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【2024創作大賞応募作品】はじまりの物語 第三章 ー完ー

あらすじ

ヘビには水を通って天上と地上を自由に行き来することができるという不思議な力がありました。昔はよく旅をしていたのに、今では水辺のほとりに立つ木の見張り番をさせられています。木の下からなにか楽しそうな声がします。この果を取ることは禁じられているのに、そんなこと気に留める様子もありません。ふと、この木の下の者どもと地上に行きたいと思いが沸いてきました。むかしの旅の記憶が蘇ってきます。それは遙か遠い昔はじめてコトバを交わしたかの者と、その血をひくこの者。それは平安といわれる時代。一緒に濃くて長い旅をした。これはそんな旅の記憶のおはなしです。

第3章




「ちゃんと持ったか」
旅立ちの朝、そのまま社で一夜を過ごした道風が心配そうに声をかける。

 これから向かう先は尾張の国分寺。もちろん、国の鎮護のための神護院の管轄社寺だ。尾張は畿内と東国を結ぶ重要な要所である。そこの国府の任を道風の父が担っているときに、道風は生まれ12になるまでそこで過ごした。
 偉い仏僧のもとで修業したわけではない一葉だがそこなら馴染みの任官や僧侶に口添えできる。一葉には駅路と要所を記した地図と尾張国府と国分寺僧侶にあてた書を持たせていた。

「実頼と私あてに手紙も忘れずにな」と念を押す。
 生活のための荷はできるだけ抑えたが道風の書と文筆具の他に大事なものがあった。綿布で丁寧にくるんだ彫りかけの白木、祖父、法王から譲り受けた鉦かねと撞木しょうもく。背負い紐をつけた竹篭に入れた荷をもう一度確かめ、よし、とその肩にかけた。

 細い肩には、ずしり、と重い。しかし、そうとは感じないぐらい足取りは軽かった。行ってくる、いうより早くはじめの一歩を踏み出していた。
もちろん、手には神鹿の杖を持って。
 水脈を探すときは杖に入っていたヘビも、旅の間は背中の篭に入ってあたりを見回す。道中、人里にある田畑は荒れていたが山間は緑豊かでいくら見ても見飽きることがなかった。

 五幾七道、地方に通ずる道に駅場が整備され国府に行くにはその道沿いを行くのが近道だ。一葉は、まず先にきちんと僧位を得なければ、と景色を楽しむ余裕などなく急ぎ足で、山城、近江を抜け尾張へと進んでいった。
 尾張国分寺は大きくヘビのように蛇行する川の近く小高い丘になった場所に立っていた。一葉の目の前にある国分寺はもとは願興寺という飛鳥の流れを汲む寺である。以前の国分寺の失火により国分寺となったのだが宮中にいた一葉も遠目に見ても息を飲むほどの荘厳な造りであった。

 一旦、国府に逗留したあと取り次ぎを待ちいよいよ入門を許された。

ー延長元年4月25日ー
小野道風、藤原実頼にあてた手紙

晴れて得度を受ける
法名は、一水  いっすい 
自分で法名を申し出ることは前例がないことだけど
道風の命名願いの一筆により受理頂いた
さすが道風の故郷、書才、画才の栄達が轟いている
道真公の右大臣復位の日に出家できて嬉しい
剃髪して法衣も頂いた
これより東国巡行に向かう
不安はない、阿弥陀仏が一緒だ

文をしたためて感慨に浸る。一水いっすいは自分で考えた僧名だ。

海ならず たたえる水の底までに
きよき心は月ぞてらさむ

菅原道真  大鏡 古今和歌集
 

海のようにどんなに深い水底であっても
水のように清く澄んだ心でいれば月が照らしてくれる

 左遷で下る道すがら、同情の念をこらえきれない播磨の世話役をなだめるかのように道真公はそう和歌を詠んだ。漢詩に通じ、詩情というものを和歌にして浸透させた。難しいものを難しいままにするのではなく、人々に親しみ受け入れられるよう心を砕いた人物でもある。

 修行を終えて今改めて思う。清く澄んだ水でありたい、月のように光る玉のような一滴の水。空くうにありて、清濁水中にある衆十を水鏡のように映し出し天の光を届けたい。
 いや、届けるのではない、届いているのだということを伝えていくのだ。

月を見上げるように、南無阿弥陀仏と唱えると
阿弥陀如来の光を受けた月のような観音菩薩が優しく人々を映しだす。
そして映し出された姿は浄土に届く。

 修行を終えてそのように感じるようになっていた。
ヘビがおもいを出した後のまるい光る玉の存在がそれに確信を与えていた。

次は東国だ、新たに一水いっすいの旅が始まった。



尾張を出て三河 遠江 駿河 の後 甲斐にも足を延ばす。笠と法衣を身に纏い胸からみぞおちにかけて下げた鉦を撞木で打ち鳴らす。
 阿弥陀仏の称名を唱えながらの遊行である。
 街道の大きな国府は通ったに違いない。菅原に類するものがいないか気にかけながらもその地の風土や人の営みを直に感じる。

ヘビと出会う前は播磨や阿波 讃岐 土佐と修養のために行脚していた。

 都から離れれば離れるほど未開であろうと思っていたが都とも遜色ないぐらいの荘厳な寺社や金が張り巡らされた仏にも驚きもした。都では貴い身分というものとそれ以外の垣根が高く庶民が仏の像を見る機会などない。
 衆生のための仏像を作る、その衆生をあまねく映す仏の顔とはいったい、自らが彫る仏の表情に答えがでないまま旅は続いていく。

 延長4年は機縁に恵まれた年であった。

常陸の国は男でも女でも馬に乗り闊達だ
それに情が深く下のものを交えて酒を飲む
平将門はその名のとおり堂々としたものだが
同じ生まれ年の縁だと游行の身ながらもう幾月かそばにいる
南無阿弥陀仏の称名に観応して市中同行するものあり

先般は常陸介として菅原景行どのが着任された
この地が大層気に入り道真公をまつる計画がある
浄土に向かって祈りたい   
         常陸に       一水

 泣いたり笑ったり怒ったり、仏門修行中、感情を声に乗せて高らかに発することは慎むべきことでありほとんど見ることがなかった。

生命を高らかに宣言する、その生宣りいのりを前にして一水はわき出ずる感情をしっかり自分の中に落としこんでいく。

 別れが近づくにつれて、一緒に行かせてくれというものが幾人も現れた。
将門は別れがたいようだったが、往け、またいつか会おう。そういって馬も与えてくれた。ありがたい。

 いよいよ東国の最終地、陸奥に入る。最終にして最大の地。
たくさんの郡に分かれているが、人里はというと密集しているわけではない
馬を与えてもらったことが大層助かった。平将門は自分のことを道真公の生まれ変わりと信じて、それを高らかに宣言していた。
常陸以降、同行してくれている者たちも、道真公の夫人の行方をたどることは将門への恩義を返すこと、そういって聞いた話を全て伝えてくれた。

ついに平泉に入った
平安京につぐ第二の都市、要所であるということが
よく分かる、自然の景勝なるものはそれ以上だ
両岸にそそり立つ岸壁は下にいくほど丸みを帯びて
水の勢いを止めることをしない
遠目には木々の緑と空の青を混ぜたような深い翠を
しているが、近くで見ると透明の水しぶきが光り
絶えることなく流れ来る
道風のように詩才がないのが悔やまれる
渓谷の上流よりまだ東にいった小高い丘に
菅原姓を名乗るものがいるという
ついにここまできた

 ここまで書いて筆が止まる。もし違っていたら、もしそうであっても、その時の自分は、思慕する気持ちか憐憫の情を抱くのか。それは誰に向けた憐憫なのか。目的を果たしたら水のような清らかな心の境地が訪れるのか。
とりあえずここまでやってこれた。明日もまた一歩踏みしめるだけだ。

 ヘビはそんな一水に付き従う。
 慰めも励ましもしない。自然も心も移ろいがあっていい、それをみていることが好きだ。明日も一緒にいられる。

オ ヤ ス ミ

そう小さくつぶやき目をとじた。



 朝の澄んだ空気がヒンヤリと頬と射す。一水|《いっすい》は神鹿の杖を突きながら谷の分岐の手前で東に位置する丘に向かって足を進める。ぽつんとひとつ民家がありその前で薪をわる一人の男がいた。

「はるか西の京の都より浄土へ至る阿弥陀を唱え、巡行していたらここに至りました。どこにも属さぬ根なしの游行僧です。阿弥陀仏を唱えさせてはいただけませんか。」
 男は、そういう一水の顔をぱっと顔を上げて中に案内してくれた。
「これからあさげをお供えするところです。さあ、どうぞ、ご一緒に。」

 よく掃き清められてはいるが、屋敷というには小さい菅原を名乗るものがいると聞いてやってきたのだが、間違いであろうか。有難く施しを受け、主人について尋ねてみる。

 名を菅原山城すがわらのやましろといった。
「ここの主は紀長谷雄きのはせおの妻であり3人のこどもを連れて京より移り住みました。私は、その従者です。お子様たちはそれぞれ別に住まいを持たれましたが奥様はここで過ごし、今この上の丘に眠ります。」
「奥様は仏様を信仰しておりました。どうぞご説法をお願いいたします。」
とそういって深々と頭を下げた。

 一水は息を飲んだ。『紀長谷雄』は道真公の門人であり文章博士である。
典薬頭も務め上げ医薬に詳しく一説には『竹取物語』の著者との話もある。
 大宰府で道真公の今際に立ち会ったほどの仲であると聞く。間違いはない、ここで眠る方は道真公の奥方様だ。
(そしてそれは私が探していた母に連なる方でもあるかもしれない)

 湧き上がる興奮を気取られないように 少し間をおいていった。

「これも何かのご縁に違いありません。ぜひ墓所へとご案内下さい。
阿弥陀仏の御真言に加え貴人への言葉を手向けとうございます。何か、逸話や生前に大事にされておりましたものはありましょうか。」

 その問いかけにそうだ、と大切に棚に飾っている一冊の書を取ってくる。
「私は、文字は読めません。でも奥方様は朝な夕なと手に取って大切に読み
撫でるようにまた棚に戻した後は墓所である丘の上に立たれておりました。ぜひその中から読んで差し上げては下さいませんか。」

 書の表には『菅家後集』と書いてある。手にすると読みこまれたであろう頁がはらりと開く。

『代月答』
蓂發桂香半且圓
三千世界一周天
天廻玄鑑雲将霽
唯是西行不左遷

蓂發きめいひらき桂かつら 香かぐはしくして
半なかば 圓まどかならむとす
三千世界さむぜんせかい一周ひとめぐりする天そら
天てん 玄げん鑑かむを廻めぐらして
雲 将まさに霽はれむとす
唯ただ 是これ 西に行くなり 左遷させんならじ

新編日本古典文学全集出典 参

月に問いかける人よ
私の世界では暦草が花開き、月の中の桂樹が香る。月はようやく半円だ。
月に問いかける人よ
私は三千大千世界の天を一巡りしているのだ。天鏡は私をおおっていた雲をまさに取り払わんとする。
月に問いかける人よ
今この地にいるのは左遷ではない。三千大世界において今は西に行く、そう定まっていただけなのだ。

 ただ、文章の天才といわれ知識が豊富なだけの人物ではない。漢詩においてもその風景、詩情、その仏教的思想の美を寸分たがわず読取り、また自身でも詠むことができたのだ。妻もまた、これを詠み我が心情を汲み取ってくれるはず。そして詩を送る。その深きつながりに胸を突き動かされた。

 夫人の眠る小高い丘で、深々と礼をし掌を合わせ経と詩を読誦した。
自分の声が胸の内でも大きく響き熱を帯びる。私はここに来ましたよ、そういう想いも入っていた。もう一度深々と礼をしたあと顔をあげる。
 小さな五輪塔が両脇にふたつ、真ん中に墓石のみ。
 「もとは身分のある高貴な方であったとお見受けするが、どこぞの寺院に寄せることは考えなされませんでしたか。」

「奥方様は私が死んだのちは吉祥女としてこの丘この場所に埋葬を望まれました。この場所からあの人を見ていたいのです。囲いなどしないでくださいね。くれぐれも頼みましたよ、との遺言でありました。」
そう山城は涙ぐんで答えた。
 どこかを見ていたのか。一水は墓の横で向きを変え、丘から見下ろす。

 山城が手をかざす。
「あちらです、あの渓谷の分岐点、岩崖が丘陵尾根となっている先端に寺があるのです。日中はあちらに詣でることが奥様の常でした。」

そこに行ってみよう

「しばらくこの地に逗留予定です。どうか、こちらに参って経を上げさせていただくことお許し願いたい。」とそう山城に伝えて礼をした。

山城もまた手を合わせ深々と礼をするのであった。




 この丘から見える先に寺がある。でもそこに何があるのだろうか。
下りの道は木々の隙間から差し込む光が苔の水滴をキラキラと照らし出す。
逸る気持ちと裏腹に足元を見ながら一歩ずつ下っていく。
 
 谷の分岐までやってくる。このような場所にも経路が整えられている。
こんな地まで朝廷とはすごいものだな、一水はそう思った。この陸奥の国は百年もたたない昔は蝦夷が住んでいた。それを遠征して平らげたのだ。
 征夷大将軍 坂上田村麻呂、生まれた御世は道真公より早いが文の菅原道真、武の坂上田村麻呂と称される。確か、清水寺も創建したはず。

 渓谷の分岐、丘陵尾根の先端部に突如として寺が現れる。名を達谷西光寺という。城内は東西に広く、西側には高く高くそそり立つ岸壁を利用した懸づくりの窟堂となっている。それも簡易なものではない。九間四面の朱色の厳かな精舎。清水寺の舞台が眼前に現れたような錯覚を興す。

 西光寺の僧に挨拶をしたあと、堂の中を案内していただいて驚く。おびただしい数の毘沙門天像、その数なんと108である。毘沙門天は四天王の一人で最強の武人であると同時に全ての事を一切聞き漏らさない知恵者という。
 祖父法王より、天才と誉れ高い道真公であっても文章試験の前は毘沙門天に祈ったそうだと教えられた。そして道真公の幼い頃は吉祥丸だったとも話してくれた。
 毘沙門天と吉祥天女は夫婦である
道真公の奥の方は、みずからを同じ吉祥と名乗り吉祥天女の伴侶である毘沙門天を西に仰ぐ。なんという繋がりだろう。

蓂發き桂 香しくして半 圓ならむとす
三千世界一周する天
天 玄 鑑を廻らして
雲 将に霽れむとす唯 是西に行くなり左遷ならじ

 ここは吉祥女と毘沙門天の約束の地であったのか。時の磁力に抗えぬ三千世界では分かたれるとすれども、涅槃では一緒であるから気には留めていない、君はそれを覚えているだろうか。この漢詩にはそんな思いも込められてはいないだろうか。
 骨などは心のまま葬ってくれと息子に託し心は妻の待つ地に飛んでくる。 東から吹き来る梅の香を頼りにして。一水の目が熱くなった。
 互いの絆を信じ、あの世に希望を感じ言葉を紡ぐ。人の心というのはなんと深くてあたたかい。そして今生の後に浄土があるということはなんと優しく幸せなことだろう。

108ある毘沙門天像の顔もよく見ると一つ一つが異なっている。
 自身の彫っている衆生のための一躯の仏像みなの表情をひとつ残らず映し取りたい。やはり作るべきは十一面観音像だ。できる、そう思った。
うしろの面は未練なぞ残さず大笑いして涅槃に旅立とうとする清々しいお顔にしよう。じっくり腰を据えてこの地で彫ろう。

 寺の一室を間借りして、一心は無心に完成に向かって彫り進めた。
 ヘビはゆらめくロウソクの明かりと一水の背中を見つめていた。




延長8年年4月25日

達谷西光寺に身を寄せてもうすぐ1年
梅の花のかぐわしい芳香に去りがたし
山城方恒例、道真公の復位の日を祝う梅見会に
今宵招かれていってきた
菅公夫人に付き従って京より下った親族も集まり
そのうちひとりは平泉の医師に嫁いだという
菅公夫人をここまでお連れした
典薬頭も務めた かの紀長谷雄 公より
中国の医薬典『神農草本経』の副書を戴いたが
漢語は難しくて分からないと和訳を頼まれた
和コトバ(ひらがな)の普及はその後どうだ
書物も和コトバで書かれたものが必要だ
仏の教えも『なもあみたふ』と節をつけて
和讃称名するのみと昇化する
意味するところは仏とし、
その像をこちらから出向いて見せて目と耳を傾ける、
その実践のみが証明であるとの境地にいたる
昼間は仏とともに游行しつつ
書物を読み解き和コトバに記しなおすこととする
それが終われば京に帰る

 筆をおいて今宵の宴を思い出す。母かもしれない、と思い続けてきた方々を前にしてもふしぎと心乱れることはなかった。今生での縁は薄くともここまで至ったきっかけを与えてくれた。ふくよかなる人生だ。

今生での縁、浄土では丸くひとつとなる円

円と思い浮かべて、そうだ、君も大切だよ、と酒宴での酒を前に置いた。
ヘビは、うれしそうな一水をみながらチロチロッと酒をなめた。

 それにしてもこの書にある『烏梅うばい』青梅を素早く燻製にしてカラカラにした漢方薬だ。父の薬房にも置いてあった。感冒や腹下しに薬効があるが、高価で希少なものなので市井では使えない、というのでこの国では作ることができないの、と聞いてみたことがある。

「どうも中国の梅と違って酸が強く同じ作り方をしてもとても煎じて飲めるものではないのだ。もう少し柔らかくふくよかであればと思うが保存がまた
難しくてね。」と残念そうに肩をすくめた姿が思い浮かぶ。宴席でみた医師(くすし)であるというそのご仁。朗らかな笑い顔がどことなく父に似ていたからか、思いだす父も鮮やかであった。

 東国の冬は長く厳しい。食べ物を貯蔵しておくため塩漬けという手段をよく使う。ひょっとすると ひょっとするのではないか。

夏が来る前には京に戻る
実頼、塩をたくさん用意しておいてほしい

 一水は文にそう付け加えた。
 本当は菅公夫人の墓を京に遷してやれないかとそう思ってやってきた。
そのための金子(きんす)も十分に用意して。だが、それは菅公夫人と道真公、どちらにとっても意に染まぬことらしい。梅の実を買い取るといえばその代として受け取ってもらえるだろう。
 それに華やかさの裏で貴賤と厄災甚だしい京の都がいいとも限らない。京の民のことも気がかりだ。この地ですべきことをして京に戻ろう。

 一水は、房にすっくと立った11の顔をもつ観音像に向かい直った。

南無阿弥陀仏

どうぞ役目が果たせますように。ただそれだけを祈るのであった。



7月、山城方の梅の木にたくさん果が実った。

 ゆすり落として落ちたその実を井戸の水で洗う。こっそり影に木桶を用意しヘビもしばし水浴びを楽しむ。冷たく澄んだ水が気持ちがいい。
どうだ、いい水脈であろうと誇らしげに頭を上げた。
 
 そこに山城の声がする。
「一水様、本当にこのような井戸まで設えて下さりありがとうございます。
これからこの梅の木も増やしていきましょう。果が成れば、毎年京まで送りましょう。」
 十分すぎるほどの金子をいただき奥方様の持っていた書物もわかりやすく直して記しコトバまで教えてくれた。この申し出は決して過ぎたものではない、山城はそう思っていた。

「有難き申し出、慎んで感謝いたします。精進なされてのお布施、浄土にわたる徳として仏さまもきっとお喜びになります。」
一水はそう深々と頭をさげた。
 汗ばむ仕事だ、それとも井戸の水が跳ねたのか、山城は手ぬぐいを大きく広げ両手で顔を覆って拭う。

「その際の願い事、ひとつ聞き入れて下さいますか。今からこの洗った梅の果、水気を拭きとりむしろに広げ天日で3日3晩乾かします。そこまでして送っていただきたい。」
 一水の申し入れに大きく頷いて、山城もまた深々と頭をさげた。梅の実が乾いてすぐ、一水は東国を出発した。ここでの日々、道中の思い出も蘇る。

 将門はどうしているだろうか、奥州から一緒に陸奥に入った者たちは、各々陸奥で游行し自分の役目を見つけていった。馬はその者たちと一緒だ。                駅場から駅場へ馬と人足をつないでもらい京へと急いで帰り着いた。  

 京では道風が出迎えてくれた。さて、私たちの社に帰ろう。そう籠の中のヘビに声をかける。しかし、着いて驚いた。社の前の大きな境内に、畳敷きの大広間を備えた道場ができていた。あの龍の絵は襖にして飾られている。

 畳の下にはすでに塩とたくさんの壺が用意されていた。
 実頼か、会って礼がいいたいが今はすまないと感謝の念を心に刻む。
 道風はというと襖の前で、どうだといわんばかりに鼻を広げ、あとはあそこに訓律でも表装して飾るといいのだが。
「一水なにかあるか。」と声をかけた。

「ありがたい。」そういって篭の中から筆文を取り出し広げた。


 ただ、一粒の水であろうとも 空にあれば皆を映す鏡となる
 信心を揺さぶり起こすには自らがきれいな玉でなければならない、
そう思い菩薩が涅槃に渡るために納める6つの徳を自らに課して励んできた

「このコトバをそこに掛けたい」

今生に生きる実在としても天上の使徒としても道風は一水を眩くまばゆく見つめた。ただ一人の顕在に限りある身でありながらその御玉には、人の善き所を映し輝いている。

ヘビはそんな道風をみて当然だ、とよろこんだ。

  

   ー六波羅蜜(ろくはらみつ)ー
(布施)(持戒)(忍辱)(精進)(禅定)(智慧)

仏教用語

「こう短く記しても良い」

 それを聞いた道風はなあに、広い道場だ両方書いて掛けようぜ、と文机と筆具を取りだした。
「そうか、写経場か、そうするのが一番いいな。」感心して一水がいう。
「何をいまさら、そのつもりで作ったに決まっているだろうが」
ガッハッハッと豪快に笑い飛ばして道風は答えるのであった。





夕刻となり、一葉さま お帰りで、と達吉が炊事場の方から入ってきた。
触れれば熱が伝わってきそうな日焼けした肌、頭はあの達谷の岩崖のように白灰色をしている。達吉の方も丸く剃髪した頭に目をやりようこそご無事で帰られましたと涙を浮かべた。

「留守の間はどうであった。」と尋ねると
「変わらずでございます。耕作地を手放して地方からくるもの多数。瀕して京を出るものも多数。商人は自分が利することばかりでその利を狙って賊が押し入る。その繰り返しですが、実頼様のご援助もあり井戸へ水仕事に来るものを手伝い、わずかばかりではありますが米を混ぜて炊いた飯を配ってもおります。」

「あっ、きちんと井戸をこしらえて下さった一水様から、ひいては仏様からの有難い施しですとお伝え申しておりますよ。」、そう達吉は付け加えた。

井戸もみなで掘ったもの、食べものにしても援助とみなの苦労があってこそ
みなに仏の慈悲の心があってこそ、自身が助けられてきたことを思い返す。

「よし、さっそく明日から市にでる。その前に達吉、この梅を塩漬けにしておきたい、手伝ってくれ。」とそう言った

1年目の梅は3つ仕込みをした。少しずつ塩の加減を変えるためだ。
京は東国より気温も湿度も高い。盆地になっているから余計にそうだ。
空気も抜けにくく死者が多いと空気も澱む。流行り病に効くといいのだが。
梅の出来栄えを祈りながら、壺を畳の下に戻した。

延長8年9月29日
 京に戻り、一月が過ぎる頃、道場に醍醐天皇崩御の知らせが届く。
 役人は一緒にお出でになりご法要をと支度を待つ。法衣を身に着け、頂いた鉦と撞木を用意する。おいで、と杖にへびを手招きした。
一緒に浄土を願おう。それに子に先立たれ法王もさぞご心痛であろう。
 もっともその子に早々と天皇の地位を譲り渡し出家した法王である。
若くして天皇となった醍醐天皇は不安もあっただろう。周囲の讒言に道真公の大宰府左遷を敢行したことも親子関係に禍根を残した。

 すべてはただ在り、過ぎたこと、許すも許さないもない
 出家したときに頂いたきりの色褪せた法衣それでもきちんと手入れを怠らずにいた。役人と共に向かった先、宮中で実頼が待っていた。東国から戻ってから一度もあってない。久しぶりの再会に喜ぶものの天皇の崩御に際して
表情を押し込めて実頼は一水を迎え入れた。

 「天の乱れも相変わらず続き、4月の落雷以降すっかり気力を失くされ、臥せることが多くあった。ある程度は予想していたけれど、ここにきてさらにご容態がひどくなりその対応に追われていてね。さすがに現役の天皇が若く崩御したとあっては民の動揺と朝廷に対する不安もひどかろう。崩御を次の朱雀帝に即位した後との工作もてんやわんやさ。」

 そう小声で話し広間に通された。前の方には祖父、宇多法王の姿も見える。比叡山、高野山、山で修養を積み重ねている僧侶たちに混ざり末席ながら心を込めて読経した。それぞれの声色が混ざり合い大きなうねりとなって天に昇っていくような不思議な一体感を味わった。
 
天皇という一人の生身の人間の生が終わったことに対する供養である。

衆生にも皆でこのような経があげられないか、いや衆生だけではない。
貴賤聖俗、一切問わずだ。皆で思いを軽くして天へと昇る験をしたい。
 
仏僧としてやるべきことが具体的に見えた瞬間であった。



 醍醐天皇の法要以降、時折、一水は宮中に説法に招かれるようになった。
説法といいつつその実、めっきり年老い気力が弱った宇多法王とそのひ孫
後の村上天皇となる成明なりあき様の話相手である。父、醍醐天皇をたった4つで失くした阿古に、宮中で目の前にいる法王の膝に載り漢詩を諳んじていた子どもの頃の自分を重ねて懐かしく思う。
 漢詩に加えて今、主流の和歌も学ぶ。若木が水を吸い上げるように、どんどんコトバを吸収する姿に目を見張る。

 一水は存分に枝を伸ばした成木だ。しかし、一つずつ年輪を重ね大きく強くなっていく。いや、強くなっていけるよう精進せねばならない。
 市井の一法僧ばかりを贔屓にしているとうわさになるのをさけ、一水を呼ぶときは常に他の僧侶もよばれていた。修養の末、高慢となり明らかに見下す僧もいれば、分け隔てなく接し、寧ろ一水の游行の経験から聞き学ぼうと聴講を望む僧侶もいた。お互いに修験の場は違えど現世で励むもの同士いつでも協力するという言葉が嬉しかった。

市井では、十一面観音像を後ろに背負い、なむあみだふ との称名を広め
力仕事であっても惜しまずに力を尽くした。

自らは空に浮かぶ水であろう、落ち着いた澄んだ心でいようと思っていても
心乱れ、天に慟哭したくなることも度々あった。

 宇多法王が崩御して2年後、京都地震で大きく2回大地が揺れ動いた。
 いよいよ地方も朝廷の威光に陰りがでたのか。奥州平家の内紛に藤原純友による海賊行為が勃発する。衆生の生活もそぞろだってきた頃、前をはるかに凌ぐ大きな地震が京の都を揺るがした。
4月15日、後に天慶地震とよばれる大地震だ。宮中でも4名が亡くなる。
そんなひどい揺れに市井などひとたまりもなかった。
修繕も食料も何もが皇族貴族大きな寺が優先だ。気温が上がるにしたがって衛生状態も悪化する。念仏を唱えて浄土になんてと、唾を吐きかけられる
こともあった。高く死人が積みあがる。

 忍従の徳、これほどまでにつらい状況にあって修身することなど、とてもできることではない。ひとりで忍従する必要などない、仏に向かって思いをだして祈ってほしい。それできっと軽くなる。浄土にそのままうつるのだ。仏はきっと見捨てはしない。だからこうして私はここにいるのだ。

でも私一人ではとても映しきれない。
もっとたくさんの人で、たくさん映しとりて救いたい。

 表に裏に協力してくれるものを募り一人ひとりには若干であれども、来る日も来る日も握り飯と梅干しとこぶをいれた茶を施した。朝廷よりもっと高いところから天の仏様が見ていることを知らせるために寺院と仏像の建立にも力を注いだ。新たに作った寺は達谷西光寺から頂き西光寺とした。

寺に昔、へびと出会ったときに預かった大きな玉。それを宝珠として仏像と一緒に祀った。蛇も寺に願いにくるものの『重い』を懸命に呑んだ。豊かなときの願いと瀕しているときの願いは違う、より生そのものへの願いだ。
生をなによりも慈しむが故の生宣いのり。
それが天帝、一水のいう仏に届かぬわけがない。届け・届け・届け。

もう一葉であった頃の一人の熱ではない。あたたかな空気が流れ込むように
みなの願い、みなの祈りとなって少しずつだが着実に大きくなっていった。




応和3年8月23日
その日はよく晴れ渡っていた。鴨川の水面がキラキラと輝く。
 あの修羅のような災害からも人々は逞しく立ちもどる。市の聖とよばれ、市井にでれば手を合わせ微笑み挨拶を交わす。そんな日が続くと特に仏の教えを広めることなど無用かという気もしてくるから不思議なものだ。

だがしかし、あの修羅の中にあっても皆と一緒になって炊き出しを行い、
汗をかいて力仕事をした日々は生の充足感に溢れていた。

あの天皇の法要の際、皆で声を合わせて読経をした、あの一体感。韻を踏んで声を出す、その行為の高揚感。一人経典を無心に書き写す心の静寂が空とするとそれもまた空であった。温かな空気に満たされていた。貴賤清濁一切問わず、一体となれたら。南無阿弥陀仏を唱えてみんなが浄土に映し出されると同時に一人ひとりに浄土が照らし返され映し出される。それはその瞬間はこの地上が浄土といえるのではないか。

 40を過ぎてふと夢見たそのような想い賛同してくれるものがひとりふたりと増え、今日、この日この場所に集まってくれた。

 宝殿を造り招いた僧侶は600名、金字で書き写した般若心経も同様に600巻
いくばくかの貴賎を払えば誰でも参加できるとし市井のものも次々に岸に集まってくる。実頼は右大臣となっても変わらず、陰に日なたに援助もしてくれたが、市井のものと変わらぬ、一般参加してくれた。
一水は60になっていた。大きく年輪を刻みしっかりと根を張っている。達吉は先に往ったが浄土で見ていてくれるだろう。道風は身は老いたが健在だ。

 今日この場所で般若心経読経による大供養会を行う
 高らかな一水の掛け声に呼応して低く重厚な経が辺りに響き始めた。

 その前の晩、一水はヘビと向かいあい透き通る器に酒を注いでいった。「今までのお礼だよ。それと、これ、約束だったね。」
 小さな革袋からきれいな玉を2つ取り出す。かの者と、京を立つ前の一葉の『おもい』からできた玉がろうそくの光を受けてきらりと光る。

「ここまで一緒にいてくれてありがとう。」
「明日の供養会でもう思い残すことはなにもない。
 君もどこでも好きなところにいっていい。」

この者との使命が終わったら、縁を断ち切る

あのとき天帝に言われた言葉がまざまざと蘇る。
別れたくはない
いつだってこの者はきらきらときれいだった。

「君は出会ってからちっとも変わらないね。
 僕はほら、この通りしわだらけだ。」そういってくしゃくしゃに笑う。

分かたれたくない

そういうヘビにこの者はいった。
「みな誰しもそうさ。だからこそ一体になることが何よりの至福なのだよ。
 明日はこの世の至福、浄土の映し世を皆で味わいたい。
 誰より私は欲が深いのかもしれないね。」

「私も別れがたい、だが君のようにいつまでも生きてはいない
 だから、お別れをいうのは今ここでにする。」

詰まるような思いを収めて最後に軽くこう言った。

ありがとう

蛇は、アリガトウ のコトバも言えるようになっていれば良かったと
お酒の上に涙を一滴ポチャンと落とした。




 一水を始めとする僧侶の抑揚のある経の合唱
一般のものも一緒に手を合わせ 声を合わせ 心を合わせる。

一昼夜行われるというのにその声は一向に衰えることを知らず刻が立つごと大きくなってくる。その中には戸籍を失ったいわゆる乞食もいたが手伝いやなにがしかのものを投じて参加していた。

 道風がヘビにいう
ほら、あの使徒も身をやつして来ているぞ。天帝も天上から見ているな。

 使徒はいい。人の姿で一緒になって交わることができる。
それはそれで苦労もあるのさ、何度も身を変え地上に来る道風は達観していう。でも別れだけはいつまでも慣れないねえ。

そろそろか、

道風が西の空を見てそういった。
西に落ちていく日に照らされて、雲がむらさき色に染まっていく。経の音色が心地よく水のように揺らめいている。皆が今ぶつかることをせずゆらゆらとゆったり揺蕩っている。

道風、例の件、くれぐれも頼んだぞ

ヘビは岸の向こうの一水をまぶしく見つめた。
ふるい皮を脱ぎ捨て見えないように姿を消した。この南無阿弥陀仏を称して出された皆の『おもい』すべて呑んで天上に持って行ってやる。

すうーと大きく息を吸うように『おもい』をのんだ。
だれの思いもただただこの一瞬を一緒に過ごす幸せに溢れ軽かった。
ヘビのからだは皆のおもいで大きく大きく膨らんだ。そしてゆっくりを空に浮かび上がっていく。

紫雲は仏が来迎するという天上へ流れつく雲
一水の描いた希望は天の計画でもあった。

 振り返らない、振り返ったら我の重いで落ちていく。
 上を向き水の中を揺蕩うように高く高く昇っていった。

一水はヘビと通じる不思議な力を持っていた。姿は消していたが、みんなのおもいを呑んで天上に向かう蛇を感じて天を仰いだ。

気配が消えていく寂しさを振り払うようにまた鴨川の水面に目を向ける。
夕日が一筋差し込みキラキラと光る。

空になくても 皆もまたキラキラ光る水である。
仏の像の優しい目を思い出す。そんな目で映しとれているだろうか。

まだまだこれからだ、一水はそう思った。


ーこの者こぼれ話ー
250年後、あまねく民を映しとりたいと願う仏師が現れた。そのもとに実頼の遺品で市で游行する一水上人の絵と2つの光る玉が巡ってきた。
一水のその慈善を記した書にも絵にも感銘を受け一体の像を造り上げる。
その目に光る玉を入れて。1000以上の年月を経てなおも魅了する像である。
 





 


天上に戻ってきた。
濃くて長い旅路から戻ったというのに、いつも天上にいたかのようだ。
 天帝は上機嫌だ。
ヘビの出した皆のおもいは朝の陽光のように八方に白金色の光を放つ。
木のそばの水辺に入れると7色に光輝いた。


ふむ、やはり水の中が一番よいな

さて、主にはふしぎな力があるようだ
それをわしも感じてみたい
そばで仕事をしてほしい
仕事はなんでも選ぶがいい

ヘビはこの水辺が見れたらどこでもいい、とそう答えた。

ならば、この木になる果の番をするがよい。
大事な果だ、決して取られてはいけないぞ。

それは、天帝の使徒は別であった。ときおり果をたくさん積んでは厳重に警護して持っていく。一体なんの果なんだろうか。

まぁ我には関係がない。木の高い枝に登りそよそよとそよぐ木の葉をみる。
光沢のある葉はキラキラと光っている。またある時は水面に目を映す。
キラキラとした輝きに地上での旅を思い出す。

時折、果を求めてやってくる者がいる。地上から天上に上がってきた者だ。天上に来るには2通りの方法があるらしい。

ひとつは修練により空の境地に至り引き上げられるもの
もうひとつは軽くなって上がってくるものだ

どうもこの木の下に集まるものは軽くなってくるものらしい。
みなほかの者との交わりを求めている。木の下でもざわざわと騒がしい。
そのざわめきがどうにも心地くこの者どもと一緒に地上に旅に出たい、
へびはそう思うようになった。

果を取ろうとして捕らえられたものは他の見張りに連れていかれる。
蛇はそそのかすふりをして気をつけろ、と警告する。
それでもまたやってきては木の下でくつろぎ話をする、
もう~、なんのはなしですか、なんて笑っている。

なんのはなしですか

蛇は耳を疑った。近頃そうおしゃべりするものが増えている。
地上にいきたい、この愉快なものたちと。

さて、どうやっていこうか
こんなとき、どうしていたっけ

ナ ン ノ ハ ナ シ デ ス カ

ヘビはそう呟いた

コノ モノ タチ ト チ ジョウ 二 イ キ タ イ

そうだ、そういってイノルのだったな。

そうすれば物語がはじまる

水面がキラリとひかり
蛇の前に木の果がポトリと落ちた
木にもたれ掛かり寛いでいた天の使徒が腰をあげる
かつては地上で道風と呼ばれていた天の使徒だ

さあ、これからどうなるのか
きっと上手くいくさ、魔法のコトバだ
軽くワクワクした気持ちでそう蛇は思うのだった

    ー  完   ー

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