白い光、そのままの

 暑い、ということ自体にはさほど嫌悪感のようなものを持っているわけではないけれど、暑いなと考えてしまうことはあまり好きではない。窓から見える、絵に描いたような大きな雲と青い空の中で、大空の花嫁は純白の微笑みを地上で暮らすすべてのものに向けている。

 学生という身分の僕たちは、夏休みという時間を享受している。夏休みの課題という敵は早々に倒してしまっている僕の過ごし方はもっぱら読書になっている。家で読んでもいいのだけれど、無条件で空調の効いている場所かつ、適度に話し声のある場所─学校の図書館という場所に足を運んでいる。
「本当に暇さえあれば本読んでるな」
「暇なんじゃないよ。君たちが友達と遊ぶのと同じことをしているだけさ」
 それもそうかと笑いながら目の前の席に腰を下ろした男子生徒は、僕の高校生活の中でも本当に数少ない友人だ。僕の知る限りではあるけれど、彼はそれほど熱心に本を読むようなタイプの人間ではない。かと言って来るかもわからない僕に会うためだけに図書館に来るほど、深い友情で結ばれてるとも思わない。そんな僕に答えを見せるように、彼は床に置かれた鞄の中から教科書やらプリントやらを取り出して広げた。

 それからしばらくの間、僕たちはそれぞれ本を読み、課題に勤しみ、何人もの生徒の出入りを見送った。
「そういえば、この前あの子と話す機会があったよ。なるほど確かにクセの強い子だな」
 ふと、そんなことを言われた。けれど、誰のことを言って話しているのかは明らかにも程があった。そもそも思い当たる相手なんて、僕には一人しかいない。
「ササユリかい?そんなことはないよ。彼女に何か感じるところがあるなら、それは受け手側に欠けているものがあるってことだよ」
「手厳しいねぇ。でも不思議な立ち位置にいる子なのは事実だろ?クラスでもなんとなく目の敵にされてるぜ」
 男子からの人気はそれなりに高いけどな、と悪戯っぽく笑って言う。たしかに彼女は、いわゆる“クラスの中心になる女の子”からの評価が著しく悪くなる傾向にあるし、その理由の推察は簡単だけれど、僕はそんな彼女に美徳を感じているから何も言うつもりはない。それに、本人はそう思われていることに気づいていない可能性だってある。
「俺はそういういざこざに関心が向かないタイプの人間だけど、見てて生きにくそうに感じる瞬間はある。お前からなんか言ってやれよ。幼馴染なんだろ」
「幼馴染ってほど古い知り合いじゃないよ。中学からの付き合いだし、同じクラスになったこともない」
「あれ、そうだったのか。見るたびに一緒にいるから、俺はてっきりずっと昔からの友達なんだと思ってたよ。それにあの子、お前といるとよく話すだろ」
「そんなことはないよ。クラスでどんなふうにしてるのかなんて聞いたことはないからわからないけれど。少なくとも、ササユリは相手が違うからといって関わり方を変えるような人じゃない」
 大人びてるよなぁと呟いて、彼は再び机の上のプリントと睨み合いを始めた。僕はそれに対して何も言わなかったけれど、どちらかと言えばササユリは子供っぽい女の子だと思う。ずっと昔からの─僕の知らない子供時代からの考えを、彼女は捨てていない。大人になる、ならなければならないという過程を、切り離す行為ではなく連れ添う行為として歩んでいる。

「さて、キリもいいし俺は帰るかね」
 首を回しながら伸びをして、彼は課題たちを整えていく。
「せっかくなら全部終わらせていけばいいのに。便利な言葉だよね、キリのいいところ」
 今度は僕が少し笑って言う。彼は手を緩めることなく、今日一番の手際の良さで片付けを終わらせる。
「俺はしっかりとその日その日に片付けるべき課題を決めているのさ。まあ、うっかり忘れることはあるが、なにもそれは俺だけが忘れてるわけじゃない。課題の方が俺にやってもらうのを忘れてることだってあるんだよ」
 だから今日はこれでいいと胸を張る姿は、ササユリとは違う美しさと輝きを持っている。もちろん今回のこういったところだけではないが、僕は彼のこういった人柄をとても好ましく思う。流されないとか、我が強いとか、そういうのとはまた違った一本の柱を持っている。
「今度何か簡単な本でも紹介してくれよ。気が向いたら読まされてやるからさ。お前まだ帰るつもりないんだろ?」
「そうだね。僕の“キリのいい”はまだ来ていないみたいだし、まだしばらくは帰らないかもね」
「まったくお前は本当にいい男だよ、クスノキ。でも多分もうすぐしたら帰ることになると思うぜ」
 理由は、と問いかけた僕に、「さぁ?俺の勘はよく当たるかもしれないぜ」と言って、人好かれする気持ちのいい笑みを浮かべた。
「さて、それじゃあ本当に帰るよ。またな」
「またね、モズ。弟くんによろしく」
 間延びした声で返事をして、いよいよ図書館を後にした背中を僕は見送った。

 それから“もうすぐ”と言えなくもない時間が過ぎたころ、僕の斜め前の椅子が引かれた。
「あれ、いたのか」
「しばらく前からいたよ。集中してるみたいだったし、声はかけないほうがいいかなって思って」
「全然気づかなかった。話しかけてくれてよかったのに」
 僕の斜め前に座っていたのはササユリで、手元を見るに彼女も何かしらを読んでいたみたいだった。見る限り随分と薄い雑誌のようなものだけど、それにしても彼女が一冊読み終わるまで気づかなかったのは自分でも少し驚きだった。そもそも彼女がいるはずがないと思っていたのも大きいのかもしれない。
「夏休みだからずっと向こうにいるのかと思っていたよ」
「今日は先生に用事があったから」
今から帰るところだよとササユリがそう言ったから、僕も自然と帰る気持ちになった。「そういうことなら僕も帰ろうかな」と言って、片付けを済ませる。

 帰り道を歩きながら、けれど特に何かを話すわけでもない。ただ隣にササユリがいるだけで、それでいいと思える。彼女の隣にいられる自分が少しだけ誇らしくもある。
「さっき少し話に出たけど、多分夏休みの終わりくらいにしばらく向こうにいるままになると思う。クスノキも来れる?」
「ああ。大丈夫だよ。楽しみにしておこう」
 それから少しだけ歩くと、僕たちがいつも別れる道に着く。僕が「送っていこうか」という日もあれば、ササユリが「送っていってよ」と笑う日もある。自然に別れる日ももちろんある。
「それじゃあ、またね。クスノキ」
「またね。気をつけて」

 軽く手を振って駅に向かって歩いていくササユリを見て、モズと話したことを思い出す。
 クラスの中心になって、人気者になるような人たちの持つ魅力。人から素敵に見られたい心があって、自分を飾って作った魅力。すべて素晴らしいものだと思う。ササユリの持っている、ずっと変わらないままの美しさも。
 どうか、光を失わないように。どうかその白い輝きのままでいてくれるように。そんなふうに思う自分を笑いながら、僕もまた、歩き始める。

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