各駅停車のススメ (2024.05.03-05)

ゴールデンウィークの帰省を止めようかと思っていた。これまでの連休を費やしても、思いのほか文フリの作業が進まず、実家に帰っている場合ではないと思ったからだ。
一人暮らしの部屋に籠って、もしくは電源のあるカフェチェーン店に行って、ひたすらパソコンと向き合う。けれども、家では途中で飽きて、それほど面白くもない動画を延々と見てしまう。カフェでは、氷が溶けきって味のしないアイスティーをちびちび飲みながら、まだここにいてもいいのだろうかと周囲の人を伺っている。

一度「帰省キャンセルする」と母親にLINEを送った。次の日の朝、「残念、おばあちゃんたちも楽しみにしてたのに」というメッセージを受け取って、頭を抱えてしまった。あまり考えないようにしたくて二度寝を試みるけれど、なかなか寝付けない。
家族が元気のうちに、あと何回会えるだろうかと考えてしまった。特に祖父母はもう九十歳近くて、その日の朝も丁度、世界的に有名な方が九十何歳かで亡くなったというニュースを見た。不謹慎と思われるかもしれないが、そういうのに私は弱すぎる。
その後、自宅でもカフェでも全く作業に集中できず、結局「やっぱり気が変わったから帰る」と送って、二泊三日で帰省することにした。作業か煮詰まっていることもあった。片道4時間、実家や新幹線の中で作業した方が、場所を変えた方が良いと思った。

新幹線の中でWordを開いて、目次を作成する。本文以外にも考えなければいけないことがたくさんある。入稿の締切一週間を切っていた。本当に大丈夫なのか、今でもわからない。
父と母が駅まで迎えに来てくれた。車の中で、正月に帰省したときから今までの色々を雑多に話す。実家に着いてから、早速パソコン起動。Wordの中身を見られそうになって、慌てて画面をブラウザに変えた。高校生のときからパソコンで執筆していた。まだ物書きをしていることがばれたくなかった。

地元にいる友人と会うこともせず、基本的に帰省中はずっとスマホかパソコンで作業をしていた。あまり文字を打っているのを見られたくなくて、画像とフォントを選んでは表紙案をたくさん作っていた。表紙は、最初はお金を払って誰かに依頼しようと思っていたが、結局自分が過去に撮った写真で作成している。自分の本を、他人に頼らず、できるだけ自分の力だけで作りたかった。

夕食は祖父母宅で食べた。イオンで買った寿司を持って行き、祖父母が食べきれない分の寿司とビールを差し出され、お腹がはち切れそうになった。
祖母に、お気に入りの古着のシャツを「地味」と言われ、「背中が曲がっている」と背中を叩かれた。確かに、ガラスに時々映る自分の姿が、前より猫背になっているみたいだ。自信なさげに見てる。その時はしゃんと伸ばすけど、またすぐに戻ってしまう。
家族みんな、足腰が良くなかったり、薬を飲んだり、お酒を控えたりしていて、それに少し気が暗くなる。

何事に対しても、つい度を過ぎてやってしまう傾向がある。
もうすぐ始めて1年のエレキギターは、練習していたら左手首が痛くなっていたのに、早く上手くならなきゃと焦って引き続け、結果腱鞘炎になってしまった。今はその療養中で、生きがいがなくなったような、ぽっかりと空いた日々が続いている。
大学院での研究も、早く成果を出さなきゃと、ずっと研究室に通いつめていた。免許を持っているのに車の運転ができないのも、これが原因だと思う。信号とか歩行者とか、ひとつのものに集中してしまうと、他のことが見えなくなってしまう。
バランス良く、同時並行でこなすことができない。今回の文フリも、早くやらなきゃ完成させなきゃと必死で、本来の目的を見失いそうになっている。楽しくてやっていたはずの趣味が、だんだん楽しいのかわからなくなってきている。
「意識的な息抜き」「休憩するのも仕事のうち」なんて言葉が思い浮かぶ。そう考えないと、いつまでも、もしくは壊れるまで、私は私をとめることができない。

場所を変えて気分転換、と思っていたが、案の定帰省中の作業はあまり進まなかった。

帰省するとき、「まぁ帰っても別にやることないけどね」と周りにはよく言っている。家族が、地元が大好きというわけではない。むしろここにはもう住めないと思っている。車がないと生活できない、小さな町。こんな私は、やはり薄情か。
帰る日、駅に行くまでの途中で、昼食とアイスを食べた。まだお金を払ってもらっている。これを打っているスマホの契約も、まだ家族割から抜けていない。甘えている。

――修士2年のとき、父母が大学がある街に遊びに来たことがあった。月曜の午前中だけ、朝食を食べたらすぐ研究室に行くからと事前に言っていたのに、結局昼頃まで一緒にいた。
その数日前から、実験中に勝手に涙が出てくる症状に困っていた。行きたくなさそうな態度をとる私を、二人は早く大学に行けと急かしたりはしなかった。
きっと深く考えてはいないのだろうけど、そういうのに救われるような。とても安心する。今回の帰省では、仕事とは関係ない、持ち込んだのは全て趣味の悩みだったけれど、そのときのことを少し思い出した。

ローカル線は混んでいて、帰省のときはいつも席に座れない。デッキから、べたべたと触った跡のある窓越し、海と古い民家が流れていくのを眺めている。観光客含め、各々が帰る場所へと帰っていく。
終点に到着する直前に大きく列車が揺れるのを、いつも忘れている。足元が大きく動いて、倒れないように、慌てて踏ん張った。

新幹線を待っていると、通過列車が次々とやってくる。その度に轟音と疾風が駆け抜けていく。のぞみは絶対に止まらない。ひかりも滅多に止まらない。みんな通り過ぎる。乗客も、待つ人も、下を向いていたら通り過ぎたことに気づかない。閑散としたホームで、乗りたい列車を待った。
各駅停車は、時間がかかる。最短距離、最短時間を目指して特急を選ぶのは当然だ。それでも私は、新幹線でなくても時折、わざと各駅停車の電車に乗ることがある。確実に座って、スローペースの時間の中で、本を読むのが好きである。 

……未だに「力の抜き方」がわからない。少し、脱力しすぎたかもしれない。迫る締切、終わらない原稿、状況が良いとはとても言えない。
振り返って、悩んで、後悔して、面倒くさい性格が、自分が、相変わらず好きになれなくて。でも、嫌でも、先には進んでいる。ここまでたくさん書いているときも、この間の冬に一度何も書けなくなったときも、過去作を振り返ったときも、後退していると感じたことは一度もなかった。

帰省することにしてから、帰省したときの話で、この本を一旦区切ろうと決めていた。「一旦区切る」だから、まだこれから日記も小説も書き続けるし、気が向いたらまた本をつくると思う。次いつになるかは、わからないが。

久々に、目の前に列車が止まった。乗客はそこそこいるが、座れないほどではなかった。パソコンで重くなったスーツケースを持ち上げ、さぁ続きを進めるぞと意気込みながら、新幹線に乗り込んだ。

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