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熱狂と引換えに安全になったライブ ラフィン・ノーズ日比谷野音事故


ソウル・梨泰院群衆事故の衝撃


2022年10月末、ソウル・梨泰院(イテウォン)で起こった群衆事故のニュースが世界中を駆け巡った。

ハロウィンでの出来事。
新型コロナウイルスの流行により中止となっていたイベントが3年ぶりに再開され、街は異様なほどの賑わいを見せていた。

ソウルでも有数の繁華街、イテウォンにある街路の交じりあった区域には10万人以上もの人々が集まっていた。

事故の現場となったのは、名も無い細い通り。
表通りから一本入った小路で、そこは勾配のある坂になっていた。
通りの幅は、最も狭いところで3.2mほどしかなかった。
そこに1000人近くもの人々が押し寄せていた。

事故直前の現場の様子
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=124729333による

そこで悲劇は起こった。
誰が原因になったということもない。
極度に圧縮され、身動きのできない群衆の中では、いったん事態が進むと、もう被害を止めることはできない。

時はすでに遅かった。

わずか面積18.24 ㎡という狭い区域の中で300人以上の人々が折り重なり、特に強い圧迫を受けて多数が呼吸困難に陥った。

事故の生存者は「密集した人々の中で坂道に押し流され、波のように行ったり来たりした」「後方から押される力で、足が空中に浮いたようだった」と証言する。人々が密集して水の流れのようになり、各自の意思で動くことができなくなる「群衆流体化」と呼ばれる現象が起きていたとされる。

これだけの密集状態になると足は浮き立ち、自分の身体の所在さえわからなくなる。
無数の群衆のなかの一人となり、互いの圧力の中で呑み込まれてしまう。
中には立ったままで胸部圧迫によって死に至った者もいるという。

イテウォンの現場で亡くなったのは、計158人。
限られた区域の中で、これだけの死者が出た。

150人超という数字は、私たちに驚きを与える。
これだけの数の命が、一瞬にして奪われてしまうものなのかと。
ハロウィンイベントは、日本でもポピュラーな出来事になっている。
イテウォンの事故は対岸の火事などではない。

だが、このような群衆事故はそう珍しいことではない。
規模の大小はあれど、群衆事故と名指されるケースは毎年世界の各地で発生している。

古くは「将棋倒し」と呼ばれたような群衆事故は古くからあり、もちろん日本でも多くの事例がある。
特に大規模なものを挙げると、1956年元日に発生した彌彦神社事件では、新潟県の神社で福餅撒きに集まった参拝者が将棋倒しとなり、124人が死亡した。
さらに、2001年に兵庫県で発生した明石花火大会歩道橋事故では小学生以下の児童9名を含む11名が死亡し、警備を担当していた明石市と兵庫県警および警備会社は司法の場で責任を問われることになった。

さらに、英語版のWikipediaでは記載されている事故にかなり異同があり、両者を合わせるとその数はさらに増える。
主なものを挙げる。

1989年4月15日ヒルズボロの悲劇
イギリスのイングランドシェフィールドにあるヒルズボロ・スタジアムで、立見席に押し寄せた観客が極度の圧迫状態となり、97人が死亡した。
以前から問題視されていたイギリス・フットボール界のフーリガンの過度な熱狂が背景にあり、この事故以後、サッカースタジアムでは立見席が廃止されて椅子席となり、老若男女問わずサッカー観戦を楽しめるように試合の運営はあらためられた。
今日のイングランド・プレミアリーグの繁栄もこのヒルズボロの悲劇の反省の上に成り立っている。

2015年9月24日メナー群衆事故
サウジアラビアのイスラム教聖地メッカ近郊で、人々が「悪魔の石柱」に向けて石を投げる巡礼儀式が行われていた。投石場所に向かう道路で、一部の巡礼者が当局が指定した順路を守らずに脇道から殺到し、大量の人々が押しつぶされた。死者の数はAFP通信が集計したものによると、2181人に上る。
年一回のハッジ(大巡礼)における群衆事故は以前から発生していたが、2015年の事故はメッカ史上最悪の事例となった。

人々が何らかのイベントで寄り集まり、そこで事故が起きたという事例は数多くある。
リストを見ればわかるように、類似の事故は枚挙にいとまがない。
つまり言ってみれば歴史上、群衆事故は世界中で、無数に発生していることになる。


このような群衆事故について考えるには、ポイントがある。


問題を履き違えてはいけない。
大事なのはそこに集まった人びとは危険なところに自ら突っ込んでいくバカなのではなく、何かしら「楽しい」ことがあるからその場所に押しかけたのだという事実をしっかりと認識することだ。

何かしら楽しいことがあるから、人はそこに集まるのである。
それは間違いない。
人はどこかに人が集まっている、詰めかけているのを見ると、そこに何か「楽しい」ものがあるに違いないと思い、自分もそこに足を向ける。
そしてその正体を見極めようとする。

それは人間の本能的な欲望なので、止めることはできないし、実際にそれは楽しいものなのである。
だからこそ、そこで惨劇が起こると悲惨さは増す。
人びとは楽しいことを求めて行ったはずなのに、一瞬にしてそこは悲劇の舞台となり、恐ろしい事故に巻き込まれてしまったのだから。

どうすれば、このような事故を防ぐことが出来るのか。

前述の明石花火大会歩道橋事故を受けて、兵庫県警が「雑踏警備の手引き」という120頁にわたる文書を公開している。
当該の歩道橋事故の反省を踏まえ、さらに過去の事例も細かく分析されており、雑踏警備の計画から実施までを具体的に指導するものとなっている。
現在のところ、これが群衆事故防止のためのマニュアルとしては最も充実したものと言えるだろう。

一方で、今回イテウォンで発生したような、中心となる会場やイベントが存在しないにもかかわらず、街中で突発的に起こる群集事故については、人の流れの把握が難しく、現在でも適切な対応が模索されている最中である。
日本では2013年ころからいわゆる「DJポリス」なる警察官(おもに機動隊員)らの活躍が話題に上がる。
イベントがあるたびに、集まった人々に冷静な行動をとるよう呼びかけるという方策がとられている。

事故が変えた法令 ラフィン・ノーズ公演雑踏事故



前節で書いたように、街中で起こる群衆事故への対応は現在でも模索の途上にある。
一方で、コンサートやスポーツイベントのようないわゆる「ハコもの」の催し物における参加者の安全対策については、以前に比べて法令が整備され、より安全になっていると言える

いわゆる「ロック・フェス」では、数万人規模のスタジアムやそれと同等規模の野外会場でも座席が固定されずスタンディング形式をとることが多いが、それでも防護柵によってエリア分けがなされ、出来るだけ一ヶ所に観客が集中しないように配慮がなされている。

これは「Zepp」のような2000人前後の収容人数の規模のライブハウスでも取られている措置である。

野放しの熱狂から、制御された熱狂へ。
より安全なライブへの転換が図られた。

そのターニングポイントとなったのが1987年(昭和62年)4月19日に日比谷野外音楽堂で発生したラフィン・ノーズ公演雑踏事故だった。

この事故をきっかけに、日本におけるコンサート・ライブ会場での警備体制は一新されることになった。

ラフィン・ノーズはボーカルのチャーミーを中心とするパンク・バンドで、日本に確固たるハードコア・パンクシーンが形成される以前から、その中心的バンドとして活動していたという経歴を持つ。

当時シーンの中心的存在だったTHE WILLARD、有頂天と並び、「インディーズ御三家」といわれる程の人気を博していた。


1987年(昭和62年)4月19日夜、当時人気の絶頂にあったラフィン・ノーズの公演で、ステージ前方に観客が殺到し、急激な圧力がかかり下敷きになった3人が犠牲となった

詳しくは、当時の記事を引こう。

同庁(東京消防庁)や丸の内署の調べでは、コンサートは午後六時半に始まったが、午後五時四十五分の開場時点で、約三千人収容の会場はすでに若い観衆で満員状態だったという。同音楽堂の客席最前列はステージから約一・五㍍しか離れておらず、演奏開始前に前に押し寄せた聴衆がこのステージと観客席の狭い空間に入り込んだうえ、後方の聴衆は座席に立ち上がるなどして、始まる前から異常な興奮状態に陥っていた。
四曲目の演奏に入ったところで、一部のファンがステージに駆け寄って写真を撮ろうとしたが、これが事故の引き金となった形で、これを見た後ろの観客が自分も前に出ようとして背中を押し、次々とコンクリートの床に将棋倒しになった。

朝日新聞 1987年4月20日朝刊

※なお、「将棋倒し」という呼称はその後日本将棋連盟からの要望により改められ、現在では「群衆事故」にほぼ統一されている。

翌日になって重体だった一人が亡くなり、死者は計3人となった


過去の事例として1978年札幌のレインボー公演の死亡事故が言及されている


にわかには信じがたいことだが、爆音の轟く会場内では事故の発生が全体に周知されるまで時間がかかり、惨劇のあった中でもしばらく演奏が続けられたという。

コンサート中の事故としては1978年リッチー・ブラックモアズ・レインボーの札幌公演以来の死亡事故となり、新聞各紙も一面で大きく報道した。

まだ「ロックを聴く者は不良」という偏見がまかり通っていた時代。
ロックコンサートでの混乱は社会問題となっていた。

翌々日(1987年4月21日)には読売新聞が社説でこの事故を取り上げ、過度な盛り上がりを見せるロック・ミュージックへの苦言を呈し、コンサート中の群衆事故の防止、安全対策の徹底を呼び掛けている。

警察庁の発出した通達 雑踏事故防止に関する要綱


日比谷野外音楽堂でのラフィン・ノーズの事故を受けて、世論ではライブの主催者や出演者への非難が高まるとともに、管轄する警視庁、ひいては警察庁にも警備の強化と対策が求められることになった。

数か月を経たのち、警察庁により群衆事故・雑踏事故防止に関する要綱がまとめられた。

以下に、現在インターネット上でアクセスできるものとして、当時の栃木県警の通達を挙げた。この通達は栃木県警に限らず、警視庁をはじめ全国の都道府県警察にも発出されたものである。

通達の前文は以下のようになっている。

ロックコンサートや歌謡ショー等の公演等に伴う雑踏事故の防止については、鋭意努力しているところであるが、全国的には公演の際、観客が興奮のあまりステー ジに殺到し将棋倒しとなり、死傷する等の事故が発生している。 このような公演等に伴う雑踏事故は、今後本県においても発生することが十分予想されるため、別添のとおり「施設使用公演等に伴う雑踏事故の防止に関する要綱」 を制定したので、主催者に対する事前指導等の措置を徹底し、この種の事故の防止に万全を期されたい。

施設使用公演等に伴う雑踏事故の防止に関する要綱の制定について(例規通達)
(昭和62年10月7日) (栃外第9号栃木県警察本部長通達)

この要綱に記載されている事故防止のための対策は、具体的かつ有効なものになっており、現在のライブイベントの設営においても指針となっているポイントが多くみられる

では、警察庁が提示したその対応策のいくつかを見ていこう。
コンサートが開催される前に主催者側に確認すべき事項として、ここでは7つの項目が上げられている。

中でもとくに注目すべきは第3項である。

第3 主催者側に対する事前招致指導等
 1.  主催者に対する事前招致指導

(1) 過去における同種の公演等の開催時の状況
(2) 出演者(公演等において演奏等を行う者をいう。以下同じ)の著名度、人気度から判断しての観客動員力
(3) 出演者の観客となるファン層の性別、年齢層別及び学職別の構成
(4) 公演の内容
(5) 施設の収容能力
(6) 当該出演者に係る観客の熱狂度合
(7) 入場券の発売状況

ここではライブ主催者に指導すべき事項として、主に二つのことが言われている。

ひとつは会場のキャパシティ(収容能力)が観客の数に合致しているか

当時は、主催者側がチケットを売りたいがあまり、十分なキャパのない会場に多数の観客を詰め込み過ぎて危険な状況に陥るという事態が横行していた。
そのため、あらかじめチケットの発売数を申告することが主催者に求められたのである。キャパシティの限度を超えるような枚数のチケットを発売しているようなプロモーターは、指導の対象となった。

もうひとつは、観客の熱狂度合いである。

この通達にある「当該出演者に係る観客の熱狂度合」を一体どうやって査定したらよいのか疑問は残るが、言いたいことはよくわかる。
アーティストのパワー、動員力。
そしてファン層も良く把握しておかなければならない。
群衆事故においては体格の小さな女性(子供)が犠牲となりやすい。
観客の男女比や年齢層もフロアの危険度合いを左右する。

観客が我を忘れて狂乱状態になることで、とうぜん密集度は増し、ステージに向かう圧力もより危険なものとなる。
会場に爆音を響かせるロック、中でもパンクやメタルなどのバンドは特に配慮すべきものであることがここで言われている。

続いての第4項では、より細かく、各施設が備えるべき設備について説かれている。

第4 主催者側に対する指導措置基準
2.(3) 観客席は、できる限り、椅子席にし、かつ、全席を座席指定制にするようにさせること。
  (4) 公演等の当日における会場付近における入場券等の発売又は配布は、雑踏による混乱を防止するため、他の方法によることが困難な場合を除き、行わないようにさせること。
3 施設・環境の整備
(1) 椅子の固定
会場が体育館等本来の興行用の施設ではないことから固定椅子がなく、仮設椅子を設ける場合には、固定させるための用具を用いる等により、できる限り椅子を固定して移動しないようにさせること。
特に、観客が興奮し、熱狂的になるおそれがあると認められる公演等については、必ず椅子を固定させること。
(2) 防護柵の設置
観客が興奮し、熱狂的となるおそれがあると認められる公演等については、観客がステージに殺到するのを防止するため、ステージと観客の間に防護柵を設置する等の措置を講じさせること。

ここにも重要なことが書いてある。

それはどのようにして観客の熱狂度合いを抑制するか、ということだ。
ここで言われているポイントは二点。

一点目は、椅子を固定し全席指定にすること。
椅子は観客のいるスペースを区切る役割を果たす。
空間がより分割されているほど密集は避けられるため、事故の起こる危険は少なくなる。

しかし、初期のロックコンサートでは熱狂した観客がこの座席を取り外したり破壊するといった事例が見られた。
フロアに放置された椅子はつまずいたりし危険であった。
そういったことにならないようにするため、椅子はしっかりと固定していなければならない。

二点目は、防護柵の設置
現在では最前列の席からステージまでには数メートルの距離があり、金属製の柵が設けられているのは当然のことだが、当時はステージと客席のあいだに何もない場合があった。当然ながら、興奮した観客がステージに躍りこむという事態もしばしば起こっていたのである。

KT Zepp Yokohamaの内観
https://www.oricon.co.jp/news/2166153/photo/2/

今では観客席とステージの間には防護柵があり、ロック・フェスなどではその間のスペースにはセキュリティスタッフが配置されているのが常識だが、それも幾度もの試行錯誤を重ねたうえで編み出された運営方法だということになる。
オールスタンディングの場合でも、フロアに柵があることでスペースが分割され、密集、圧迫が避けられる。スタンディングが多い会場でも、柵を設置することでより観客席は制御された状態になっている。

こうしてライブ・コンサートやスポーツイベントでは徐々に観客の密集を防止し、興奮を抑制する方策がとられるようになった。

しかし、制御された熱狂というのは矛盾したものである。
無秩序さ、放埓というものは、ライブの熱狂と愉楽にとっては不可欠なものなのだから。

このためライブにおける逸脱した興奮とその抑制とのせめぎ合いは今後も続くものと考えられる。

ライブにおける熱狂の条件とは?


ここまで、ラフィン・ノーズの事故を受けて発出された警察庁による雑踏事故防止の要綱を見てきた。

興味深いことに、「いかにライブコンサートの熱狂を抑制するか」ということが目的のこの要綱は、裏を返せば

「どんな条件でライブコンサートはより熱狂的になり、興奮が増すのか」

というライブの本質を突いたものになっている。

つまりこの要綱を分析することで、ライブの熱狂の本質を逆説的に突き詰めることができる、ということだ。

・観客の熱狂度合い
熱狂度合いを左右するのは、アーティストのパワーである。
やはり興奮を呼ぶ楽曲、そしてよりそれを近くで見たい、触れたい、感じたいと思わせるパワーが、ライブの熱狂とステージへの推進力を生む。

・ライブ会場の収容能力
やはり客席は満員になっている方が、ライブは盛り上がる。アーティストの集客能力に応じたライブ会場を設定することで、客席が埋まっていること。
前方に客がいて、多少ステージが見えづらい方が、よりアーティストのパフォーマンスを見たいという欲求は高まる。
ただ、この点については完全に相関性があるかといえばそうでもなく、興奮した観客がステージ前方に押し寄せる、ということがありさえすれば、やはりライブは熱狂的なものとなる。
1978年のレインボーの死亡事故の際も観客は九分の入りだったということで、観客数が熱狂的なライブを生むとは限らない。

・客席の形態
客席の形態に関しては、間違いなくスタンディングの会場が熱狂の条件である。より近く、もっと近くアーティストに触れたい。
周りの見知らぬ人と多少肩がぶつかり合おうと、どうでもいい。ギュウギュウ詰めで汗だくになっても、誰よりも近く、アーティストに近づきたい。
そんな空間が用意できれば、ライブは爆発的に上りつめることになる。

興奮と安全。

熱狂と制御。

そのバランスをとることは難しい。
だからライブの主催者は、ライブを熱狂的に、より良いものにしていくことと、観客の安全を確保することという二律背反の選択を常に迫られることになる。

それは大変困難な業務だが、これだけは言える。

ライブの興奮より、安全性が大事。

私だって、ライブ会場で死にたくはない。

どんなにアーティストのパフォーマンスが盛り上がっても、けが人が出てしまってはライブも興ざめになる。
だからこれからも安全面への配慮を第一に、魅力的なステージ・ライブ運営を心掛けてもらいたいものである。
それだけの経験的蓄積が、今の日本にはあるのだから。

おわりに 個人的な体験


個人的な体験を話す。

私がスタンディングライブのギュウギュウの熱狂の愉しさを初めて感じたのは、QVCマリンフィールド及び幕張メッセで開催された2009年のサマーソニックだった。
私のお目当てはB’z。
デビュー22年目のB’zがこうした大規模ロック・フェスに参加するのは2007年のサマーソニック以来2年ぶりのことだった。
おおよそ男女比〔3:7〕で構成され、指定席が基本のLIVE-GYMでは、盛り上がりこそすれ、観客はそれぞれ節度を持って楽しんでいる。

だが、フーバスタンクリンキン・パークという当時最も勢いのあったUSロックのバンドに挟まれたB’zのステージは、驚くほど熱狂的なものとなった。

いつもならば風が吹き抜けているはずの千葉マリンスタジアムのフィールドは人で埋め尽くされ、ムンとした熱気で満たされていた。

松本孝弘のギターから一曲目「DIVE」が始まり、稲葉浩志がステージへ登場すると、まさに「群衆流動化」。人と人とが前方へと向かって押し合って波のようになり、自分の力では制御できず肩と肩とがぶつかり合って、それでも必死になってステージへ向かって歓声を張り上げていた。

気がついてみると、足元には脱げた片方だけの靴が転がり、誰かの肩から滑り落ちたバッグはグシャグシャにひしゃげて踏みつぶされていた。

「下手すると、死ぬな、こりゃ」

そんな感覚を、初めてライブで感じた。

十分安全に制御されたライブ会場のこと。
そこまで危険であるはずはないのだが、身に危険が及ぶようなスリルが、熱狂的なスタンディングライブでは必要なのだな、と思った。
(ちなみにB’zが出演した8月8日の深夜枠で、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったレディー・ガガも出演。幕張メッセ内のSONIC STAGEではとても観客を収容しきれず、満員札止め。私は急遽設置された別会場のスクリーンで寝っ転がりながらレディー・ガガのパフォーマンスを見ていた)

熱中症手前の状態で、周りの男女とドロドロになりながら声を張り上げる(あの身体が触れ合う中で、他人のTシャツの肌触りは「ドロドロ」と表現すべきだ)。
あの快感は、他では得られないものだ。

もちろん、人間の密集状態というものは、満員電車の車中と同じようにあまり心地よいものではないから、相当好きなアーティストでない限り、ステージ前方の密集地帯には行きたくない。
だが、ふだんであれば不快なことも、逆転して快感にさせてしまう。
多分それがアーティストのパワーというもので、自分が夢中になっていることと、周りの人間もまた夢中になっていること。
その一致が、ライブの陶酔のためには必要なことだ。

だから、一度でも本当にライブの熱狂に触れられたのだとしたら、それは奇跡と言うべき瞬間なのだろう。

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