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放課後学習支援

息子の通う小学校では、
通級教室や学習支援専任の先生がいらっしゃいます。
不登校の子や、通常の授業に不安のある子などを同じ教室、状況によっては別教室で見ていらっしゃいます。

学校や息子からの報告、多少見聞きした様子から推測するに、
どうしても集団のクラスに入れない子は、別教室に来れるときに来て、通級教室専任の先生がついていらっしゃるようです。
通常クラスに将来的に通えるようにレールを引いてくださっているということかな?と想像しています。
通常クラスには参加しているが、授業に不安のある子には、学習支援専任の先生や時には校長先生、教頭先生が支援してくださっているようです。
教師不足、教師の多忙が叫ばれている中、なかなか手厚いサポートだなと感じています。

その小学校で、「放課後学習支援」というものをやっていることを先日知りました。
知ったのは、新聞に「○○○小学校の放課後学習支援ボランティア募集」の広告が挟み込んであったからです。
この広告を見たとき、
何これ?うちの小学校でこんなことやってるの?NPO法人が運営?ボランティア募集?
と、ハテナだらけでした。

どこの小学校でも「放課後学習支援」ってあるものなんですかね?
学校の先生の負担を減らすために、NPO法人が運営っていうのはあることなんでしょうね。
言い方としては悪いですが、イメージとしては「居残り学習」ってことですかね?
私が小学生のころ(40年前)にもあったんでしょうか?
放課後学習支援には、誰が通えるのでしょうか?希望制でしょうか?学校が声をかけた子が強制的に参加するものなのでしょうか?

またまた言い方が悪いかもしれませんが、学習に不安のある子に手を差し伸べよう、ってことですかね?
他の子たちと同じように授業を受け、そこで理解できないなら放課後個別に教えますよってことですよね?

普通は授業で理解しようと必死になって、集中して授業を聞いて、家に帰って宿題して、わからなければ調べて聞いて理解しようと努力しますよね。
冷たく聞こえるかもしれませんが、その努力が足りないんじゃない?と思ってしまいます。
その努力がないと、将来、仕事でも、子育てでも、ボランティア活動でも、社会生活すべてのことでつまずくと思います。
この努力は幼少のころからやってるかやってないかで、将来が大きく変わると思います。
放課後学習支援では、その努力の方法を教え、努力した後の達成感なども経験できるのかもしれません。
しかし、その努力の方法は小さいころから各家庭で生活しつつ学ぶものではないでしょうか?
各家庭がその努力を放棄して、学校やNPOにお任せというのは私には理解できません。

診断がつくような症状の場合や、家庭に問題がある場合は別ですが、家庭での学習が可能なのに出来ていないっていうのは、単純に親の怠慢ではないでしょうか?親の努力が足りないのではないでしょうか?
共働きで子供の勉強まで見る余裕ないよって言われるかもしれませんが、普段の生活の中で十分に学習機会はあると思います。
スーパーに行って、お肉コーナーで一番安いお肉を見つけさせる(数字の概念)、季節によって売ってる野菜が違う(理科の勉強)ことを説明する。
お風呂で浮くもの浮かないものなどを実験(理科の勉強)する、ゆで卵のゆでる時間を図ってもらう(時間の概念)。
道を歩いていて、飲食店に入って、書いてある文字を全部読ませて理解できなかったら説明する。
勉強する特別な時間を作らなくても、日常生活の中で十分に勉強できます。
子供が、「へー」「そうなんだ」と思えば、他のこともどんどん自分で調べて勉強するようになると思います。

公立の小学校は公費で運営されていますよね?
各こどもによってかけてもらえる時間が違うってのが私は納得できません。

別の話になってしまうかもしれませんが、
こどもが帽子を引っ張られて破れた時に学校に相談したのに何の対応もありませんでした。
道で子どもが押されて車にひかれそうになった時も学校から何も話はありませんでした。
学校はどの子の何を見て、どこに時間をかけているのでしょうか?
学習に遅れがなく、交友関係も問題がない子の場合は、何も関心を持ってもらえないのでしょうか?

「放課後学習支援」のことを知ってしまうと、モヤモヤが消えません。。。









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