「シン・ゴジラ」と日本すごい問題

さて既に何十万人という人がネットにツイッターなりブログなりで書き残しているであろうことを自分もまた書きますが、「シン・ゴジラ」めちゃくちゃ面白かったです。「めっちゃ面白い!凄い!」と思い、公開日から三日連続で見に行ってしまいました。

ですが、完璧な映画ではないし(そもそもそんなものは存在しない)、この「シン・ゴジラ」をめぐる感想の嵐を色々と見ていてすごくもやもやするものがあったのでちょっと書き記しておきます。ネタバレありです。

映画を見たあと、ものすごく面白かったものの、何かひっかかるもやもやがあり、それは一体なんなんだろうと色々考えた結果、とあるシーンに理由があると思い至りました。

映画の終盤、巨災対の作戦が手詰まりになり、「もう核に頼るしかない」とアメリカチームが巨災対を去っていきます。

全員。

これです。

何故アメリカチームはみんな去っていくのか。ふと最近よく思う、嫌なフレーズについて思い出しました。

最近広告でよく見るフレーズ、というか昔からちょくちょくあって最近特に目立つフレーズとして、「日本はすごい」というような趣旨のフレーズがあります。

この「日本はすごい」というフレーズが、「シン・ゴジラ」とその周辺をとりまくもろもろにおいて自分が大変もやもやする理由の中心にあります。

「日本はすごい」というフレーズが使われる時に「すごいもの」として扱われるのは、例えばなにか職人さんの技術だったり、何かのスポーツ選手だったり様々です。ちょっと前には「ニッポンは、世界中から尊敬されている映画監督の出身国だった。お忘れなく。」という黒澤明監督についてのフレーズが映画祭で使われていたりしました。

おい待て。

おいちょっと待て。

待てよ!

すごいのは!

日本じゃなくて!

黒澤明だろ!

なんで勝手に丸ごと日本すげぇみたいに言ってんのか!

これが本題です。この「日本はすごい」フレーズの全てに言えるのは、すごいのはその何かを成し遂げた人間だけであって、それは日本全体がすごいかどうかにおいて全く、まっっっっったく関係がありません。

例えば誰か映画監督が海外の映画祭で賞を取ったとしますよね。そういう時に、「同じ日本人として誇らしい」みたいなこという人がいるわけですよ。誇るのは勝手ですけど、その映画が素晴らしいこととそれをどの国籍の人間が作っているかの間に因果関係はありませんよね?

なのに勝手に日本という国が丸ごとすごいかのように言うのは、大変な欺瞞だと思います。

すこし本題とズレますが、日本人であろうと何人であろうと、すごい人はすごいし、ダメな人はダメなんです。国籍以外でも、男であろうと女であろうと、大人であろうと子供であろうと同じことです。カテゴライズしてあいつは日本人だからどうだとか、女だからどうだとか、子供だからどうだというのはあまり褒められたことではありません。日本人でも女でも子供でも能力が高い人はいて、そしてその能力の高さと、日本人であること、女であること、子供であることに因果関係はありません。

とここまで書いてようやく「シン・ゴジラ」の話に戻りますけども、巨災対からアメリカチームが「全員」去っていくことによって、「平気で核を使う米国人」と「最後まで諦めない日本人」という国と国との構図に見えてしまうんですよね。庵野監督は怪獣映画における風刺について言及していたので、あえてなんだと思います。日本人科学者と米国人科学者のキャラクターを極端にディフォルメして描いたというだけなんだと思います。

だけど、アメリカチームが去っていくシーンでも、一人ぐらいは諦めない米国人がいたりするとめっちゃ燃えませんか?これこそ、国籍関係なく、優秀な人間達が全力をつくすドラマになったと思うんです。そのあとドイツのスパコンチームや米軍が助けてくれる流れにももっとつながったと思うんです。

何故なら、どこかの国に核爆弾が落とされるのを防ぎたいという気持ちに、国籍も性別も年齢も関係ないのだから。(理想論でしかありませんが、理想を追求する男、矢口が主人公である以上、そんな理想論を描いた映画になってもいいんじゃないですか?)

だから、あの場面で米国人チームが全員去っていってしまうのは、うっすらと、非常にぼんやりとではありますが、今となってはハッキリ明確に、ノイズです。

なんて長々と書いてみたものの、結局は庵野監督が「好きにした」結果なのだから割と何を言ってもしょうがない感はありますね。

今も「ゴジラ」は日本にいて、活動を停めてはいるけども、脅威であることに変わりはありません。日本に住んでいる限りは、ゴジラと共存しなくちゃいけないんですよね。

そんな日本人全員が自覚しなくてはいけない事実をドーンと提示したのは、確実に54年のゴジラから進化した点だし、心底素晴らしいラストだと思いました。

ここからは完全に個人的に思ってしまったことではあるんですが、あそこに残ってしまったゴジラというのは、誰もがかかえる傷でもあると思うんです。どう頑張ったって消せないし、ずっと心の中に残り続けるトラウマです。どう頑張ったって消えないのだから、それと共に生きていくしかない。そんな象徴としてのゴジラなのかな、と勝手に思いました。どんなに辛かろうが、「ここでやめるわけにはいかない」んですよね。

色んなことがままならないまま日常は続くけども、とりあえず「好きにやる」ぐらいしかこの先やっていく方法はないですよね。

という感想に至ったので、「シン・ゴジラ」の鑑賞後感が「風立ちぬ」に近かったのもそういうことなんだと思います。「風立ちぬ」も何かを好きでいることの光と影を描いた映画でした。

生きねば!


で、どうせなのでもっと雑な感想も色々書くと、

・すっとぼけた政治家共がついにすっとぼけたまま死んでいく様にある種の爽快感を覚えてしまった。
・「動くのか!」「どうなんだ防衛省!」「これは想定外すぎるなぁ〜」などの名言を残しまくった金井大臣最高かつ最低。知り合いにはなりたくない。
・責任感ある行動をとっているようでその実それはポーズでしかなく、ひたすら責任感がある「てい」の男、大河内総理大臣最高かつ最低。知り合いにはなりたくないがまあいますよねああいう人。
・矢口と志村は絶対ヤッてると思った。
・「仕事ですから」と言ってのける財前幕僚長、めっちゃかっけーーーと思ったがいくら仕事でも礼は欲しいなとちょっともやる。
・どう考えてもヤクザだしいつバカ官僚のボディを透明にしちゃうのだろうとドキドキした郡山内閣危機管理監。
・あまりに怪しい風貌だが巨災対の中では師匠にしたい男ナンバーワン、間准教授。塚本晋也監督演技良過ぎる。
・喋り方が好き過ぎる安田文科相研究振興局基礎研究振興課長。高橋一生さんが耳をすませばのあいつと知って「何ィ!?」と叫びそうになった。
・その他役者陣がとにかく良い。

・ゴジラ。第二形態には流石に驚いた。ある意味第四形態より怖かった。グエムルと同じ「大き過ぎない」ゆえの怖さかもしれない。
・庵野節炸裂の放射熱線。描写の気持ち良さに「アニメか!」と突っ込んだ。口から少し離れたところからビームがスタートするんだよ!
・あれだけ正確に弾を当てても全く効かない、ようやくちょっと効いたと思ったらその千倍くらいの反撃、などなど過去最高の「ゴジラ強ぇぇ…」描写。
・ラストカットの解釈は正直未だに言葉にまとめきれてない。

・ヤシオリ作戦。庵野監督のネーミング引用センス大炸裂。
・謎の凝固剤投入マシンをはじめとする車両類のかっこよさ。

・なにより!在来線爆弾のかっこよさよ!あんなにJRがかっこよく見えたことはないよ!最高だよ!正直ありえねー!とも思ったけど石原さとみのありえなさの方が勝っていたので問題なし。

・この映画のあまりリアルじゃない部分を石原さとみが全て中和していたので、バランスを保つ存在として素晴らしいギリギリの演技だったと思います。

その他まだまだ色々好きな部分がありますがこの辺で。

君はどんな風にこの映画を見ましたか?

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