残酷な神
萩尾望都の超名作「残酷な神が支配する」。
たったひとつの作品で
これほど私の行動規範を変えたものはない。
大好きな母が富豪と再婚する。
苦労の末に掴んだ幸せ。
しかしその相手は異常性愛者だった。
少年は母の幸せと引き換えに、
夜な夜な養父のオモチャにされることを受け入れる。
「愛してるわ」「私は幸せよ」と
何度もいう母の愛に少年は支配され
がんじがらめになる。
…というのが前半部分。
後半は、その母を「事故で」失った少年が堕ちてゆき
また他の人の愛によって再生していく話となっている。
この話でいう「残酷な神」とは母の愛情。
これを読んで以来
愛で人を縛ることは決してすまいと思った。
今私は愛でだれかを支配していないか。
愛してるなら私の望みを聞いてほしい、
愛してるから変わってほしい、
なにかを仕向けたりしていないか、
常に考えるようになった。
愛してる。愛してる。愛してる。
しかし、愛は切り札でもなければ免罪符でもない。
大好きな人ほどなにも望まず
右へ左へ思ったところへ
いつでもひらひらと飛び立てるように
ふんわりと包みたい。
愛で誰かを変えること、愛で縛ることはしたくない。
・
・
・
と、ここまでは去年書いて下書きに入れてあった。
ジャニーズの問題で、ふとこれを思い出した。
母の愛、母への愛は、
少年のエンタメへの憧れや夢に置き換えることができるのか。
手を伸ばせば憧れの地に届きそうなところにいる少年に
それと引き換えに自分の身を捧げさせる。
なんて卑劣なことだ。
どんなことがあっても許せるものではない。
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