まだ辿り着いたことのない、でも確かにある故郷

どうも、よわのあきです。
もとよりあまり時間に執着のあるほうではないけれど、気づいたら2024年も半分終わってしまったようだ。きっと今年が終わるときにもまた、気づいたら終わっているというようなことを思うのだろう。

さて、誰にでもあるように、僕にも好きな音楽のジャンルというものがある。
それは俗に“ケルト音楽”と呼ばれるものだ。
もっとも、本来の語義からはそれなりに外れてしまったうえで呼ばれているジャンルだから、ここでいうケルト音楽は現在広く呼ばれているものになると思う。

少し聴けば、そういったものに慣れ親しんでいない人でも感じるであろうファンタジックな曲調で、心が踊るリズム、テンポが特徴的なものたちだけれど、なにより感じるのは“懐かしさ”だと思う。
なにをもって“懐かしい”という感情を抱くのかはうまく説明するのが難しいけれど、とにかく懐かしい気分になる。その中にそれぞれの曲が持つ軽快さや寂しさといったものがあって、より鮮明な思い出となる気さえするのである。

ケルト音楽から感じるこの懐かしい気持ちはどこから来ているのかな、と考えることはそれなりに多い。
きっとそれは、想像もつかないくらい過去には、きっとそういう世界が実際にあったからなのだと思う。
地球の歴史、と言ってしまえば、いくらでも遡ることができる。恐竜たちの時代から、人間の祖先たちが過ごしていた時代。でも、そういうものとは違う過去がきっとあったのだと思う。
アナログからデジタルに変化していった世界の次に行き着く先は、アナログだという話もあるように、きっと世界はとても大きな周期で繰り返されているんだと、そう思っている。
僕らには想像ができないほど遠い昔、エルフもドワーフも、きっといたのだろう。遥かな先祖が残した歴史が、曲があったのだろう。歴史や体を超えたような、魂に紐付いた郷愁がきっとあるのだ。
だからこそ、懐かしいという感情が僕らには備わっているんだと思う。

遠い昔の故郷の曲を耳にしたとき、いつかあったはずの故郷に帰りたくなる。
僕はこれを単なる空想で終わらせたくはないと、そう思いながら生きている。

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