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最善を生きる

ブログを書くにあたり、かつての臆病で、生きてたってしょうがないと暗かった自分のことを振り返ってたんですね。

私はこれまで2回ほど、まあまあ長い間仕事をやってなかった経験があるのですが。
今の自分は、例えば友人が「実は仕事を辞めた」と言ってきた時、
「なら、今の時間を精いっぱい楽しんで!」
と笑顔で言うわけです。
(というか実際に言いました。この冬、そんな友人がいたので)

それは、そうやって経験してきた「今」の自分だからこそ、言えることだなって。

1度目に無職してた時は20代前半頃だったけど、とてもそんなことは考えられなかった。

仕事を辞めてしまったという事実が恐ろしいものに感じられたし、周りの人が一生懸命働いてるのに、自分だけが楽しむなんて無理。
罪悪感を抱くだけで精いっぱいで、とても前向きになんて考えられなかった。

そうやって罪悪感を抱いてその中に自分を押し込め、生きる力を自ら奪っていった時間でもありました。

今だからこそ、振り返ってそう思えるわけですね。

そして2度目の無職時代は、2度目の余裕。
敢えて「楽しんでみるか精神」で、お金も敢えて使って生きてみたら、意外と世の中面白くて、生きてるって楽しいって思えて。

逆に前向きになれて楽になった、お金を稼ぐ目的が見つかったという経験があるからこそ、せっかくもらったこの時間を苦しむことだけに使ってほしくないという思いがあるわけで。
まあ自分一人だけの経験なので、こんなことを堂々と言う人は少数派だと思いますけど。

だけど自分責めしてた頃の自分は復帰まで3年以上かかって、楽しんだ2度目の自分は、復帰での半年でした。

そう考えると、自分を責めても何もいいことなんてありはしないと思いません?

でも、やっぱり自分責めに一生懸命だった20代半ばの自分に「楽しんでみて」と言っても、実行はできなかったでしょう。

「どこかへ遊びに行ってみな!」
と言っても、そんな場所思いつかなかったし、一人で知らない場所に出かけるなんて無理だった。

「暇ならブログとかで発信やってみな!」
と言っても、そんなの怖くて無理って言うと思う。

・・・相当な臆病者でしたからねぇ。
何もできなかった昔の自分、
何をすれば最善だったのか?
っていくつか浮かんでみても、案外できることなんてなかったのかもしれません。

無駄に遠回り・時間ばかりかかったけど、あれはあれで当時の自分のできる最善をやってたのかもしれません。

という、どういうわけか過去の自分を肯定する事態になったので、ちょっとおもしろいなと思ってこっちでも書いてみました。
(元発信はこちらです→「かつての自分に何を言おう?」)

他人からすると、あるいは今の自分からすれば、あの時の自分の無駄さとか愚かさって気になるけど、結構、当時の自分なりに頑張ってたのかもしれませんよ?
そして、今の貴方(私)もね。


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