初めての肛門科

内視鏡の朝は早い。


普段からの腹の調子が災いし、私の肛門は複数のいぼ痔が重なり合い、隠れミッキーの様になっている。ミッキーも隠れる場所を選んだ方がいいと思う。

このミッキーが思うように引かず、病院嫌いの私がとうとう肛門科の扉を叩いたのが数週間前のことだ。


突然だが、私に尻を弄る癖はない。


初診で処方された使い切りの軟膏も、ミッキーの片耳を引っ張りながら肛門の穴を探し、恐らく出来るだけ小さくされたのであろう軟膏の入り口を泣きながら肛門の出口に挿し流し込んでいた。


そう、多くの人にとって肛門は出口なのだ。


しかしながら肛門にミッキーができた人間にはそれが通用しない。

今日、私に用意されているのは看護師より手渡された座薬。

これを使って出口付近に溜まっている便を排出するというのだ。最早出口ではない。軟膏、座薬、そして後に待っているであろうカメラ。

私の肛門は入口へと変わりつつある。


座薬を挿れて終わりではない。10分ほど便を我慢しなければならない。

更に1つではない。私の手元には座薬が2つ。

これを続け様に挿入しなければならないのだ。


私が年頃の乙女なら今頃さめざめと泣いていただろう。

しかし私はもうすぐ三十路を前にした恋愛をとうに捨てた喪女だ。

弛んだ尻の奥の入口にあるのは三十路のミッキーなのだ。


幸い、数週間の軟膏生活で慣れたため、肛門の場所はノールックで確認することができる。

恐らく私は完璧に座薬を挿入することが出来るだろう。


私の体を蝕むいぼ痔は入口のみなのか、それを調べるための戦いが今、始まろうとしている。



       *****



華麗に、優雅に、美しく。


スッ、スッと肛門へと2本の座薬を挿れた私はあまりの手際の良さに感嘆を漏らした。座薬のスペシャリストと呼んでくれ。そんな爽快感はものの数十秒で消えていった。


1分と経たずに強烈な便意に襲われた。何という即効性だ。

しかし私は看護師に強く、強く「10分は排便を我慢してください」と言われている。


耐えるしかない、このレースに。


肛門を緩めると終わる。

側にいた父が見かねて「横になっていれば?」と声をかけてくれた。


バカ野郎、体制を変えるのに腹筋を使っても私は終わる。

入口に変えられていた私の肛門が久々に出口と戻ってしまう。
切羽詰まっていた私は優しい父の声かけに応えることが出来なかった。


耐えろ、耐えなければ。


私は回った。子犬が自分の尻尾を追いかけるが如くその場をグルグルと回った。

立ち止まるな、終わるぞ。


あぁ、視界に入る秒針が恨めしい。

こんなに時が長く感じたのはいつ以来だろうか、いや、そんな事を考えている余裕もないくらい私は限界を感じていた。


奇声を上げながら駆け回る娘を両親はさぞ悲しい目で見ていただろう。知らん、今は肛門の方が大事だ。


5分か経った頃だろうか。

自分の下着が濡れるのを感じた。私の名誉のために言っておく。固体ではない、溶けた座薬、液体だ。


しかし、尻を通ったその感覚によって私は終わりを告げられた。


「出るッ、お母さん出ちゃうよぉッ!」

「10分って言ってたでしょ!まだ半分、アッ、コラまだだって!」


母の静止を振り切って、私は便所へ駆け込んだ。


下着に出すか、便器に出すか。私に残されているのは二択だった。

便所の扉も便座の蓋ももどかしい。あぁ、なぜ私はズボンを履いたままでいたのか。

史上最速でデニムのボタンとファスナーを開け、開放された私の尻は便座へと吸い込まれていった。



      *****



座薬の便意を乗り越えた時点で、もう私に怖いものは無いと思っていた。


病院に着くとすぐに呼ばれ、ズボンと下着を降ろした。

最早人前で肛門を晒すことを何も思わなくなっていた私は遠慮なく尻を見せ、医師へと突き出した。

優しい手付きでゼリーを塗った医師が、優しい声で「じゃあカメラを入れていきますね〜」と言った。

こんな思いやりに溢れてそうな医師に当たり私はラッキーだ。安心して医師に身を委ねた。


異変が起きたのはカメラが数センチ進んだ頃だった。

曲がった。このカメラ、道を曲がった。

急なカーブで私の腹は突然大きく脈を打った気がした。

私は腸に詳しくないのでこれはイメージの話だが、腸というのはとても長く、人間の腹に収まる為にグネグネと沢山曲がっていたと思う。

腸に沿ってカメラを進めた結果、腸の角か何かに当たり私の腹が悲鳴をあげているのではないか。

しかし、泣こうが喚こうがこのカメラは止まらない。どんなに優しそうで言えば検査を止めてくれそうな医師でも仕事はちゃんと遂行する。病院とはそういうものである。私は知っている。


適度に腹と肛門の力を抜きながら、私はカメラに映る自分の腸内をぼんやりと見ていた。

座薬では取り切れなかった便が見える。

しかし、そんな事で狼狽える元気は私には残っていなかった。

早く、この悪夢が終わりますように、と願いながら時が進むのを待つだけだった。



      *****



検査が終わり、診察に呼ばれた。


「じゃあ、切れ痔が治ったか確認するのでズボン脱いでくださいね〜」


えっ、終わったんじゃないのか。

どうやら先程の検査の医師は腸の中を見るだけで肛門付近は見ないらしい。

腸のエキスパート、肛門のエキスパートという訳か。わからない、そう思うことにした。

再び肛門にゼリーを塗られ入口付近を確認され、先程のカメラの映像と一緒に検査結果を聞いた。


結論から言うと、肛門の中にもいくつかいぼ痔は存在した。

その姿は小さく、隠れミッキーというよりは鍾乳洞の様だった。


外のミッキー。中の鍾乳洞。


私の肛門はちょっとしたアトラクションなのかもしれない。

そう思うとちょっとだけこの肛門に愛着が湧きそうな気がしないでもないかもしれない。しない。何言ってんだ。


便秘も下痢も良いことがない。

しかし私の腹は自律神経が物を言う。感情全てが腹に出るので、この先もずっとこの症状と付き合っていくことだろう。

人間に向いてない。


これを読んでいる人は腹と肛門に優しい生活を送ってほしい。

万が一ライブや仕事などで腹が痛くなったら私を呼んでくれ。下剤、下痢止め、整腸剤、痛み止め、カイロ、ガス止め、ありとあらゆる腹痛対策グッズを持ち歩いている。

皆で腹痛を乗り越え幸せな人生を送ろう。貴方の肛門にミッキーが現れませんように。


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