見出し画像

心の中にあり続ける、思い出の食堂

「深夜食堂」というドラマが好きだ。
原作となる漫画よりも、圧倒的に映像化されたものの方がおもしろい。

ドラマのシーズン1~3、とNetflixのTokyo Storiesのシーズン1~2、それから映画化されたものが2本。
全部、3回以上見ている。

近くにこんなお店があるといいなーと思う。
いろいろな事情を抱えた人を受け入れる懐の深さが感じられ、見ることで癒される。はやく次のシーズンが放送されないかと、一番楽しみに待っているシリーズだ。


もともと、昭和っぽい、昔ながらの食堂がなんとも好きだった。
好きといっても、そういう食堂を食べ歩くというわけではなく、記憶の中の食堂を、大切に思っているというほうが近いかもしれない。

原風景は、地元の「かめさん食堂」。

画像1

http://rikueri.hatenablog.jp/entry/20120914/p1
(※こちらのサイトから外観の写真をお借りしました。店内も含め、素敵な写真がたくさんあるので、ぜひ見てみてください)

かれこれ30年以上も前、小学生の頃に、家族でよく行った地元の食堂。
少しすべりの悪いドアをガラガラと開けると、おばあちゃんが元気に迎えてくれる。壁を覆うほど、たくさんのメニューが貼られている。

定番の定食は、無口なおじいちゃんの作った、魚の照り焼きや、肉じゃが、きんぴら、おひたし、ポテトサラダ、ナス味噌などのショーケースに並んだおかずから、好きなものをとって食べる。

家では特に母が、かめさん食堂が大好きだった。
家族で「今日はどこに食べに行こうか?」と話すと、子どもたちの意見が通ってファミレスになることが多かったけれど、それでも母はよく「かめさん食堂がいい」と言っていた。宮城の田舎出身の母は、このお店の雰囲気に、故郷のあたたかさを感じていたのかもしれない。

私は高校を卒業してから10年以上地元を離れていたものの、次男を妊娠中に地元に戻ってきた。相変わらずかめさん食堂が営業していたので、長く会っていなかった親戚のおばあちゃんに久しぶりにあえたような気がして、すごくうれしかった。

変わらないかまど炊きのご飯と、おじいちゃんのちょっと味の濃いおかず。
なつかしさをかみしめながら食べた。

画像2

このときは確か、食後におばあちゃんが「これたくさんもらったから食べて」と、柿を出してくれた。

2013年に閉店してしまい、閉店前に行かれなかったのが悔やまれるけれど、亡くなった母との数少ない記憶として、一番大切な場所にしまってある。


もう1つ、思い出の食堂が、水天宮前にあった「三福」というお店。

画像3

今は立替で場所が移ってしまったみたいだけど、以前、水天宮前駅近くの会社で働いていたときに通っていたお店。

店内はとってもせまくて、おそらく8人も入れば満杯。
雰囲気は「深夜食堂」の店内と少し似ている。

小さな厨房をおばあちゃんが切り盛りしていて、おじいちゃんがゆっくりとした動作でお茶やおかずを出してくれる。

ランチのメニューは一つだけ。
こんな風に小さい器をたくさん並べた定食。

画像4

画像5

こんなに食べたら午後眠くなっちゃうなーと思いながら、毎回ペロリと平らげていた。会社を辞めてから、まったく行かなくなってしまったものの、今でもときおり懐かしく思い出す。

かめさん食堂も三福も、どちらのお店も、80歳を超えてなお元気なおじいちゃん、おばあちゃんが、何しろ魅力的だった。だから、いただく料理がすべて、おいしかった。


おそらく、日本のあちこちの街角に、そして誰の記憶にも、こんなお店があると思う。

これから先、それらのお店は閉まり、昭和の名残りは街から消え、本や映画、インターネットの中だけのものになっていくだろう。
そういうノスタルジックな意味合いで、こういう食堂を好きな気持ちはもちろんある。

けれど、おそらく「喫茶店」や「銭湯」が好きな人と似ていて、そこに漂う雰囲気や、集まる人々、紐づいたストーリーに、私は魅了されているのだと思う。

年末に親戚が集まるとき、東京のおばあちゃんが毎年煮てくれていた黒豆とか、夏休みに泊まりにいくと、宮城のおばあちゃんが毎朝もぎたての野菜で作ってくれたお味噌汁とか、そういう自分にとって「かけがえのないもの」と同質な、「包まれるようなあたたかさ」の感覚をもたらしてくれる。

そして、その雰囲気は、おそらく味覚にも大きく影響する。
料理そのものの味だけでなく、その雰囲気も味わいながら食べることで、おいしさが増す。


食べるという行為は、エネルギー循環の一つの行為だ。

食物を育てる大地や太陽や水などの自然のエネルギー
食材そのものがもっているエネルギー
生産者が生育の過程で注いだエネルギー
食材を取り取り扱う人がかけてくれたエネルギー
料理をつくってくれる人がかけてくれたエネルギー
一緒に食事をする人やその場のエネルギー

そういうエネルギーのリレーを経て、今自分の前にあるお料理をいただく。

エネルギーのバトンを受け取った自分は、そのエネルギーを誰にどんな形で送っていけるのか?

そのことを、この食堂のおじいちゃん、おばあちゃんたちは、記憶の中からいつも語り掛けてくれている。

サポートいただけたら跳ねて喜びます!そしてその分は、喜びの連鎖が続くように他のクリエイターのサポートに使わせていただきます!