夢に殺されるくらいなら捨てろ

夢に生かされ、幸せに生きている人はそのままでいればいい。

しかし、夢のせいで不幸でいる人、夢のせいで死にたくなっている人がもしこれを読んでいるのなら。

夢なんか何の役にも立たないのでさっさと捨てて楽になった方が良い。

「夢、もう諦めたの?」と言ってくる人間は、あなたの人生の責任をとってはくれない。最悪の場合、夢のせいで自殺した後で「何で自分に何も話してくれなかったの……」と言って被害者ぶる。
「夢を諦めた」という事実が嫌なら、「夢を捨てた」「夢を変えた」「夢を保留した」などと言った能動的な呼び方に変えると良い。夢に自分を支配されたら、人生と命を握られてしまう。夢なんて自分が支配した方が良い。自分から捨ててやれるし変えるのも保留にするのも自由なのだ。

生きてさえいればどうとでもなる。夢が無ければ生きた心地のしない人は生きていった先に夢を見つければいい。夢を諦めることは死ぬことではない。夢を諦められないから死にそうになっているなら目を覚ましてほしい。この先何十年かは知らないがずっと不幸でいるつもりか?

死んだら終わりだ。何もかも終わりだ。

夢に自分のアイデンティティを全振りしている人、夢が叶わなければ不幸だと思い続けている人。
本人が不幸だと思えばその人生は不幸だし、幸せだと思っていればその人生は幸せだ。

夢を叶えられないなら死んだ方がマシだと思っている人。
自殺は周りの人間の人生を最悪の形で変える。自分がどうでもいいと思っていても、周りは全くどうでも良くない。人生最大級の迷惑と言える。
周りの人間が「あの時ああしていれば……」とか、「自分のせいかもしれない」とか、一生答えを知り得ない悩みでそれこそ死にたくなる状況を想像してみてほしい。そんなことになるくらいなら、一人の人間が勝手に夢を捨てたり変えたりするくらいどうってことない。
なんでこんな簡単なリスクの比較が出来なくなるのか。出来なくなるほどの魔力が「夢」という言葉にはあるのだろう。

だから、私は夢とは呼ばない。呼ぶのをやめた。愚かにも殺されかけた反省として。

私の人生の目的は幸せに生きることだし、さっき言ったように自分が幸せだと思い込んでいれば幸せなのだ。
自分を幸せだと思い込ませるために目の前の人間をサポートしたり、自分を管理したり、新しい人と出会ったりしている。油断すると「自分は不幸だ」とすぐに思ってしまう自分をそう思わせないように、毎日注意深く自分の脳と身体を操作している。

そんな、夢を持たない私をつまらない、哀れだと思うのなら。

知ったことか。勝手にすればいい。

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