ天帝は知っているのだ。ヘビは社の中の襖戸に顔を向けたその時、スッとあの青年が入ってきた。

「ゆっくり休めたみたいだね」

「僕の名は一葉かずは 君のことは聞いているよ。これから僕たちの計画をきいてほしい。といっても、君と話すことができるのは僕だけだから、仲間はあとで紹介する。」

 そういって、一葉は語り始めた。かの者は一葉の曾祖父であったこと。
我へびと一緒に悩み苦しみを抱えるものに寄り添って施してきたことが評判となり裏通りにもかかわらず、宮中からも施術を請われるようになったと。

 曾祖父はその裏通りで皆で過ごしたいと宮廷に上がることは拒んだけれど
医業を極めることは役立つことだ、と祖父の代からは正式に国の典薬寮で学び医師くすしとして皇族・貴族の治療にもあたることになった。それで皇女の一人の病をなおしたことから僕が生まれたってわけ。

 宮廷に上がって国の根幹を担う偉い人の心身が健やかであれば民までも平安が訪れる。そう信じて身を粉にして頑張ってきた父は、3年前にその役目を引き継いで往ったのさ。そうあっけらかんと話す。かつて、『おもい』を引き継いだかの者はその喉元に役目が固く暗い影のように視えていた。しかし、一葉の体をじっと視るが、暗いものは一向に見当たらない。それどころか青白く心のうちから光を放っている。それに熱い。

 使命を我がものとして燃やし、進むべき道は見えている、ということか。ならば付き従うのみ、但しその覚悟は問おう。
よし、分かった。但し、条件がある。
その胸に下げたかの者との”光る玉”従った後には、我に頂こう。
「よし!いいだろう」一葉はそういって真剣な眼差しをこちらにむけた。

   もとより名も捨てるつもりだ
   自分の代でこの役目も完結させる 

「さあ、忙しくなるぞ!」
 今度は我を見たままニッと笑う。蛇の心まで熱くなった。

 しかし宮中にいたとは、。宮中にある池には何度か出たことがある。天上から水底を経て地上に出る際、ピーヒョロロロー、と流麗な音色が聞こえてくる。音のする方に引き寄せられ草陰からちらりと覗き見てみる。
 神楽にあわせて幾重にも重ねられた色鮮やかな衣を身に纏いひらひらと蝶が舞うごとき優美に舞い踊る。地上の天上とでもいうのか、そこだけ時の感覚が違う別空間のようだった。
 宮中にいたというのに、まだ青年だというのに、着るものも粗末であれば、その体も顔も痩せて骨ばっている。手などはその体のわりに大きく節くれだってゴツゴツとしている。父親が往って3年と申したか、一体どのように過ごしてきたのだ。

蛇の目が一葉のその手に向かう。ああ、と一葉も自分の胸の前にその両の手のひらをひろげじっと見つめた。これは自分一人で取り組んでいることだ
そうだなあ、話せば長くなるからこれをしながらでもいいかい、と部屋の片隅に置かれた一尺ほどの塊にかけてある白い綿布をひらりと剥いだ。

 それは一本の白木であった。
人型に丁寧に掘り進められておりもはや一体といった方がいいようだった。しかし、人と比べて頭の部分の尺がやけに長い。
 まだだ、あまねく見渡す御仏の姿にはまだまだ足りない
視線を木に向け自分の歩みをかみしめるように話し始めるのだった。




 父と祖父が医師くすしだったことはもう話したね。もう一人の祖父は今の法王宇多法王なんだ。一葉かずはという名をがつけてくれたんだよ。
 
もとより名も捨てるつもりだ、

ヘビは一葉のことばを思い出す。確かにそういった。どういうことだ、まだ状況がつかめずにいる、いったいどうやって過ごしてきたのだ。
 揺らめく炎に照らされながら一刃、一刃と力を入れすぎないよう加減して丁寧に彫りすすめていく一葉を見つめた。ここまで彫りすすめるのでさえ地上の時の流れの中では大変なことであろう。

じっくりと聞き進められるよう蛇はくるりと胴をまいて頭を床につけた。

「 一葉かずはという名はね、どこにでもいっていい、そういう意味が込められているんだ。」
 蛇は驚きを隠せずまたスックと頭をあげた。
「ああ、勘違いしないでくれよ。いたく僕を可愛がってくれてね。夜は怖くてよく寝所に入れてもらったり、」そういって一葉は思い出を語り始めた。

 まだ幼き日のこと、雨風が吹きすさび隠れるように法衣に滑り込んだその時、衣越しにもはっきりと分かる稲光りがして大きな雷鳴が轟いた。夜が明けるまで、いやこの先ずっと続くかと怖くなって、尋ねてみた。

「これは道真公の祟りなの」

祖父宇多法王はぐっと息をのんだ。少し背すじを伸ばしひとつ大きく息をすると僕のことを正面に抱きかかえるようにして膝に座らせこう尋ねた。

「一葉は道真公が怖い人だとおもうのかい」

だって、みんながいっているよ、という僕に、私の知る道真公について話しをするよそれでどう感じるかは一葉の自由だといって、朗々と声をだした。

何 人 寒 気 早いづれのひとにか かんきはやき 
寒 早 〇 〇 人 かんははやし ○○のひとに

いづれのひとにか かんき はやき
かんははやし なにがしの ひとに
もう一度、今度は問いかけるように諳んじた
どんな人が冬の凍えるような寒さを一番に感じるかい、寒さに凍えるのが早い人は・・・こんな人だよ、そんな問いから始まる漢詩というものだ。

「一葉はどんな人が寒さに凍えるのが早いと思うのだ」
考えながら真似をして諳んじる。
「いづれのひとにか かんきはやき かんははやし、膳かしわでのひと!」
どうしてそう思うと聞かれて、
「あさ、早くから水をくむでしょ、それにおさらを洗うのも手がこごえるといつもおしゃべりしているよ」と答えたら、そうか、よく見ているなと目を細めて褒めてくれる、そして一葉自身が寒さに震えるのはどんなときだ、とさらに聞く。
「冬の寒い日にいたずらをして叱られたときうすぐらい納戸に入れられて
ごはんも抜きで小さくうずくまってもちっとも温まらなかったよ。」そういうと、そうだなあ、そのとおりだと道真公について話してくれた。
 
 先ほどのは道真公が讃岐で読んだ漢詩である。

人身貧頻 じんしん ひんひん

 人の心身が貧しくてそれが続くこと、それを韻として踏んで凍えるような厳しさを詩に諳んじた。
 土地を捨てゆく者、土地を捨ててきた者は、仕事も居場所もなくて瀕。
身寄りのない孤児、子を身寄りのない孤児にするかと心痛める病の片親
寄るものがなくただ涙すること頻。
 薬草を取る者に馬の世話がかり大切な仕事にも関わらず実入りが少なく貧
船乗り 魚釣り 塩職人 老いた木こり いろんな人を心配して稲作を進めたり救護の場所を紹介したりしたんだよ。真に慈悲深く、国の在り方を常に考え言葉にする。またその言葉が軽やかでな。諳んじれば情景が浮かんでそこに真実映しとっているようだった。
 そう祖父宇多法王は道真公を評した。

 確かにそのときまでの嵐のようなどよめきはすっかり心の中を過ぎ去り、さっき教えてもらった韻をふんだ漢詩で頭の中はいっぱいだった。

「人としても優れ、詩才文才実務どれをとっても尊敬できる恩方であった。
しかし、世のため人のためになることであっても、この宮中では阻まれ妬まれ身動きが取れなくなっていく。それが悔しいのだよ。私は法曹の世界に隠れたが、一葉かずはよ、おまえは風にのってどこへでもいくがいい。」
 幼子にわかるはずもない、そう分かってはいても、幼子ぐらいにしか、この心情を語ることは許されぬ」
 そうして小さい一葉の頬をそっとなでた。



 小さき一葉が法王をぞき込んで話しかける。ねえあれを鳴らしてもいい。
そばにあった木枠をちらりとみる。膝に座った一葉のちょうど目の高さぐらいだ。木枠に円盤状の小さな鉦|《かね》がかけてある。空洞になっており中央はさらに円状に隆起している。打ち具で叩いてみるとチーンと短く音がなる。短く高く響く鉦の音は韻を刻むにちょうどいい。

 一葉はすぐに漢詩のリズムと謎かけに夢中になった。

 普段は法王が唱える念仏に合わせて鉦を打つのが僕の仕事だとでも思っていたようだが自分でしたいことを見つけだした。


一葉はその鉦(かね)が好きかと問われてうん、と答えニコッと笑った。

いづれのひとにか かんき はやき チーン

 声に出して諳んじては鉦をならす。 
「漢詩も好きか」 「うん、大好き!」
 さらに大きくニッコリ笑った。祖父宇多法王もそれをみて微笑む。
ではしっかり学べばその鉦を一葉にあげよう。

 一葉は祖母にあったことがない。母も一葉を生んですぐに亡くなったときいた。一葉が生まれたときもこんな雷鳴轟く夜だった。ほどなくして道真公の逝去の報が届いた。周りの一葉に対する奇異な目に気づいていた。学び場に出入りすることを許されたあとはその利発さより一層、噂された。

 法王がまだ臣籍にいて国の最高教育機関である大学寮で学び始めたとき文章博士として弁をとっていたのが道真公であった。自宅で開設している私塾、菅家廊下にも教えを請いに行くほど心酔していた。
天皇になって早々に阿衡の紛議にかけられ窮地の折も讃岐から駆け付け取りなしてくれた。妻の衍子をはじめ道真に連なるものを後宮に迎え入れ、姻戚関係を結び右大臣として支えを請うた。
 そんな道真公にたいする並々ならぬ思いも朝廷ではいともたやすく無下にされる。出自が知れたら一葉は、そう思い、祖父たちは一葉の母の出自は伝えずにきた。今の世では勉学や人物としていかに優れようとも政まつりごとで報われることがない。かといってこの仏への修養が報われるのか。未だ確信はない、そんな思いを打ち消すように法王は読経を続けた。

 一葉は、直接、母の出自をきいたことはない。だがきっと、自分は道真公の血を引いているに違いない、とそう思って生きてきた。



(かの者の血を引く)もう一人の祖父は大学寮では典薬寮、すなわち薬学を専攻し、そのあと。宮中に医術を施しに参内しつつも相変わらず裏通りの医師として衆生とともに過ごしていた。
 父は、母との縁により境内に住まいを設け薬房も任されるようになった。色々な薬草の芳香が入り混じる。一葉は薬房に入るのもその香りを嗅ぐのも
嫌いではなかった。生来の好奇心も手伝って色や形、匂いで薬の効能やその作り方を理解するのにそう時間はかからなかった。
 薬草が少なくなったら祖父のところに訪ねていって一緒に川辺に詰みにいくのが楽しみだった。風がそよぎ、水面が揺らめきキラキラと光る。母のいない 寂しさも優しく包み込んでくれるような気がした。
 宮中とは違って市井のものは身なりが貧しい。貧しさゆえの苦しみを多かったがあけすけにしゃべるコトバは実がこもっている。ニコニコと、なんのはなしですか、と聞き上手な好々爺の存在大きかったけどね。

 「そうそう珍しい薬酒もあったんだよ。」
とこちらを向いてニヤリとする。我へびをみるとその話をするのだな。ヘビの酒か、呑むことはあっても呑まれることなど想像もできない。人間の方もそうだ。ヘビが入ったものを飲もうだなんてよっぽと酒にはふしぎな力があるんだな。
 そんな様子をみて、さらにからかう。酒に興味がでてきたかい。昔から神への供物に欠かせない。特別な法要の時には出るかもしれないね。

 ヘビは思った。そうだ、天帝は神として畏怖をもって崇められていた。
しかし、仏とか法会とかいったいなんのことだ。それに一葉が一心に彫っているあの白木心に決めたやりたいことと関係してるのであろうか。

「さあ、今宵はここまでにしておこう。」

 一葉は固い板場に綿が痩せた薄い掛物を二枚広げ背を丸くして入り込んだ。一葉の背中に向かって久しぶりにかの者と交わしたコトバを呟いた。

オ ヤ ス ミ



次の日の朝

ザッザッ ザッザッ 
社の前を掃き清める音がして目を覚ます。玉砂利を敷き詰めているようだ。小鳥の囀り虫の声。サラサラと水の音もする。外に出ようと戸口に向かう。

「ちょっと待って!まだ出ちゃだめだ!」
 一葉は大きくはっきりと制止するように声を出した。外の男がほうきを持つ手をとめてお目覚めですか、とひょいとのぞいた。

「ああ達吉、すまないが桶に水を汲んできておくれ。」
そういって運ばれてきた桶の中にヘビはスルッと身を滑り込ませた。逃げ出すとでも思っているのか。いぶかしく様子を伺う。するとまた、ジャリジャリ ジャリジャリッと足早に誰かが来る音がする。

「おおーい、一葉できたぞ!」
 戸口に烏帽子がひっかからないよう大きな男が頭を下げて入ってくる。
貴族のような身なりだ。男が頭を上げて顔を見て驚いた。
どうしてここにいるのだ、男はこちらをみてニヤリと笑った。人間の姿に身をやつしているが間違いない、天帝の使徒ではないか。
 一葉はそんなヘビの様子に目もくれず
「道風みちかぜ!出来たのか!」と今度は弾んだ声を出した。

「ああ、見てくれ!」
道風が長筒の中から大きな紙を取り出す。どうだ、と自信げに肩ほどから両手で紙を下に垂らした。それは墨汁で描かれた天に昇るあの日の我の姿であった。身をくねらせながらも口を大きく上にあけ、雲間を突き抜け月に届くかのごとく立ち昇る。勢いまでも一枚の絵にそっくり映しこんだようだ。

「おおおおおーー!すごいよこれは!」

 一葉は両手を上げ体まで跳ねるようにしてその絵を褒めた。
キラキラと輝くように美しいというのではないが、墨の濃淡、流れるような滑らかな線、ヘビがみてもそれは見事としかいいようがない。
 しかしだ。こんな絵をしたためてやはり我を見世物にでもするつもりか。
それに道風なんて人間のなりをしているがどう見てもこやつは天帝の使徒。

 一葉はやっとヘビの方に意識を向けた。説明と紹介が必要だね。
そういって、わけを話し始めた。
「宮中にいる間、書物や大学寮での講義、僧侶の講話まで一通りのことは見聞きし学んだ。ここにいる小野道風はその指南役。神職もいる家系で見てのとおり書画に優れている。色々相談に乗ってもらう頼れる存在」
持ち上げられて、オホンと軽く道風が咳をする。

 そんな道風を横目に見て、一葉は続けた。
「そのもっぱらの相談の種というのは、唐から色々新しい文化や知識が入ってきただろう。漢詩や薬学をはじめいろいろな術がもたらされこの国の文化レベルがぐっと上がったのだけどそれで人々の暮らしが良くなったかというとそうでもないんだ。得体のしれない病に襲われたりということが頻頻と起こって、それがどうやら陰陽を妖術として使っている者たちの仕業でね。
おそらく、道真公の祟りというのもそのせいに違いない。」
「陰陽師は自分で手を下さずにヘビや他の不思議な力を持った生けるものを使うんだ。名づけられてしまうと陰陽師が死んだ後もずっと縛られる。式神と呼んでいるらしいがとても神の行いとは思えないんだよ。」

「あの日の君は、その者たちにとってなんとしても手に入れたい存在だ。
本当にあの夜君を見つけ出せてよかった。この社には道風が結界を張ってくれていたからなんとか見つからずに済んだようだ。」

大きく、息を吸って一葉がいった。

あの夜の君を写し取ったこの姿絵に これより名づけを行う

「君自身ではないから、君を縛ることにはならない。ただ君の変化した姿で あるから、君自身の護守にもなるだろうよ。」

「いいかい、道風」
「ああ、そちらもちゃんと書いてきた。」
そういってもう1枚、紙を広げた。そこには、龍という文字が力強く書かれていた。



龍 りゅう

それがこの姿絵の中の我の名前か

「水辺に訪れた者たちが不思議に気分が軽くなるという噂が聞こえてきた。
こうみえて道風はいまや朝廷の神護院のホープだからね。上から魑魅魍魎の類なら直ちに成敗と命が下ったときいて、これはあの父から伝えきいた人の『重い』を汲み取るヘビに違いない、そういって同行させてもらった。」

あの夜の君の姿
その身をよじりながらも
隆々と月に向かって昇りゆく


 これ以上ない書きコトバだと思わないかい

 絵もそうだが、コトバもそうだ。映し取る技を編み出すのが人間というのは上手であるな。しかし、この絵の方はもう一度絵をまじまじとみる。

我には手はないぞ、それにこの角はなんだ。

一葉と道風は上の方を見てヘビから目線をそらす。
「まぁそれは、人間は自分より優れたものでないと認めようとはしないから
創作さ、強そうな手だろう。」
クスクスッ と一葉が笑い、ヘビの声なぞ聞こえませんというふりをした道風が肩を震わせ笑いをこらえている。

腕はまあいい、なんだこの角は

「そうそう一葉かずは」
 白々しく咳をして、道風はわきに置いていた長い包みをほどいて見せた。
「これは神護院の3代目神鹿しんろくの雄角だ。鹿は役目を終えた角を自身で生え変わらせる。それゆえ聖なる生きものとして特別に守護される生きものだ。」
 実際に上帝からの信任もあつく聖獣に違いなかった。その雄角の中をくり抜いてある。立てれば一葉の胸のあたりまである立派な角だ。生え際の太い方がパカッと蓋になっていた。
「蛇が入れるぐらいの立派な角であろう」
また道風はこちらをみて口の端を持ち上げる。

「うん、いいかもしれない」一葉が答える。

京で少し用事を済ませたら東へ旅に出たい
「君に同行してもらいたいのだが、日照りには弱いだろう。これなら杖にもなるし巡行装束にぴったりだ。」

「それに神鹿の杖だ、旅の安全を守ってくれるさ。」道風が加えていった。



旅 とはなんだ

”京で少し用事を済ませたら東の方へ旅に出たいのだ”
一葉のコトバを反芻する。京の町、そうだ かの者と過ごしたあの裏通り
今はどんな様子なのだ。
「見に行こう、いや見てほしい」一葉は真剣な顔でヘビに向かっていった。その時、道風もあわてた様に声を出した。
「おおっと もう参内の時間だ。首尾よく行きそうか また教えてくれ。」

 また窮屈そうに身をかがめて戸口を出て、ジャリジャリッと駆け出すの音あと馬のいななきがして去っていった。一葉は、先ほどの龍の絵と楷書を大切にしまったあと木棚より違う巻紙を出して広げた。

「京で済ませておきたい用事とはこれなんだ。」
それは実際に歩きながら書いたような地図であった。近年、少雨と日照りにより干ばつがひどく、疫病も流行ったのだが薬を飲む水にもことを欠く始末
行き倒れるものも多く、川べりに打ち捨てられ、川の水も不浄になる。
 以前はきれいな川で皆が喜んで遊んでいたのにすっかり野辺として忌み嫌われ衆生は瀕するばかりなのだ。父も祖父も懸命に治療にあたったが疲れと疫病にかかってしまって同時期にこの世を去ってしまった。

なんとかしてきれいな水を整備したい

 そんなことになっていたのか、と驚いた。一葉のこの苦労したなりはそのせいであったのか。我がいつも地上で居場所としているところは木々に覆われて土壌にも水をたっぷり含んでいる。地下水脈にも通じているのだ。

一葉の広げた地図を見る限りでは木々の生い茂った場所は少なそうだ。先ほど達吉が汲んできた水はいったいどこからそう思ったところに一葉が声をかけた。ちょっと裏にきてごらん。ついていくと社の裏の木々のまた奥に四角く石が積み重ねてられていた。
縁には縄がつけられた木桶があり、中は空洞になっており薄暗そうだ。近づいてみるとヒンヤリと澄んだ空気が漂ってくる。なるほど地下水か。 

 そこではたと気が付いた。この仕組みを利用して道風も天上との行き来をしているのだな。ヘビは合点がいったという顔をした。

ほらっ、と一葉は汲み上げた水を両手ですくって蛇にかけた。
弧を描くようにキラキラと水が空を舞う。痩せてはいるがニコッと笑うと二十歳の若者らしく笑顔がまぶしい。


 地上と天上を行き来する人間から見たら特別な存在であるヘビも、水がなければ生きてはいけない。それは人であってもヘビであっても同じこと。雨を降らすなんてことはヘビであってもましてや天上の上帝であってもできぬこと。木々があって大地があってその均衡が崩れたときに気象が乱れる。

「君に会えて良かったというのは、あのコトバによる浄化だけではないよ
伝え聞いた君とこうして過ごしてみるのが夢だった」

「それとこれはお願いだ。京に、衆生が暮らす場所になるべくたくさんの井戸を作りたい。自然の均衡の内で地下水脈のある場所を教えてほしい。」

 蛇はすこし間をおいた。地表に接していれば水脈は感じることができる。だが砂利道を腹をつけて進むとなるとあっという間に涸びてしまう。
さきほどの道風の口の端をあげた笑みの意味が分かった。
それも天の意思ということか。いいだろう。まずは神鹿の杖に入る練習をしなくては。その前にもう少し水浴びをしてからな。
蛇はそう一葉に向かって投げかけた。


 冷たい水は気持ち良い。一葉も手ぬぐいを濡らしてきれいに身を清める。社に入り今度は膳の用意をする。朝と夕だけの質素な食事だ。
 御仏の御蔭いただきます、一葉の掛け声に達吉も一緒に合掌する。わずかばかりのあわやひえ、裏で取れた草を混ぜてかゆにしたものを箸で食べる。   丁寧な所作だ。望めば先程の道風のようにもなれたであろうに出自のせいか それとも自ら選んだ道か。膳を下げて、一葉はさあ、とヘビに声をかけた。
神鹿の杖の居心地は思ったより悪くない。
外の様子が伺えるよう目の来る当たりに覗き穴がしつらえてあった。

 膝より少し長い質素な白衣に地図と筆具をいれた頭陀袋を肩からかける。
頭には笠 足には草履 どう見ても立派な御角とは不釣り合いだが、きりっと引き締まった口元と穏やかで澄んだ瞳からは気品と風格が漂っていた。

 社は町のはずれにあった。以前のかの者や一葉の祖父が住んでいた場所は
街並みは自体はあまり変わりがなかったが貧しい身なりの成人が目に付く。
寒さだけでなく暑気も堪える、今年も暑くなりそうだ 急がなければ。
一葉は杖の先を少しだけ地表にするようにして行脚した。

 水脈だ。蛇はそう感じて杖の蓋をコンとあごの先で押し上げ合図する。
 一葉はそれを正確に地図に落とし込みその日のうちに達吉に屋敷にもっていくよう言付ける。そうこうして、都を隈なく行脚するうちにもすでに合図した場所には次々と人足達が集まり井戸づくりを始めるのだった。
 達吉はいったいどこの御屋敷にいっているのだろう。首尾よくいきそうか 教えてくれ といっていたので道風であろう、ヘビはそう思った。



 夏はすぐそこであった。すべてではないが、早くに着工したものはもう井戸ができあがっている。こどもに背中を緒ぶった母親、老親の世話をする中年男、下の兄妹の面倒を見つつ一緒にはしゃぎぐ子供たち。

 近くに水場ができて皆が喜び礼をいう。
「力を合わせて掘ってくれたおかげだよ。」一葉はそう言ってはにかんだ。好かれているのだな、と蛇もうれしくなる。一葉との毎日でかの者を思い出して寂しくなることも少なくなった。

「おおーーーい、出来たなあ」
公家を乗せた馬が2頭、井戸の手前で止まる。一人は、道風。手網を握りながらもう1人が馬に水を上げてくれ、と達吉に声をかけた。達吉は深々と頭を下げて馬を引き水を飲まにいく。

「順調だな、一葉。これで出発前の心残りもなくなったか」
そう問いかけた男は、藤原実頼ふじわらのさねよりである。
藤原家から宇多天皇に嫁いだ女御の子息で一葉のいとこだ。一葉より8つ年上の28歳。それほど長身ではないが顔も体もバランスが良い。
井戸の周りの女子連中の視線がみな実頼に向けられ実頼と一つしか変わらない道風は少し不満げだ。
「さすが藤原家のお坊ちゃんですな」と道風はからかった。
「よせ、藤原家といえど様々だ。天下の権勢から外れたしがない身分よ。」
そうはいうものの、実頼自身にもそれなりの財力があり、公にはせず、この井戸づくりもひそかに資金を援助くれている。
(一葉の旅にも持たせてやれるし、道風の小野の一族は各地で任を務めているから頼る先もあるだろう)そう心のなかで思っていた。

「そうだなぁ、明日には立とうと思う。」
そうか、では今宵は出立前のお祝いだ。馳走は社に運ばせる。
夕刻また会おう。そう言って実頼と道風はまた馬にのって駆けて行った。
「実頼の使いが来る前に社に戻って準備をしておくれ。」
一葉は達吉にそう頼み、神鹿の杖をもって歩き始めた。向かった先は、山間にある例の水辺であった。かの者もよく座っていた大きく地表に隆起した木の根っこに腰をかける。

一葉は杖を横にして
「さあ出てきていいよ。」とヘビに声をかけた。木の葉がさわさわそよぐ、へびは水辺に近づき湿った土の感触を楽しんでから水に入った。
キラキラと光る水面を眺めてから一葉の方を向く。
 井戸の目途がついたからか、少し脱力しているようだ。ふっとのど元に黒いものを感じる。ヘビの心配に気づいたのか、一葉は語り始めた。
「これからの旅は、仏に通じる道への旅、一葉 という名を捨てるというのもそのためだ。しかし、捨てきれない思いと本当にそれで衆生が救えるのか、
仏の道とはそんな力があるのか、信じきれない思いもあるのだ。君にこの”おもい”を取り出してもらってもいいだろうか。」
 ヘビは達吉たちのしぐさを学んで頭をコクリコクリと2度さげた。

ただし、コトバ はなんのはなしですかではない
南無阿弥陀仏(ナムアミダブツ)だ


ナ ム  ア ミ  ダ  ブ ツ

ナ ム  ア ミ  ダ  ブ ツ

 頭のなかでイメージする。もともと ナンノハナシデスカ だって上手くは声にだせたりしていない。用意はいいよ、というようにもう一度コクッと頭を下げたあと一葉をまっすぐに見つめた。

南無阿弥陀仏 (ナムアミダブツ)

一葉が手を合わせ南無阿弥陀仏と小さく声に出した

ナ ム  ア ミ  ダ  ブ ツ

ヘビがそれに呼応する。すると、ポンッと一葉から「おもい」が飛び込んできた。ほんのりあったかく、口から出した玉は、水色がかったきれいな透き通った玉だった。


我にとっては”呑んで””出す”ただ、それだけのこと

 あとのきれいな玉を眺めて晴れやかな気持ちになることはあったが、一葉のいう”浄化”という行いはヘビとって、取るに足りないことだった。それにしても一葉の”おもい”から出た玉はキレイだ。ヘビはきらきら光るその透明な玉をうっとり眺めた。

 一葉はというと、もう2回、合唱して呟いた。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

ああーーー、すっきりした。そのあとは堰を切ったように語りだした。

「なんか もうずっとうじうじ考えていたんだ。母の出自をしらなくて。
もしかして道真公の一族で。もしかしたら出産のときには死んでなくて。
道真公の夫人たちの都追放で一緒に東国に追い出されたんじゃないかって。
僕だけぬくぬくと宮中で過ごし、勉学に励んでもまつりごとには加われない
励んだところで嫉妬や何かで失脚するのは目に見えている。」

「医師として勤めることも考えたよ。でも宮中でも治せない病の果てにすがるのは仏僧で豪奢な寄進をうける。市井においては、薬を飲む水さえ事欠き栄養をつけようにも食べるものにもありつけないのになんだかなぁって。」

 いつもの一葉らしくなく、どんどんとコトバがついて出てくる。本当の気持ちをずっと押し殺していたのだろう。ひとしきり語ったあと真剣な顔になって言葉を続けた。

「そんなときに思い出すのは幼き日にきいた(道真公の)寒中十首だ。
貧しき人を貧しきままに、どうしてそうなるのか背景にまで思いをはせて映し取る、ただの詩なのに、その温かい眼差しを思い起こして心が熱くなる。貧しき人に目を向けて救いたい、そのときから仏法に目を向け始めた。」

 「16になる年に、父と祖父からあの光る玉を渡された。君の なんのはなしですかという受け取りと浄化ののふしぎな話とともに。仏教では南無阿弥陀仏と唱えると仏様が救ってくれるというんだ。それが”なんのはなしですか”のコトバで君がおもい”を取り出すことに似てるなんて、なんとなくだけど不思議とそんなことが浮かんでね。僕は コトバの力でみんなの”おもい”を映し取し心を癒すすべをひろめたい。
 
そのすべが仏の道で得られるのならその道を進んでいきたい。

『なんのはなしですか』と『なむ あみ だぶつ』
 なんだか似ているとおもわないかい。共通するのならきっと、それは信じるに足ることだ。それをやってみたい。見守っていてくれ。
 それにね、やっぱり、僕の中には、母への思慕、ひいては菅原一族に対する断ち切れない思いがある。この旅でそんな己に向き合いたい、それは東国に旅することだ。法王もこの行脚には喜んで資金を出してくれるかもしれないしね。区切りがついたら衆生のために全力を尽くすさ。」

たくましいものだ。みな『おもい』をだしたものはたくましい。
出したはずなのに、そのままそっくり『受け入れる』やるだけやるさ、だめならさっぱりあきらめるそんな軽さを持っている。

旅か、どんなところに行くのだろう。少しばかり楽しみになってきた。

ただ、仏の道は神護役の道風(みちかぜ)はどういうだろう。
上帝のことがふと浮かんで蛇は少し寒気がした。


 社に戻るともう道風と実頼は社にきていた。昼間は汗ばむぐらいの陽気だが日が落ちると涼しかった。風にあたりながら食そうか。社は小さいものであったがそれでも通りからは十分に距離をとってぐるっと木々も植えてあった。その辺は、天上の使徒でもあり地上でも神護院に属する道風の領域だ。    色々な意味でしっかり守りが固められ、安心してしゃべることのできる場所であった。
 一葉たちが外の腰掛けで話をはじめた後、ヘビはこそっと社の中に入ってすみの方で丸くなった。ときおり聞こえてくる笑い声、ガヤガヤとした
雰囲気が心地よかった。
「いやー、少し飲みすぎた。少し休んでくるよ。」
そう声がして道風が社の中に入ってきた。

 道風は天帝の使徒でありヘビと話が通ずる。酒か、そう投げかけると
「ああ、酒はいいぞ。軽く陽気な気分になる。昔から神への貢ぎ物に入っているしな。天帝も気分が良くなって時折ふるまってくれるのさ。」
「ほらお前さんにも、」
 そう言って白い盃をヘビに差し出した。あの瓶に入った薬酒を思い出すが目の前の水のように澄んだ酒はふんわりといいかおりが漂ってきた。
「お前さんもお龍様だもんな、神の聖獣といっても過言ではない。一葉をしっかり守ってやれよ。」
 ヘビはわかってる、と言わんばかりに舌をだし、そのついでにといった感じでチロチロッ、と酒を舐めた。なんとも言えないふくよかさ、酒とは美味しいものだな。ヘビはペコリと頭を下げた。
 それににしても、一葉のいう仏とやらの道。この国は神が納めていたのではないのか、
道風がいう。
「まぁそうだったんだが、ここ何十年かの間に大陸から仏教がやってきて。
まあ、その教えも結局意味するところは天上世界と人間の世の理ことわりだろうっていうので容認する方向になったんだよ。ただもともとの神も大事にしてくれよ、と今は神も仏も一緒に奉る神仏習合の時代ってわけ。」

「一葉が帰ってきたらこの社にも仏をおいてついでにあの龍の絵も奉ってやろう。なにせ、いい出来栄えだからな、」
カッカッカッと大きな口をあけて笑った。


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