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過去のわたしを掬い上げるために

11歳のわたしが泣いている。世界から自分が全否定されたように思えて、どうしていいかわからなくて。それでも明日は来るし、学校には行かなきゃいけない。なにより、そんなことでうじうじと泣いているのはなんだかかっこ悪いと思った。家では散々泣いたけど、学校ではなんともなかったフリをした。現実をただ淡々と受け入れたフリをした。それが今のわたしのはじまり。

ずっと泣いてなんていられない、現実はときとして冷酷である。わたしはもっと現実的な解決を求めた。出した結論は、みんなから好かれる自分になることだった。嫌われたくなかった。世の中で良しとされている理想像を演じることはだんだん難しくなくなって、演じているのかどうかの境界も曖昧になっていった。本当の自分が理想の自分になったんだと喜んだりもしたけれど、理想はどこまでも理想で、気付いたら自分の首を締めるようにもなっていた。その理想は今でもわたしを死の淵まで追いやろうとする。

自分が間違った選択をしたとは思っていない。むしろ11歳にしては現実的な選択をできたことに驚くし、そのおかげで今のわたしは大抵の人とはうまくやれている。でも、わたしが求めていた結論は『世の中に否定されずにわたしらしく生きること』だったんだと思う。

あのときのわたしに今会うことができるなら、やさしく抱きしめて、溢れるほどの愛をあげたい。残念ながら『世の中に否定されずにわたしらしくいる』ことはその世界では難しい。でも、世界がわたしを否定したとしても、わたしはわたしらしく生きていい。実際に何人かはわたしのことを認めてくれていたじゃない。そんな人たちを大切に生きていけばいいだけの話なのだから。

最近になってやっと理想の自分を演じるのをやめた。どんなわたしもわたしだ。理想のような自分も、理想のようになれない自分も。もう10年近く仮面を被り続けてきたから、どこからが仮面でどこからが本当のわたしの顔なのかわからなくなってしまうけれど、そんなときは11歳のときのわたしを思い出すことにしている。無理に頑張る必要も、笑う必要も、我慢する必要もない。怒りたいなら怒ればいいし、どれだけ泣いてもいい。わたしがわたしらしく生きていくことが何よりも重要だから。

過去のわたしへ。あのときの努力はきっと無駄じゃない。良心的なわたしを、現実的にうまく生きる術を与えてくれたのは過去のわたし自身だから。今でも助かってるよ。たくさん泣いて、それでもわたしらしく生きられるだけの強さをもった人間になれるように、これから頑張るね。

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