今思う、“愛”について
私の中でずっと、このnoteのテーマは「愛とは?」なんですが、始めたころは「こうかな」という意見すら思い浮かばなかったその答えについて、今思うことを書いてみます。
……愛って、”愛する”とかも言うけれど、もしかしたらそんなに能動的なものではないのかな、と。
その人らしさをそのまま認め、受け入れ、その人がその人らしく生きていけるように見守る、みたいな。
例えその先にあるものがその人の旅立ち、自分との別れであったとしても、それでも「その人らしく生きる」ことをそっと応援する、みたいな。
そういう気持ち、スタンスのことなのかな、と思っています。
決して「その人のかたち(個性?)」みたいなものを変形させてしまうほど踏み込むことはしない。
見返りも求めず、執着せず、ただその人らしく生きてくれることだけを願うこと。
例えば恋愛だったり家族だったり、そういう近しい関係性ってとても距離が近いから。「私のこと、見てほしい」とか、相手に期待する気持ち、そういうものも出てきがち。
だけど、大切な人ほど、近しい人ほど、もっといい意味で距離感を保って、がんじがらめにしないこと。
こちらの希望はもとより、世間の目からも何からも、その人らしさを守ること。
そういうことかなって。
そして、もしそうだとしたならば……
私はずっと愛が欲しかったけれど、きっと愛って、授受できるようなものではないような気がする。
もしも私がありのままで過ごせているなら、きっとそこに、愛はもう在る。
「愛とは?」という問いの答えに正解はないのだろうし、人それぞれの答えがあっていいと思う。
シチュエーションによっても変わるだろうし、私もきっと、この先また考えがアップデートされる日もくると思う。
そんな、答えのないことを考えることを、続けていきたいです。
きっと自分なりの「答え」の変遷こそが、自分の生きた証。
そんな気がしています。
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