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あきらめが悪い

経営者を目指す直近7つの要因
・TOKYO2020がなくなったこと
・オーストラリアへ行くことを断念せざる得なかったこと
・宇宙ベンチャーで総務業をすると決めたこと
・会社は想像の10倍ベンチャーであったこと
・業務の進め方、自分の立ち位置にたくさん悩んだこと
・社長車事故を起こしてしまったこと
・自分の"幸せ"と向き合ったこと


私の経歴は大学でホスピテリティーツーリズムを学び、旅行会社の窓口営業を3年勤めていた。アルバイトも接客業が多く、常に集団プレーの場所で相手やチームを慮って仕事をすることが多かった。MATCHAのインターンだけが個人での記事執筆作業がメインタスクであった。もちろん記事を作成するまでに取材があり、執筆後は編集部へ確認修正があり全く人をかえさないわけではない。

総務は、開発以外のほぼ全ての仕事に関与している。大きく分類すると①採用・人事、②労務、③経理、④庶務である。私が今まで培ってきた営業、接客というのはほとんど役にたたないのだ。唯一前職が生かされるのは、社員の出張手配の時だけ。

社長がほぼ一人で約10年会社を築きあげてきた。4年前に入社した数人が定着し、少しずつ社員が増え、今社員数50人を目前としている。スタートアップから、「会社」になるちょうど過渡期、そしてコロナの影響で職を失った多くのエンジニアがリクルート活動をしていた、そんな変革期に社会人3年目の総務未経験、前任者がいない状態で総務チームへジョインしたのだ。今こうして思うとなかなか無謀だったなと。そりゃしんどかったよね。

総務メンバーは私が入社した時は2人しかいなかった。入社2年目の戦後の日本の礎を築き、活躍され米国就労経験のある76歳のおじさま。入社1年ちょっとのIT業界で活躍されなぜか初期配属はエンジンチームだった、還暦間近な紳士。二人の今までの経験には頭がさがるが、会社歴は数年のため知らないことも多かった。会社の歴史や今のオペレーションの理由、背景を掴むには過去のデータをみて自分でなんとなくで把握するしか方法がなかった。

そんな私に社員の人があれこれと質問しにくる。開発以外の全てを握っている部署なので当然ではあるが、私もわからないことばかりで、何をどう伝えるべきなのか判断するための材料がなかった。そんな状態がつづき、自分の長所であるポジティブ思考、明るさが少しずつ失われ始めたのは入社後して2〜3ヶ月あたりかな。入社1ヶ月目は新しいことばかりで高揚感があった、2ヶ月もするとわからないことが山のようにあり、3ヶ月目仕事に慣れることなくどんどんわからないけどやらなければならない仕事が増えた。過度な不安から夜の寝つきが悪く朝起きれない、月経がこない、週末引きこもるようになった。半年経つとなんとなく捌ける作業も出てきたが、やはりわからないことだらけ年末実家に帰った時、1年頑張ったら東京に戻ることを決断していた。友達、家族、頼れる人が近くにあり、すぐにどこへでもいける環境が東京にはあるからだ。

諦めようとする気持ちが強くになるに連れ、反比例するかのように諦めたくない気持ちがでてきた。少しずつ社員数が増え、会社が大きく変革期を向ける今、普通は絶対任されないような仕事をさせてもらっている今、本当に辞めていいのかと。自分の成長意欲、新しいことへの興味関心、知りたい能力が私を突き動かしたのかな。自分から逃げたくなかったし、視点をかえれば諦めが悪かったのかもしれない。

私はその時の自分が嫌だった、変わりたいと願い、変わるための方法を模索するようになった。

次回に続く!


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