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「手段の目的化」を防ぐための3つの質問

頭脳労働で疲れたときや、ストレスが溜まったとき、単純作業をするとストレスレベルが下がることがよく知られています。

例えば、企画書がボツになってイライラした状態で、すぐに書き直そうとしても、なかなか良いものを仕上げることはできません。そんなときはリズムと身体性を伴う単純作業に没頭することで、一度あたまを切り替えるのがベストです。

スポーツジムのランニングマシンで汗を流して気分転換するのがその一例です。

一般的に「やろうとしていることの難易度」と「自分の能力」が一致した状態で生み出される極度の集中状態を”フロー”といいますが、このフローに近い状態は、単純作業で生み出せます。

しばらくジョギングをしているとランナーズハイになることがありますが、これは一定のリズムを刻んで走るという”単純作業”をしているからこそ、生み出される精神状態です。

同じように「ひたすらホッチキスで紙を止める」といった単純作業を集中してやっていると、途中から体が勝手に動くような感覚になることがあります。さらに、もう少し行くと、自分がホッチキスを止めているのか、ホッチキスが自分に紙を止めさせているのか、よくわからなくなる状態になることもあります。

こういう自分と外界との境界線が分からなくなる状態は、座禅などの厳しい修行でうみだされることがありますが、、そこまでいかなくても、単純作業によって擬似的にこのフローやゾーンと呼ばれる精神状態を生み出すことが可能です。

さて、なぜビジネスブログでこんな話を書いているかといえば、単純作業は楽しいからであり、その楽しさに溺れて、いつの間にか「作業」自体が「目的」化してしまうことがよくあるからです。

前述の例でいえば、ホッチキスで大量の紙を止めるのは、来週のイベントで配布するためという「目的」があるかもしれないのですが、ホッチキスをリズムよくどんどん留めていると、その作業自体がいつの間にか気持ち良くなって

「いかに最短の動きと力で綺麗にホッチキスを止めるか」

を極めることが楽しくなってしまい、極端にいえば

「イベントなんて、このままなければいいのに」

と思うほど作業にのめり込んでしまうことがあるのです。(あくまで極端な例ですが!)

さて、笑えないのは、仕事でも同じようなことが発生しやすいからです。

エクセルで顧客の購買動向のデータ分析しているうちに、美しいグラフを作ることが目的になってしまったことはありませんか?

キャリアアップのために資格取得の勉強を始めたはずなのに、いつの間にか資格の勉強が楽しくなってしまい、資格コレクターになってしまっている人を見たことがありませんか?

商品の簡単なプロモーションビデオを作ろうと動画編集ソフトを使っているうちに、編集自体が楽しくなってしまい、膨大な時間をつぎ込んでしまったことはありませんか?

そういえば、今日の定例ミーティング、目的は何でしたか?

本来、作業(手段)は「目的」(望ましい状態)達成のために行われます。そして「目的」の背景には、「お困りごと」(望ましくない状態)が存在しています。

我々が人に何かを提案するとき、それは相手の「お困りごと」を的確に捉え、さらに「どうなったらよいか」という望ましい状態を定義した上での最適策の提案になっているでしょうか?

もしかすると、自分がやりたい手段(解決策)ありきで、相手の問題を、そこに当てはめていないでしょうか?

もしくは、最初は目的が明確だったのに、手段をやっているうちに、その作業が目的化していないでしょうか?

手段がいつの間にか目的化してしまう「罠」は、いつも私たちの身の回りに潜んでいます。

そう、手段は楽しいのです。
その上、やった感(達成感)がある。

だからこそ、定期的に、その手段は、お困りごとを解決しているのか、何の目標を達成しようとしているのかを、習慣として見直したいものです。


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