星と煙

駄目だったら全然大丈夫だから、といったような、明言されるよりも圧倒的な強制力を持つ言葉によってバイトに明け暮れる日々を送る中で、煙草に火をつける時間はより一層輝くものだと改めて思った。

なにもない日々を、なにもなく送る。目に見えて自分のものになるものは何一つないけれど、目に見えない疲れだけは確実に自分のものになっていく。ネガティブなものばかり簡単に手に入るもんだな、とそんなことを考えながら煙草を吸って、誰からの連絡もない携帯を見て、ふと思った。

7月7日。

七夕か。自分の中にまだ七夕を思い出せるだけの何かがあってよかったと漠然と思った。何か、七夕という行事に象徴するような─例えば短冊だ─ものを目にしたわけでもないのに、7がふたつ並んだ日付を見たというそれだけで思い出せたことが、わけもわからないまま無性に誇らしかった。それと同時に、もし日付を見ないままでいたら、思い出せすらしなかった自分に、悲しくもなった。

子供のころ、自分は星に何を願っていただろうか。願っていた、というその事実だけを残して、その願いを僕はもう思い描けない。子供らしい無邪気な、叶うはずもない願いだったのか。子供らしくない、大人びた自分を信じていたころの願いだったのか。それすら靄がかかっている。
生憎、空に星は見つけられなかった。まあ、似合いと言えば似合いの空だ。星が出ていても、きっと僕の吐いた煙のせいで見えなくなっていただろうから、それなら初めからなくても─ないほうがいい。

ねぇ、今日は七夕なんだよ。
心の奥底で、誰かにそう言われたような気がした。きっとそれは本当に“気がした”だけだろうけど、僕をその“気がした”が掴んで離そうとしなかった。
忙しくなってしまった毎日。酒を飲んで、煙草に火をつけて、嫌なことを忘れようとして、数少ない良かったことのほうを忘れていく毎日。願うことそのものを、とうにやめてしまっていた毎日。
なぁ、今日は七夕なんだよ。
自分に言ってみても、結局なんてことはなくて少し可笑しい。けれど、そうだ。今日は七夕なんだってさ。もうあと少しで今日という日も終わってしまうけれど、せっかく思い出すことができたんだから、なにか願ってみてもいいかもしれない。

もう、煙草はほとんど残っていない。これが最後だろうな、と思いながら吸って、煙を出す。この煙は、きっと空までは届かないだろう。けれど、届くこともあるかもしれない。子供の頃の自分はもう思い出せないし、大人になってしまった今では、願い事をすることだって一苦労だ。だから、吐き出す煙に乗せて、ただ純粋に思ったことを願った。

次は、星が見れますように。


※こちらの文章は、かつて書いていたものに加筆・修正を加えたものです。

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