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小説|子鬼と骨と

 あたりは真っ暗な夏の夜に支配されている。ねっとりと纏わりつくような大気が私の周りに蔓延していた。うっとうしくて、払おうとしても身体中から汗が出てくるだけで何の解決にもならなかった。こればかりは、暑さだけは、私の力ではどうすることもできない。
 くしゃり、くしゃり。
 ひっそりと静まり返った山の中で、一つの咀嚼音だけが響く。虫たちももう活動を止め、眠りに落ち、人間たちのほとんどもすっかり熟睡しているころだろう。こうやって、夏だからという理由で興味本位で家から出たりしなければ、実に安全な環境ではあった。治安もとてもいい。人間同士が争うこともほとんどない、都会からは遠く離れた小さな町。その中心にそびえ立つ小ぶりな山の中に私たちはいた。
 くちゃり、くちゃり。
 もう皮はすべて食べきってしまった。次に喰うはその肉。みずみずしい活力にあふれた、とても美味な肉だった。下手な内臓よりも、筋肉のほうがうまい。特に、二の腕がうまい。おやつとして食べるのなら、手の指がちょうどいいだろう。皮をはぎ、肉と骨だけにしたところでしゃぶるのだ。ここで、肉に噛み付いてはいけない。赤子が母親の乳を吸うように、肉から血液や体液を搾り取るのだ。これは野生的な犬のようで、冷静になってみるととても恥ずかしい行為ではあるのだが、でもおいしいものを目の前にしたときに、欲望を抑えられるほど私は完成していなかった。
 しゃり、しゃり。
 ある程度の筋肉を食べ終えれば、次は内臓である。しかし、私はあまり臓物を食す気はなかった。歯ごたえがなく、大きさの割にはその味と食後感がとても拍子抜けで、私の腹は満たされなかった。特に肺や胃は、食べられなかった。でももったいないから、全部食べる。
 原型が見えなくなったところで、私は立ち上がった。
「おや、骨は食べないのですか?」
 私が余り物を土に埋めて片付けようとしていたときに、隣から声がかかった。
 とっても背が高く、とっても細い、骸骨のような男だった。骨と皮の間にはほとんど肉がなく、とてもじゃないけどおいしそうではない。古めかしい西洋人の格好をしており、真っ黒なタキシードは彼の細さをさらに際立たせていた。
 彼は地面に転がった骨をひとつ持ち上げると、おもむろにいじり始めた。カラカラと、骨と骨がぶつかる音がする。
 私は余った骨を埋め、土を硬くした。持っていた包丁の腹で地面をたたき、もともとあったように戻す。その時に頭蓋が少しばかり外に出てしまっていたから、下駄を叩きつけて粉砕する。あたりに甘いような歯がゆい匂いが蔓延する。空中に骨のかすが蔓延したからだろう。ここの空気は少しだけ不味くなった。
「私は骨まで食べません」
「おや、どうして」
 骸骨男が、さも驚いたかのように目を見開く。その勢いで、彼の目玉は転がり落ちそうになった。
「私が求めているのは犬の餌ではありません。獣の餌です」
「犬は獣ではないのですか?」
「彼らはすでに人間のオモチャも同然です。人間に支配された可哀想な種族ですよ」
「では、アナタが考える獣とは?」
「……いうまでもありません」
 私は彼の言葉を蹴り歩き出した。牡丹柄の着物が体に張り付いて気持ちが悪い。しかし、だからといって、体液を避けるわけにもいかなかった。濡れることを目的としているわけではないのだが、真っ赤な着物がさらに紅くなっていくのを考えると、体が震えてしまうのだ。それは私がこの姿になってからのことで、もちろん人間であったころにこんなことをしていたわけではない。そんな環境にもなかったけれど。
 しばらく歩くと、小さな鳥居が見えてきた。
 長いようで短い石段を上り、朱色の鳥居を潜り抜ける。
 瞬間、視界が切り替わった。
 先ほどまでは陰鬱な夏の夜だったのに、今目の前に広がっているのは広く静かな樹海だった。木々の隙間からは水のような太陽の光が降り注ぎ、肌を撫でるように風が吹く。私の着物から血の匂いを嗅ぎつけたほかの妖怪たちが顔を出したが、私と、その後ろにいる骨男を見た瞬間に戻っていってしまった。
 別に私たちが特別恐ろしい形相をしているわけでもないのだが、どうしたわけか避けられてしまうのだった。昔はそれを悲しみもしたが、今となっては彼らの行動そのものが煩わしくて、それ以上の反応を見ることなく私たちは自分のすみかへと歩いていった。
 私は着物を替え、牡丹柄の着物を水につけておいた。たちまち、桶の中は苦い赤で包まれる。ふわふわと漂う様子が、なんだか可愛らしかった。
 自分の領域として使っている大きな木の中から顔を出すと、すぐそこの空いたスペースにはすでに骨男が座っていた。なんと気の早いことだろう。招待した覚えはないのだが、こうやってわざわざ来るということは何かしらの要件を持っているわけだろう。それを待たせて自分の作業をするなどということは、私の心が許さなかった。
「今日はどうしたのですか?」
 替えの、白い着物のを正しながら彼に用件を聞いた。骸骨男は頭をあげ私のほうを見ると、思い出したように手を叩いた。
「そうそう、ワタクシ、アナタに一つ聞いておきたいことがありまして」
「聞きたいこと、ですか?」
「はい、そうです」
 にっこりと笑う骨男は、彼としては満面の笑みを浮かべているつもりなのだろうが、ろくに筋肉のない彼が笑って見せたところで、それは恐怖以外の何物でもなかった。それはとても妖怪らしい笑みではあったが、流石に気味が悪すぎた。私は目を背け、彼の言葉を待つ。
「前からずっと思っていたのですがねぇ。アナタ、なぜ人の肉を喰らうのですか?」
 彼の問いはとてもじゃないけど意味をなすものなどではなかった。
 私が、なぜ肉を喰らうか。そんなもの、決まっている。
「それは、私が鬼だからですよ。いくら子鬼とはいえ、鬼であることには変わりないのですから。鬼は人を喰らう妖怪です」
「ふむ…………」
 彼は納得していないようだった。
 私は、何か違う情報を提供してしまったのだろうか。
 彼はまたありもしない鬚をなぞるように、顎に手を当てる。ゆっくりと、何かを考え込んでいた。
 ふと、骸骨男が私を見た。
「ではなぜ、アナタは鬼になってしまったのでしょう?」
「……はい?」
「あぁ、いや。思ったのですよ。過去にアナタは、私達の成り立ちと世界の始まりを教えてくれましたよね。その時に一つ、思ったのです。ワタクシたちがこうやって化け物の形になってしまったのは、単なる偶然だったのか、と。数ある種類の化け物の中から無差別に選ばれたものになるんですかねぇ。ワタクシにはそこら辺のことがまったくわからなくて。あなたなら、知っているかと思ったのですが」
「…………」
 私が鬼になってしまった理由。
 それは、私が知りえることなのだろうか。
 人間に置き換えれば、なぜほかの生き物でなく人間になってしまったか、というような問だろう。私たち妖怪にとっては、少し答えやすい問題であるかもしれないが、それでも難題であることには変わりなかった。
 私が人の肉を喰らう理由。
「でもそれは、あなたのほうが知っているのではないですか? 神様なのですから」
 私が口を開いたところで、彼は大笑いをした。金属がすりあわされるような、気分が悪くなる声を発する。
「あぁ、そういえばあなたには伝えてあったのでしたっけ。そうそう、私は神様なのですよ。いや、もしかしたら神様じゃないかもしれません。王、といったほうがより正確に伝わりますかねぇ」
「あなたが王だろうが神だろうが今の私には関係ありません。どちらにしても頂点に立つあなたは、自分が発した問いに対しての答えを持ち合わせているのではないのですか?」
「いいえ、残念ながら私は知りません。知っていたら、別の形であなたに問いかけてます」
「別の形?」
「はい。たとえば、そうですね……。クイズ、といったところでしょうか」
 思わずため息が漏れてしまう。
「おや、なぞなぞは嫌いでしたか?」
 不安そうに顔を覗き込む骨男。しかし私はその視線から逃れるように目をそむけた。
 そして、これ以上話を続けていても何の意味ももたらさないと考え、私は彼に背を向けて自分の領域に帰ろうとする。すると、彼は慌てて私を引きとめた。
「あぁ、ちょっと待ってください。ひとつ、クイズを出してもいいですか? もちろんヒントつきです」
 手短に済ませてください、と私はつぶやき、彼のほうに向きなおる。
「はい、もちろん
 では問題です。なぜ、ワタクシたちは妖怪になったでしょうか。ヒントは未練です」
 …………それだけ?
 拍子抜けだった。それは、彼だけではなく私も知っていること。それどころか、この知識は私が彼に与えたものだった。それをわざわざ私に向けて問うなど、なんとばかばかしいことだろうか。
「それは、私に対する嫌がらせですか?」
「なぜ? それより早く答えてください」
「……人間が死んだときに、未練によって肉体と魂が繋がれたままの場合精神体の幽霊になる。それが成仏できなかったとき、未練によって半永久的にこの地に縛り付けられることになる。精神体だった器は新たな物理体として生まれかわり、再誕する。それが妖怪です。これは、私があなたに授けた知識でしょう。それを私に問うてどうするのです?」
 すると、彼はクスクスと笑い始めた。先ほどの金属のする合わせからは想像もできないような、人間らしい声。ふと、あの少年が頭をよぎったが、程なくして記憶の彼方に消えてしまった。
 彼は立ち上がり、こちらに歩いてくる。
「おしい、ですね。確かに、表面的な問題は解決しています。ワタクシたちが妖怪などというおぞましいものになるまでの過程はしっかりと説明されていた。しかしですね。なぜワタクシたちがこのような姿になったかをあなたは言っていない。それは未知からの沈黙なのか敢えて言おうとしていないのかはわかりませんが、少なくとも内面的な問題が欠けている。さて、もう一度問いましょう。なぜ、ワタクシたちはこのような姿になってしまったのでしょうか。ヒントは未練です」
「…………」
 私は、この問いに対する解を持ち合わせていなかった。彼の言葉を借りれば、未知による沈黙だろう。知らないのだから、発言のしようがないのである。
 だからと言って、無視できるような話題でもなかった。私に未知のものが存在するというのは、どうにも許しがたいことである。それは今まで私が担ってきた役割を、彼に取られてしまうと思ったからなのかもしれない。私に、こんな人間的な感情が残っていたことに驚きを隠せなかったが、それでも彼の問いに答えないわけにはいかなかった。
 ヒントは、未練であるという。未練とは、肉体と魂を縛り付ける鎖であり、生前にかなえられなかった、最も強い欲望のことを指す。しかしその欲望が必ずしも鎖となるわけではなく、特に大きい後悔を持った者のみ幽霊や、妖怪になることができるのだそうだ。
 そうすると、その未練が私たちの身体を作っているといっても過言ではない。魂に、その未練の情報が刻み込まれて、こうやって妖怪としての生をもらっているのかもしれない。
 ならば、その未練こそが私たちの身体や性質を決めているのではないだろうか。
 自分自身に適応させて考えてみよう。
 私は、餓死をした。当時のことを細かくは思い出すことはできないが、それでもとても貧しく食べるものもほとんどなかったことは覚えている。食べたものといえば、壺に入っていた米粒くらいだろう。あとは、雨水を全身に受けながら喉を潤したこともあった。その時の私の身体は、そこにいる骨男によく似ていた。子供とは思えない、骨ばった手。肉が削げ落ちた腹。眼の焦点もあってはいなかっただろう。
 私が死ぬとき、思ったことがあった。
 お腹いっぱい食べてみたかった。
 その思いだけが、恐らく私の身体と魂を結びつけてしまったのだろう。
 霊になったとして、物を食べることもできなければ人と話すこともできない。どうすることもできずにただ時間だけが過ぎていき、気づいたらこの樹海で眠っていた。
 目覚めた時に、私は唐突に思った。私は、鬼なのだ、と。そして、鬼子という名前があると。同時に、世界の始まりに関する情報も自然と頭に流れ込んできた。それを恐ろしいとは思わなかったし、すべてを受け入れられるような気がした。
 そのあとは、散歩中に見つけた鳥居をくぐって遊んでいた。その先に続く人間の世界で、子供と遊んでは彼らを食う。最初、戸惑いはしたものの、私が恋に落ちた少年を食べた後からは何の違和感もなく人間を喰らっていった。それが私がここにいる意味なのだと信じて。内側に眠る、鬼の本能に従って。
 そうすると、私の未練は『一度も腹を満たせなかったこと』であり、妖怪となった今では人の肉を喰らっている。ここから導き出される推論は……。
「……未練が、私たちの姿を決定している?」
 私がぽつりと呟けば、彼はカラカラと手を叩く。
「ご名答。流石だ。ワタクシが見込んだ通り、良くわかってらっしゃる。
 そう、ワタクシたち妖怪は、幽霊の時に果たせなかった未練を、絶対的な欲望、つまりは本能として魂に刻み付けるんですね。アナタは……餓死をしたのでしたっけ? だとすれば、喰らうことを魂に刻み付けられた。そして、鬼の肉体を得たのですね。死んだのが幼子だったがために、子鬼の形態をとったのでしょうが」
 彼は珍しく説明口調で語った。やはり、本来私がやるべきことを彼がやっているのは、気に食わないことだった。
「しかし、それを知って何になるというのです? 行動の、存在の理由を知ったところで何も変わらないでしょう」
 再び私が問いを発せば、彼は苦しそうに顔をゆがめた。また何か、彼を傷つけるようなことを言ってしまったかと心配になったが、彼は単純に言葉を探しているだけだったらしい。彼は頭の中で何度も言葉を転がし、そして満足のいく表現を確定させていく。
「ふむ。こうやって知ることによって、ワタクシたちは行動、存在に意味や意義を持たせることができます。すべて本能という無意識下で行ってきたものを意識のうちに取り込むことによって、それらの行動をより純度を高めて行うことができる。要は、賢くなれるというだけです。存在の質を、高めるということでしょうか。
 新しく生まれた存在は、まだ何も知りません。何らかの形で情報を提供してあげないと、どれが本物であるかわからなくなってしまう。よくわからないけれど、ただそれをする、などということはワタクシたちのような高尚な存在には適していないんですね。そういうのは、どこぞの獣がやればいい。ワタクシたちは、ほとんど完成された生命体なのですから、そんな馬鹿げたことはする必要がない。
 まぁ、確かに、それを知ったことによって何かが劇的に変わることはないのかもしれません。それでも、自分の内側をより高めることはできる。昔の人間がいっていた、生命としての質を高めることが目的ですから。アナタが、これから生まれてくる妖怪たちにそのことを説明してくれれば事足りることなのですよ」
 ケタケタと、彼は骨を鳴らして笑う。私もそれにつられてクスリと笑ってしまったが、ふと我に返って笑みが消えてしまった。
「あなたは、私の代わりになって説明をすることはないのですか?」
 私の思った疑問も、言葉にするととても小さくて軽かった。彼はそれを受け取ると、また少し違った笑みを見せる、
「……どうやらアナタは、ワタクシのことを勘違いしていますね。ワタクシは、ただそこにいるだけの王なのです。王は知識を与え、しもべたちを操るだけのことしかしません。言ってみれば形式だけの権力でしょうか。それに引き換えアナタは、実質的な権力ですね。この妖怪たちの樹海を、事実的に切り盛りしている。これからもがんばってくださいねぇ」
 そういうと、彼のほうから立ち去ろうと準備をしてしまった。立ち上がり、私に背を向ける。
 先ほどと逆の立場で、私は一つ気になっていることを彼に問うた。
「あの、あなたは本当に何者なのですか?」
 彼は私の言葉に足を止め、そしてこちらを振り向いた。
「なに、私はただの神様ですよ」
 彼は笑ってそういった。

【情報】
2012.06.02 09:25 作成
2023.07.28 18:53 修正(誤字・脱字)

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