幻覚を見ていた
私にとって特別な猫、リオを亡くして今年で5年になる。
リオは、知っている方は知っているだろうけれど、夫と離婚するかどうかで別居して精神に異常をきたして実家に居候していた時、私のためにと親がペットショップで買ってくれた猫だ。
動物嫌いの親が動物を飼うというか、猫に助けを求めるほど、私は相当おかしかった。
リオを迎えた時のことを昨日のように思い出せる。
リオのおかげで、包帯が取れる度に切っていたリストカットの回数が減り、リオが食べるから私も少しずつ食べるようになって拒食症もマシになった。
だが実家には介護のため祖父母がいた。
祖母という人が、天然の無神経で頭が悪い人だったため、私が祖母を憎悪するのに十分な質問をしてきたりして(忍ちゃんはいつまでこの家にいるの?)とか、私は耐えきれなかったし、親も介護の方に重点を置き、私はお荷物になっていたのだと思う。
私は追い出されるように、実家を出て近くの団地に独り暮らしをすることになった。
まだ半分狂った頭で。
その時に唯一ついてきてくれたのが、リオだ。
それでもその生活は、案外楽しかった。
お金がなかったので、リオのおやつとして買った煮干しをふたりで分け合って食べたり(猫のおやつを人間が食べることはやめた方がいいです)、夜はベッドで一緒に眠り…。
リオは鳴かない子だった。
喉に障害を抱えていたのかどうか今もって分からないが、サイレントニャーと構ってほしい時に鳴く腹から出すようなひどい声以外は、鳴き声を聞いたことがない。
静かな猫だった。
物わかりのいい猫でもあった。
私が何時間もPCに向かっていても、そのすぐ後ろで座布団に寝転んでいる。
夜は、私の大量に飲まなければならない精神薬のシートを手裏剣のように飛ばしてやると喜んで遊ぶ。
それだけで満足してくれているような、けなげな猫だった。
その生活は2年弱続いたろうか。
私と夫はまたやり直すことになり、その時に夫に言われたのが
「俺と暮らすか、猫と暮らすか、どっちか選べ」だった。
夫も動物嫌いで、しかも多種多様なアレルギーを持っていたから、猫なんて傍にいたら嫌いだし、かゆくなるかもしれないし、とでも考えていたのだろう。
この選択には身を裂かれるような思いで、夫を選んだ。
リオは、実家が引き取ってくれた。
それから3年後に私は自殺未遂をして、夫もまた親と同じ選択をした。
つまり猫に助けを求めたのである。
動物飼育可能な分譲マンションを買い、リオと再び暮らせるようになった。
7年間。
リオと夫と私と3人暮らしで、この7年間が生涯で一番幸せな時間だった。
夫はびっくりするほどリオを可愛がってくれたし、リオも夫になついていた。
ごめんなさい。
ここまでが序章というか、前提の話です。
リオが14歳で亡くなって、49日間、ずっとリオの気配を感じていた。
49日が過ぎて、何日後だったろう。
ソファから猫の形をした影がひょいと飛び降りたのが「見えた」。
その飛び降り方はリオだ、その影の形はリオだ。
私は歓喜した。
リオだ。リオがまだ傍に居てくれている!
リオの影はたびたび目にした。
歩いている影、こちらに走り寄ってくる影、佇んでいる影…
いつからか、リオの影を見るのは周期的になった。
2~3か月に一度は必ず目にする。
リオのお骨は家のお仏壇に置いたままにしていた。
離れたくなかったからだ。
そのお骨と、遺影に向かって、朝晩毎日話しかけた。30分くらいだけど、どうでもいい話や、愚痴や、誰にも言えない悩みなどを話した。
リオは、生前通り、私のよすがだった。
そんな生活を4年間強。
私はそれまで通っていた心療内科の病院を変えた。
精神科に変えた病院で、あなたは統合失調症です、と断言された。
20年弱、双極性障害と、どの病院でもそう言われてきた。
でも変えた精神科ではこれまで通院してきたどの病院よりも丁寧に細かくカウンセリングされた上で、19歳から統合失調症です、と言われた。思い当たる症状があった。
19歳の時、茶碗を洗っていた母の真後ろで私は「私の背後に私の生霊がいる。そいつは例えば右足から歩こうとしたら右足で歩こうとしたことに嘲笑する。私のやることなすこと、全てについて、私が眠るまで嘲笑し続ける」と言った。母はチラリこちらを見ただけで、なんとも言わなかった。無視された。
22歳前後の時、会社で唯一の女性社員に毎日毎日怒鳴られながら仕事をしていた時、頭の中で何人もの老若男女の声がするようになった。
実家の自室で、その声に返事をしていると(独り言を言っている状態)、それを聞いた父から「ぅるせーっ!!」と怒鳴られた。
それ以来独り言は言わなくなったが、頭の中の声はますます大きくなった。
そして夫と別居してる最中、衛星が私のやることなすことをずっと監視し続けている、と感じていた。
それらを問診のカウンセリングで、聞かれたので言った。
先生は、双極性障害も併発しているのか、統合失調症の症例の一つの気分変調なのかはこれから様子見しますが…と言われたが、私は頭が真っ白になった。
疑念が持ち上がったからだ。
統合失調症の三大特徴は私でも知ってる。幻覚幻聴妄想だ。
「あの影はほんとうにリオなのか?」
恐ろしい可能性だった、本当にぶるぶる震えた。
お骨と遺影に向かって
「リオにゃんは本当にいるよね?」と何度も確認した。
去年の10月のことだった。
それから私はリオの影を見なくなった。
頼りない私を心配して傍にいてくれていると思い込んでいた、そして実際見えていたあの影は、私がリオ恋しさに作り出した幻覚と妄想、だったのだろう。多分…。
泣きじゃくった。
それでも、ショックが思っていたほどではなかったのは、リオを喪ってから4年経った時間のクッションのおかげか、2度目の喪失だったからなのか分からない。
分からないけれど、4年間、私は幸せだった。
死んでも傍にいてくれるリオにどれだけ救われてきたろう。
今度はもう、二度と喪うことはない。
いつかの未来、天国に行ってしまうとしても、今ではないだろうと思い続けてきた。
リオが影として傍にいてくれている、という話をしたのは3人きりだった。
そんな馬鹿な、と言われても仕方ないと思えるほど信頼している3人だ。
誰も、私が「おかしい」などとは言わなかった。
それぞれの言葉で、私の現状を、言ったことをそのまま肯定してくれた。
心底感謝している。
今でも、朝晩リオに話しかける習慣は残っている。
本当に聞こえているかもしれないという期待があるし、それに。
私は多分「本当の」リオを一度だけ見た。
リオを亡くして2年目の3月午前3時、なんとなく目を覚ましてしまって、タバコでも吸おうとリビングに続くガラスドアの向こうに、影などではなく、本物の生きている猫のように、それでいて、私の知識の至らなさから肥満にしてしまった生前のリオと違って、ずいぶんスッキリした体で、私が呆然とドアの向こうのリオを見ていて、リオはこちらを仰のいて見つめ微笑んでいるような表情をしていた。
なぜか声が出なかった。
そうこうしている内にふっと消えてしまった。
あれだけは、あの時のリオだけは「本物」だったと今でも思っている。
そして生前に近い姿でリオが現れてくれたのは、今のところあの一回のみだ。
影でよかった。
幻覚でもよかった。
傍にいると思っていたかった。
「私が死ぬときは迎えに来てね」と一方的に約束している。