特別な時間の終わりと始まり。示すこと、示されること。

今日、と言っても寝ていないだけだから、実際は3月1日の話になるのだれけど。
この日は僕という人間にとって、特別な1日になった。少しだけ細かく伝えるなら、特別な1日になったと、僕はどうやら感じているらしい。

人間の一生において、なんでもない時間というものはそれほどないように思う。特にそれが顕著なのは、20歳を迎えるまでだろう。学生という特別な時間は、他者から眺めれば取り留めないものだけれど、当事者たちには違う。あの時間にしかない、あの時間だけの何が必ずあるように思う。これは、この時間の外に置かれた人間には決して理解し得ないものだ。かつてその時間に身を置いていた人たちですら、それは変わらない。
そんな時間の変遷を、移り変わる時間を見届けることができる人間は、そう多くはないはずだ。幸運にも僕は、これまで幾度か居合わせること、見届けることができた。
なら、こちら側の人間にできることは多くない。多くないから、ちゃんとしなければいけない。

ちゃんと、見届けること。
これから先を少しだけ、導くこと。

たった2つ、できるかできないかしかない仕事とも言えない役割だけれど、義務と呼んでいいものだ。

これまでは、この2つをできるか、できたかで終わっていたように思う。
当たり障りのない話をして、自分に問いかけた挙句によくわからないという心に着地する。
けれど、今回─今日は少し違ったことも考えることができたいたように思う。

こちらもまた、多くのことを学んでいたこと。
たくさんのことを、教えてもらっていたこと。

見届けて終わりじゃないんだなぁと、はじめて思うことができたように思う。
少し遅くなってしまったけれど、気づくことができたことは素直に喜ぼうと思う。
どんな時間も、とても残念ではあるけれど、いつか変わってしまう。
特別な時間の終わりと始まり。
示すこと、示されること。
僕がその特別な時間の一端に身を置くことができていた事実と、とても大切なものを学ぶことがてきたこと。これらのことには、心からありがとうと言うことができるはずだ。

少しだけ大切になった今日に、きっと僕の心も喜んでいる。
ではまた、次の自分へ。

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