最近

久々にオールをした。明け方4時半過ぎまでZERO TOKYOのイベントで遊び、寿司を食べ、5時半にカラオケに入って9時半に出た。家に帰って近所の朝から空いてる銭湯に行き、疲れをほぐしてから3時間寝た。
9時半にカラオケを出たとき、期待していた朝の澄んだ空気と開放感は特になく、ただの9時半の歌舞伎町だったのでちょっとテンションが下がった。
そういえばZERO TOKYOから回転寿司に移動するとき、外国人の2人が肩を組んで「チーム友達!チーム友達!」と叫んでいて、すごいなと思った。チーム友達はTikTokでは卒業式文脈の動画で普通の中高生たちに広がっていて、なんか色々すげーなと思う。
カラオケには中高生の頃にはよく行っており、特に中学生の頃は月に10回行っていたような時もあったが、大学生になってからはめっきり行かなくなった。たまにいくのは大人数で定番曲を歌い連ねるような場しかないので、自分の好きな曲を自由に歌えるカラオケのときに歌える曲が高校生から更新されていないことに気づいた。自分の音楽の趣味は高校生の頃から変わっているけど、高校生の頃と変わらない曲を歌い、「君と羊と青」とかふつうにめっちゃエモい気持ちにもなるけど、最近好きな曲も歌いたいな(けど歌える自信がある曲ないな)と思った。帰って寝て起きてから、歌いたい曲を流して歌詞を見ながら歌ってみて、久しぶりの行為にこそばゆくなった。
オールもカラオケも久々だが銭湯に行くのも久しぶりだった。滅多に銭湯に行くことはないが、だからこそ行くたびに暗黙の了解・ルール・マナーが蒸気に含まれ漂っているように感じられて少し緊張してしまう。しかし結局湯船に浸かるとリラックスしてそんなこともどうでもよくなるわけで、お風呂とは偉大だなと今日の銭湯を振り返って思う。
インスタを見ていると、エクセルのテクニックを紹介していて社会人なりてたての頃にフォローしたアカウントが、いつの間にかシンガポールでのセレブリティな生活と札束ばかりをストーリーにあげる情報商材屋になっている。「変わるなら今」「早く行動したもの勝ち」と行って煽る姿に、これで騙されちゃう人もいるんだよなと思いつつ、確かにそのメッセージ自体は間違っているわけではなく、というか世の中によくあるメッセージで、社会人3年目になろうとしている自分に刺さる言葉だなとも思ってしまう。
Twitterを見ていたら隈研吾がデザインした靴が流れてきて、あまりにも隈研吾すぎて面白かった。圧倒的な記名性があることは偉大だけど、圧倒的な記名性があるが故に大喜利にしか思えない。



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