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小説|魔女の卵

 空は相変わらず青かった。どこまでも続いていく薄い雲が、空の広さを強調しているように見える。まるで写真に取られた風景のように、完成された風景が目の前に広がっていた。
 反対側では、大変なことが起こっているというのに。
「それじゃあ……。相澤、この問題をやってみろ」
 教師から指名をうけ、黒板の前に出る。簡単な文字式の計算だった。公式を確認するまでもなく展開していく。ふと、脳内をかすめた記憶を黒板に書きそうになったが、すぐにチョークを手放して離脱する。教師も解答を済ませ、次の問題へと進んでいた。
 ここ最近多かった。この前空が割れることをノートに書いてから、頻繁に破壊のイメージがわく。それはただの想像ではなく、どこかで必ず起きていることだった。
 魔女の血というのは、受け入れなければ制御することも難しい。下級の力ならばある程度訓練をすればいいのだろうが、私の場合は訓練をすることもできない。そのためのマニュアルもないのだ。かといって受け入れてしまえば、私は魔女としての義務と責任を負うことになる。そうすれば、私を恨む人も出てくるだろう。私がどうこうできることではないのに、すべてを私のせいとしようとするのだ。
 窓から見える景色は、どこまでも平和だった。崩壊が進んでいるとは全く思えない。
 ふと、携帯電話が震えた。教師の目を盗んで確認してみれば、母親からである。
『今すぐ家に帰ってきて。』
 短い文だけが記録された一通のメール。普段魔女の仕事と称して家にいない母親からの、帰宅命令だった。
 どうやって帰れというのだろうか。仮病を使うことはできないだろうし、魔女の仕事と言い訳することもできない。母親からの命令だといったところで、どうしてそれを信じることができるのだろうか。携帯電話を見せれば解決するだろうが、そんなことをしたら取り上げられてしまう。携帯電話は本来持ち込み禁止だ。
 悩んだ末、トイレに行くと教室を出るだけで済ますことにした。荷物などは、学校においておけばいいだろう。もし下校時間に間に合わなかったとしても、大した物は入っていない。母親から預かった本は手に持っている。もしこれを無くしてしまったとしたら、血の力が暴走してしまうかもしれない。実際にそうなったということを私は聞いたことがないが、それでも用心するにこしたことはないだろう。
「なんだ? どこにいくんだ。トイレは反対側だろ?」
 首の裏側から、彼が声を出す。うさぎの形をした影が、私の皮膚の上を飛び跳ねていた。
「あのメール、あなたも見たでしょう? 今から家に帰るの」
「授業は?」
「……あんなもの、出ていなくても理解できるわ」
「お利口さんは頭の出来が違うなー」
 彼の言葉は無視して玄関へと向かう。授業の声が漏れだす教室の横を通り抜け、階段を下り、下駄箱から靴を取り出すところまでは順調だった。
「あら、相澤さんじゃない。どうしたの、こんなところで」
 白衣を身にまとった保険医の先生が、下駄箱に寄りかかりながら腕を組んでいる。そして冷ややかに、面白そうに私のことを見ていた。
 まさか、先ほどの会話を聞かれてしまったのではないだろうか。そうでないとしても、彼女はなぜこんなところにいるのだろう。保健室は空っぽになっているのではないだろうか。
「……別に何も」
 私は口の中で呟き、靴に足を入れた。
「お母さんのところに行くの?」
 冷たい手が私の首に触れたような気がした。身体の動きが止まってしまう。すべての血管が後ろに引っ張られているみたいだ。
 この人は、なんといったのだ?
「……何のことです?」
 彼女は、母のもとへ行くのか、といった。
 なぜ、家に帰るのか、ではないのだろうか。
「とぼけたって無駄よぅ。ま、答える気がないのならそれでもいいけどねぇ」
 悪戯を思いついた子供の様に頬を緩ませる彼女。そして、ひらひらと手を振ってどこかへと行ってしまった。何が起こったのか理解できていない私は、ただそこに立ち尽くすことしかできない。彼女に言われたことと、その裏の思考を必死に考える。
「……なぁ、あの人。なんか変じゃなかったか?」
 彼が、恐る恐るといったように襟元から顔を出す。長い耳が垂れてしまっていた。
「確かに、変だったと思う。だけど、何が変だったのかはわからない」
「だよなぁ……」
 納得がいかないのか、私の鎖骨に座り込んで考え始めてしまった。微かにできる窪みの中にすっぽりと収まっている。なんだかそれが可愛らしく、くすぐったかった。
 しかし、今はそんなことを考えている暇はない。一刻も早く、家に帰って母に合わなくてはいけない。母親がわざわざ呼び出すということは、とても重要な用事があるときだけだ。それも、指定された場所が家なのだから、魔女にかかわることに違いない。もしかしたら、血を頑なに受け入れようとしない私に一言いいたいのかもしれない。無理やり魔女の職業を与えられるかも。そんな考えを頭の中で巡らせながら、私は学校を出た。

     □

 朝通った道をそのまま折り返す。進んで進んで、見慣れた道を通り越して、私の家へとついた。玄関の前で一度深呼吸をする。
「あのさ」
 私は手の甲で蹲っている彼に声をかけた。重たそうに頭を上げる。
「ちょっとさ、お願いがあるんだけど……。こっち側に来てくれる?」
 寝ぼけているのか、長い耳をぺったりと垂らして私を見上げていたが、ようやく状況が呑み込めたのか、電撃が流れたかのように飛び跳ねる。
「それって、もしかして、オレが立体になるってことか?」
「……間違ってはないけど、表現の仕方があまり適切じゃないよね。でも、そういうこと。ちょっと、力になって欲しいの。もし何かあった時に、対応できるように」
 嬉しそうに彼は飛び跳ねていたが、なにかを思い出したのか、急に静かになってしまう。疑いのまなざしを、私に向けてきた。
「どうしてお前が召喚の方法を知ってるんだ? それは魔女のすることだろう?」
 やはり、気づいてしまったか。どうせなら勢いに任せて彼をこちら側に呼んでしまったほうがよかったのかもしれない。今となってはどうすることもできないが。
 本当の、正しいやり方を知っているわけではなかった。すべてはあの本に書いてあると母親は言っていたが、魔女になんてなりたくない私はあの本に触れはするが読みはしない。だから、正確な情報を持っているわけでは無なかった。
 それでも、知っているものは知っている。ただそれだけのことだ。
 そのこと彼に説明したところで、どこまで信じてもらえるかはわからなかった。どうせ、私が魔女を受け入れようとしているのだと、勘違いをするのだろう。彼のことだ。これまで以上にしつこく魔女のことを語るに違いない。そして、私を正式な主とするために活動をするだろう。そんな面倒なことははっきり言ってごめんだった。
「……お母さんが昔言ってたの」
 生まれたときから一緒にいる彼が、この私の言い訳を飲みこんでくれるかどうかは正直わからなかったが、彼にも何か考えがあるのだろう。小さく頷くと、元々の刺青の形に戻った。
「…………っ」
 彼のいる右手の甲を、左の掌で覆う。そして、手の平で何かを掴んでいることを想像し、そのまま引っ張った。皮膚がひっぱられるような、少し痛い感覚があったが、すぐになくなる。ぽん、と可愛らしい音を発して彼は現れた。
 真っ白の毛に真っ赤な瞳。ふさふさとした体毛は、ずっと触っていたくなるような柔らかさを持っていた。肉球もモチモチしていてさわり心地がよかった。
「…………」
 これなら、何の用事がなくてもこっちに連れてきたくなる。掌に乗せていじくりまわしたい。
「いつまで触ってるんだよ。家に入るんだろう?」
「はっ、そうだった」
 私は彼を肩に乗せる。この重量感がまた心地いい。もっちりとした感覚が肩を通って全身に伝わっていった。
 頭を大きく横に振り、雑念を放り投げる。スカートのポケットから鍵を取り出して玄関を開けようとしたが、すでに逆に閉めてしまった。どうやらすでに開いていたらしい。鍵をポケットに戻し、彼を落とさないよう慎重に進む。玄関には見たことのない靴がたくさんあった。すべてが女性用のものである。私の靴は端っこのほうにおいて、リビングへと向かった。
「あぁ、やっと来た。汐里、早くこっちに来て」
 リビングに設置された白いソファーには、たくさんの人が座っていた。年齢も服装もバラバラの女の人たちだった。高校の制服を着た女の子もいるし、高級そうな服を着たおばさまもいた。皆に共通しているのが、身体のどこかにある従者の印。私のように、こちら側に呼んでいる人はいなかった。母親は私を見るなり手招きをする。そして肩に乗った彼を見て驚いたように目を丸くするのだった。何か言いたそうに口を開いたが、今はそれすら聞く余裕がないのだろう。空いている椅子に座ると、母親は立ち上がって話を始めた。
「急に集まってもらって申し訳ないわね。でも、とても急な話なの。それに、ただ事じゃない。いま大魔女の四人が現場に行っているけれど、正直あの方たちの力でどうにかなるかすらも怪しいわ」
 母の言葉に、部屋に集まった人たちがざわめく。
「そんな。大魔女の四人が厳しいだなんて、あたしたちどうこうできるような事じゃないんじゃないんですか?」
 隣に座っていた女子高校生が口を開く。それに対して母は眉を顰めるだけだった。
「それはわからないわ。でも、皆に伝えるようにと言われているの。もしかしたら、止める方法があるのかもしれないし」
 母はちらりと私のほうを見る。
「一言で済ませると、世界の崩壊が始まっているということよ。今、何もない海の上の空が割れているわ。今は何ともなってないからいいけれど、このまま裂け目が広がれば宇宙の外がこちら側に流れ込んできてしまう。そんなことになったら、私たち魔女も人間もみんな死んでしまうわ。それを食い止めるためにいま大魔女たちが裂け目を修復しようとしているけれど、とても大きな力が働いているみたいで、大きな進展はないみたい。
 彼女たちは魔女としての経験もあるし何より血の力の絶対量が違うわ。だから、力が枯渇することはないでしょうけど、微細な調節ができなくなる。だから、あなたたちを集めるように言われたの。ここ周辺にいる魔女はあなたたちだけだわ。ほかの場所でも招集はかかっていて、いまのわたしと同じように状況を説明していると思うけど……。それぞれの魔女の力を使って、どうにか裂け目を閉じてほしいの」
 母親の要求は、どうにもよくわからない物だった。大魔女ができないことを私たちがこなせるのだろうか。何か、力になることができるのだろうか。先ほど高校生の彼女が言っていたように、私たちではどうすることもできない事なのではないだろうか。
 他の魔女もそう思っているらしい。けれど、魔女としての責任感があるのか、皆その目の奥には揺らぐことのない決意があった。静かに燃える炎のように揺らめいている。
 私も魔女だったら、こういう風に受け入れることができたのだろうか。
 しかし、実際問題この私たちの協力が事態の解決に貢献できるかどうかはわからない。むしろ、無理なのではないかと私は思う。これまで見てきた崩壊のイメージも、どれも変えることができないものだった。変える気がなかったとも言い換えることができるが、こういったものはすべて決まっていることなのだから、覆すことはできないのではないか。浅いながらも、私の経験がそう言っている。
 そんなことを口にできるはずもなく、私は肩に乗った彼を小さく撫でるだけだった。
「すぐに答える必要はないわ。けれど、あまり時間がなさそうだということも忘れないで」
 そういうと、母は集会を解散とした。家に来ていた魔女たちは、皆それぞれ考え込みながら玄関へと向かう。自分の血の力が何か役に立つことは出いるのかどうか、不安になりながらもその活路を見出そうと必死になっているようだった。
 私と母親だけが残る。
 すべての魔女がいなくなったところで、母親は口を開いた。
「……どうしてあなたの従者がこちらに来ているの?」
 予想していたのと同じ問いをされる。もちろん、これに対する言い訳も考えてあった。
「何となくやったらできた」
「なんとなくって、あなたね……」
 母親も何か言いたそうだったが、言葉にならないらしい。私はそのまま何も言わなければいいのにと内心で思いながら、彼の背中を撫でる。このふわふわした毛だけが私の心落ち着かせてくれた。
「まぁ、従者の話は今はどうでもいいわ。それよりも、あなたにはなさなくちゃいけないことがあるの。あなたの中を流れる、魔女の血のこと。私はあなたに本を渡してあるしいつでも力になると言っているのに、どうしてあなたは魔女の存在を受け入れようとしないの?」
 ほらきた。
 この状況で嘘を言ったとしても、恐らくすぐにばれてしまうだろう。魔女たちが大勢いるところに身を投げ出すかもしれないのだ。そしたら、血が周りの空気に反応してしまうかもしれない。いくら本と彼があるからと言って、何も起こらないとは言えないだろう。むしろ、私の血の力が表に出てしまうかもしれない。
 私の異質性を母に説明したとして、いったいどんな反応が返ってくるのだろう。拒絶されるのだろうか。それとも、歓迎されるのだろうか。どうなるかは全くわからないけれど、少なくとも今本当の事をいったら母は倒れてしまうということだけは確実だった。
「……私は魔女になんかなりたくない」
「なんで?」
「なんでって……。魔女なんて、なったっていいことないからだよ」
 母は、私の隣まで移動してくる。
「そんなことないわよ。魔女にだって、いいところはあるわ。そりゃ、大変なこともたくさんあるだろうけれど、その分嬉しいことや楽しいことだってたくさんあるのよ?」
 母親の、程度の低い慰めの言葉に腹が立ってきた。なぜ私がそんなことを言われなくてはいけないのだろうか。私のことを何も知らないくせに。
 様々な暴言が口からあふれてきそうだったが、私はどうにかしてそれを堪えた。そして、立ち上がる。
「どこいくの! まだ話は途中——」
「私、学校に戻らなくちゃ」
 それだけ言って、玄関へと向かう。
『隙間から影が現れる』
 なにかに殴られたような衝撃が私を襲った。思わずふらついてしまうが、壁に手をついてどうにか姿勢を保つ。
 なんだ。
 頭の中に、言葉が一つ浮かび上がってきた。いつもの、崩壊の時と同じような感覚だ。しかし、その内容が今までと少しだけ違う。破壊のイメージではなく、ただの一場面だった。
 なんだ。
 何だこれは。
「汐里、大丈夫?」
 母親が心配そうにこちらを見てくるが、私はあえて無視をした。突然来た頭痛をどうにか押さえながら、家を出る。肩に乗った彼も不安そうに私のことを見ていた。
「おい、おまえほんとに大丈夫か?」
 彼は私の方から飛び降り、地面に座り込む。長い耳をひょこひょこと左右に動かしていた。
「……私は大丈夫。あなたは、元に戻って」
 声を絞り出して彼に伝える。彼も、特に口をはさむ事もなく私の左の手の甲に乗る。私は右手で彼を押し込めるように力を入れた。すると、先ほどまで真っ白のふわふわだった彼が真っ黒の影となって皮膚に張り付いている。
 とりあえず、学校に帰らなくては。
 先ほどのイメージがいったいどんなことなのかは私にはわからないけれど、これから何か大変なことが起こるであろうことはわかった。
 遠くの空が、赤くなり始めている。

【情報】
2012.10.13 22:11 作成
2023.12.07 13:32 修正

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