smoking stalking…

日が昇るのと同時に、人は1日を始めるのだそうだ。それならば、火が燃え上がっていくタバコは僕の1日の始まりと言ってもいいだろう。

空想に囚われるようになったのはいつからだろうか。1日の始まりをも決められる僕に、その始まりを思い出す力はない。僕は読書を好む。人並みに、いやそれ以上に本というものに触れてきた自負はある。10数年文字に触れてきた人間である僕は、先日思いがけない気づきに出会った。恥ずかしい話だが、本に過適応したせいか、今までは気づきもしなかった。僕は、物語にだけ共感している。言葉を返せば、僕は現実に共感することができない。そんなことに気づいた。気づいてしまっていた。

実にくだらない昔話だ。一方からは過剰な愛を注がれ、一方からは愛情など破片すらも受け取ることがなかった。僕は普通の家庭を知り得ない。両親から育てられるということは、物語の中で初めて知った。言うなれば、そう、
僕は、現実に対するアレルギーを抱えているとでもいうのだろうか。

火の進みが速い。自分のことを誰かに向けるのはとても苦手だ。まず、根本的、そして運命的に僕は臆病な人間だ。すべての行動原理は突き詰めれば恐怖心や不安、不信感によるものだと断言できる。
その点において、空想や妄想、物語の類は居心地がいい。だから僕は空想が好きだ。現実から逃げられないことを知りうる人間が逃げる先はそれだから。今を意識すればするほど、先は暗くなる。一寸先は闇、という言葉があるが、僕の場合は違う。足元はかろうじて見えているのだけれど、数km先は真っ暗だ。

友人や職場の人間に、ドライやクール、リアリストといった印象を受けると言われることが度々ある。ある種的を射た皮肉だ。僕は徹底的な現実排他主義であり、筋金入りのフィクショニストだというのに。

僕の現実への拒否意識が決定的なものになったのは、おそらく何年か前のあたりだと思う。贅沢な話だが、数年前、僕には恋人と呼べる人がいた。細かいことを省くのなら彼女との別れが引き金と言って相違はないだろう。独りよがりな臆病者が元凶だが、何はともあれ彼女はいなくなった。
そして僕は、手に入れた幸福を失う恐怖を知ることになる。

手にした幸せ。手にするであろう幸せ。手にするはずだった幸せ。そして、手にしていた幸せ。僕はそれらを失う怖さに耐えることができない。失うのなら遠ざける。現実を認めて、その道が苦難に染まっているならまだマシだ。なにもない、平凡と呼ぶには失礼すぎるくらいに凡庸で何もない。そんな現実が待っていたら。それは僕にとって、眠らずに朝がくる恐怖だ。
だから僕は、物語で自分を護る。
 
それでも、こうまでしても、僕は気づいている。虚構に頼って生きていく自分の虚しさ、どうしようもなさ、悲しさに。現実に起きていること、起きるであろうことに耐えられないからといって物語を作り上げ、それに縋って自分を保っているなんて、本当にどうしようもない人間がいたものだと思う。「自分」というものを定義づけするための道具が偽物でしかないというのは、寂しすぎるという意識も、間違いなく持っている。

現実に対してアレルギーを抱えていて、虚構の世界に身を置き続けていると言っている僕は、本質的には逆なのだろうと思う。本当は何より現実を信じたくて、仮初の世界なんて必要じゃないままに、目の前にあるなにかにだけ大切なものを見出したいと、強く願っているんだから。
そんなことすら認めてやれない自分に、お前は本当にどうしようもないんだな、と冷めた声をかけることしかできない。

気づけば煙草は微かな煙を残して、とうの昔に燃え尽きていた。自分のことをあらためて振り返るなんて、フィクショニスト失格だ。
わかっている。現実から逃げることなどできない。よく知っている。一秒ごとに押し寄せてやまないこの怖さは、どこまで付き纏うのだろうか。それも知っている。
煙は、僕に縋り付いて離れないのだから。

いつか、僕のなかにある嘘と優しさが手を繋ぐときがくることをほんの少しだけ願った。



            ----smoking stalking


※こちらの文章は、かつて書いていたものに加筆・修正を加えたものです。

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