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【小説】竜と調教師ヴェルナンデス シーン1


シーン1 試験

夜が更け、月の光が静かに部屋に差し込む中、ヴェルナンデスは机に向かっていた。古びた教科書が広げられ、明日の竜の調教師試験に向けて彼は最後の復習をしている。この試験に合格すれば、念願の「竜の調教師」として正式に認められる。幼い頃から夢見てきたその日が、ついに訪れようとしていた。

ページをめくると、教科書にはブデライカ帝国に存在する竜の種類が詳細に記されている。帝国では竜が生活の一部として多様な役割を果たしており、その種類も実にさまざまだ。ヴェルナンデスは読み慣れた文章に目を走らせながら、頭の中でそれぞれの竜の姿を思い浮かべていた。


「家庭用竜(プティドラゴン)」
特徴: 小型で従順な性格を持ち、家庭の軽作業や火起こしを手助けする竜。馬ほどの大きさで、家族の一員として生活を支える。特に温和で、調教が比較的容易なため、初心者でも扱いやすい。家庭用竜は帝国内で最も一般的な竜であり、多くの家庭がこの竜を飼っている。


「戦闘竜(バトルドラゴン)」
特徴: 中型で戦闘に特化した竜。攻撃的な性格を持ち、帝国軍の戦力の中核を担っている。炎を吐く能力を持ち、鋭い爪と牙で戦場では恐るべき力を発揮する。戦闘竜の調教は非常に難しく、熟練した調教師でなければ完全に制御することはできない。


「輸送竜(トレードラゴン)」
特徴: 大型で飛行能力が高く、物資や人々を遠方まで運ぶために使われる竜。飛行船ほどの大きさで、長距離の貿易や物流において不可欠な存在。強靭な翼と耐久性に優れた体を持ち、重量物の運搬も可能。帝国内の経済を支える重要な役割を果たしている。


「聖竜(サンクチュアリドラゴン)」
特徴: 神聖な儀式や祭りに用いられる竜で、特殊な力を持つとされている。中型の竜で、特に治癒能力や未来予知といった能力が伝えられているが、詳細は神殿の管理下にあるため一般には知られていない。聖竜は非常に希少で、調教師として選ばれるのは一部の者だけである。


ヴェルナンデスは教科書を閉じ、机に置いた。そして、自分に言い聞かせるように呟いた。

「すべてはこの教科書から始まったんだ……明日はきっと大丈夫」

彼の視線がふと壁際に置かれた古びた剣に向かった。その剣は、かつて母が使っていたものだ。リブラは、かつてブデライカの最強の傭兵と呼ばれた女性だった。だが、彼がまだ幼い頃、隣国との戦争で命を落としたと聞かされていた。

「あの時、母さんがいてくれたら……」

ヴェルナンデスはその剣を見つめながら、幼い頃の孤独を思い返した。母を失い、戦争で父も帰らぬ人となり、彼は孤児院で育った。その孤児院で、ヴァントスと出会ったのだ。ヴァントスもまた、家族を戦争で失った少年だった。二人は共に同じ過酷な運命を背負い、共に成長してきた。

孤児院の狭い部屋で、ヴァントスと毎晩、未来のことを語り合った日々を思い出す。二人とも幼くして家族を失い、竜の調教師になって、いつか自分たちの手で世界を変えたいと誓った。その絆が、今も彼の中に強く根付いていた。


その時、扉が静かに開き、ヴァントスが顔を覗かせた。彼は微笑みながらヴェルナンデスに近づいてきた。

「お前なら大丈夫だよ。ここまでの努力、俺が一番よく知ってる」

ヴァントスは机の端に寄りかかりながら、ヴェルナンデスを励ました。孤児院で共に過ごした過去が、今も二人を強く結びつけていた。

「ありがとう、ヴァントス。でも、やっぱり緊張するんだ」

「緊張して当然だよ。でも、お前は竜との絆を大切にしてきた。そいつが一番の強みだろ? 俺も明日、応援してるからさ」

ヴァントスは軽く肩を叩き、親しげに笑った。その瞬間、ヴェルナンデスも微笑み返し、心の中の不安が少し和らいだ。

「そうだな……ありがとう、ヴァントス」

「明日が勝負だ。準備は万全だろ?」

ヴェルナンデスは頷き、夜の静けさの中で二人はしばらく無言の時間を過ごした。彼らの絆は、戦争の傷を共に乗り越えてきた深いものだった。それがヴェルナンデスの心を支えていた。

夜明けとともに、試験会場である広場には緊張した空気が漂っていた。ヴェルナンデスは他の受験者たちと共に、帝国の重鎮たちが見守る中で試験に臨む準備をしていた。彼の胸には期待と不安が入り混じり、しかし、これまでの努力を信じて挑む気持ちで満ちていた。

試験は三部構成で、最終的な実技試験が最も重要視される。竜を制御し、完全に調教する能力が求められるのだ。

ヴェルナンデスは幼い頃から槍を手にしてきた。ブデライカ帝国では、竜の調教師には槍術の習得が義務付けられていた。理由は単純明快だ。竜がもし暴走した場合、剣や短剣ではリーチが足りない。竜の圧倒的な力を制御するには、一定の距離を保ちながら応戦できる槍が最も適しているとされていた。

ヴェルナンデスがそのことを知ったのは、彼がまだ幼い頃のことだった。孤児院で育った彼は、竜に対する興味から自然に調教師の道を目指すようになった。竜と心を通わせる術を学び、さらには、槍術の訓練を通じて、竜の背に乗るための力と技を磨いてきた。

槍術は彼にとって、単なる武器の扱いではなく、竜との対話の手段でもあった。槍を持って竜に向き合うことで、彼らの力を尊重し、同時に支配するというバランスが取れる。竜は感情の強い生き物だが、それを理解し、共に戦うためには、その力を受け入れつつも支配する力が必要だった。

ヴェルナンデスはそのことを肝に銘じながら、日々訓練に励んできた。竜の調教師の国家試験には、実際に槍術を駆使して竜を制御する実技試験が含まれている。ヴェルナンデスはその試験で最高評価を得ると期待されていた。ヴェルナンデスは既に筆記試験と小型竜の調教を見事にこなし、今や最終試験に臨むのみとなっていた。

彼の前には、巨大な戦闘竜が佇んでいた。その竜は光沢のある鱗に包まれ、冷たい瞳で周囲を見渡していた。「剣竜(ケンリュウ)」――この竜を完全に制御することが、彼に課された最終課題だった。


ヴェルナンデスはゆっくりと深呼吸をし、竜の前に歩み寄った。手には調教用の道具が握られているが、彼のやり方はいつも竜との対話を大切にしてきた。竜と心を通わせ、彼らの意志を尊重することが、彼の調教師としての哲学だった。

「大丈夫だ、ゆっくりでいい。俺たちならできる」

竜に向かって静かに声をかけると、剣竜はわずかにその鋭い目を細めた。ヴェルナンデスはその反応に安堵し、さらに距離を詰めた。そして、慎重に手を伸ばし、竜の首元に触れる。竜は彼の手に反応し、わずかに首を傾けた。

「よし、まずは翼を広げてくれ」

ヴェルナンデスの命令に応じて、剣竜はゆっくりと巨大な翼を広げた。観衆からはどよめきが上がり、審査員たちも彼の見事な制御に注目していた。次は、飛翔の指示だ。ヴェルナンデスは深呼吸し、次の指示を口にした。

「飛べ、前へ」

剣竜は力強く翼をはためかせ、ゆっくりと地上を離れた。大きな体が空を舞う姿に、周囲は感嘆の声を漏らした。ヴェルナンデスも内心、安堵のため息をついた。すべては順調に進んでいるかに見えた――その時だった。

突然、剣竜の目が変わった。鋭い赤い光がその瞳に宿り、竜は突如として暴れ出した。巨体が空中で激しく翻弄され、翼がバランスを崩して地面に降り立つと、巨大な爪で周囲を破壊し始めた。

「止めろ……! 俺の命令に従え!」

ヴェルナンデスは必死に叫んだが、竜はまるで彼の声を拒絶するかのように、咆哮を上げながら暴れ続けた。観衆の中には悲鳴を上げる者もおり、審査員たちはすぐに兵士たちに竜を鎮めるよう命じた。

その混乱の中、ヴェルナンデスは一瞬だけ、審査席に座る王オクターの冷たい視線を感じた。まるで、この状況を見越していたかのような王の表情――それが一瞬、彼の心をざわつかせた。

「なぜ……どうして……」

ヴェルナンデスは呆然と立ち尽くしたまま、竜が制御不能に陥る様子を見守るしかなかった。すぐに兵士たちが駆け寄り、竜を鎮めるために動いた。試験はここで終了した。


試験が終わり、審査員の一人が冷たく宣言した。

「ヴェルナンデス、不合格だ」

その言葉が彼の胸に突き刺さった。何が起こったのか分からなかった。彼は竜を信じていたし、自分の技術にも自信を持っていたはずだ。しかし、結果は残酷だった。周囲の視線が重くのしかかり、彼はその場を立ち去るしかなかった。


失意の中、ヴェルナンデスは王宮に呼び出された。玉座に座る王オクターは、まるで全てを見通しているかのような冷静な眼差しで彼を迎えた。

「ヴェルナンデス、試験は残念だったな」

その声には冷たい響きが含まれていたが、ヴェルナンデスはそれに反応することもできなかった。ただ、静かに頭を垂れた。

「だが、私はお前にもう一つのチャンスを与えることにした。ある任務を成功させれば、調教師として認めよう」

ヴェルナンデスは顔を上げた。その言葉に、一瞬だけ希望の光が見えた。

「任務……ですか?」

王は静かに頷き、言葉を続けた。「そうだ。お前の母リブラが隣国ドルドーガに囚われていることを知っているな? 彼女を連れ戻すのだ。成功すれば、調教師として認めてやる」

「母が……生きている? 隣国に……」

驚愕と混乱がヴェルナンデスの中で渦巻いた。彼は幼い頃に母が死んだと聞かされていた。だが、その母が生きているどころか、敵国に囚われているという事実は、彼の心に大きな衝撃を与えた。

「そうだ。リブラは我が国にとって重要な存在だ。お前が彼女を連れ戻せば、調教師としての道が再び開けるだろう」

王の声は冷静で、その背後に何か意図が隠されているかのように響いたが、ヴェルナンデスはそれに気づく余裕はなかった。ただ、母を助けるために、自分に何ができるのかを考えるだけだった。

「分かりました……必ず母を連れ戻します」

その言葉に、王オクターは満足げに頷いた。だが、その視線の裏には冷たい計算が潜んでいた――ヴェルナンデスも、そしてリブラも、彼の計画の駒に過ぎない。

「お前にはヴァントスを同行させる。彼はお前を守るために役立つだろう」

ヴェルナンデスはその言葉にわずかに安堵した。

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