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#220227『今日も考えた1日』

おはようございます☀

イベント終了後の流れから、noteを書き始めている

ふらっとです。

#小1ギャップ


さて、昨日は寝坊してしまったのと、友人のために時間を割きたいなあと感じたので、noteは超短い文章となったのですが、ありがたいことに何名もの方に読んでいただきました。

昨日の感謝の思いも込めて、昨日学童であったことも書いていこうと思うのですが、長くなってしまったらごめんなさい。

連絡を取ることの大切さ

先日、学童の中でスタッフの方と相談して、作成した『いいところ発見ノート』は、昨日書いてありませんでした。。。

正直、ショックでした。

まあ、ぼくがやりたいことだし、それを強制するものでもないし、義務感に駆られて書くものでもない。けれども、昨日の今日で書いていないのは、ちょっと悲しくなった。

けれども、よく考えてみると、ぼくもその日に入るスタッフに連絡したわけではないので、重要度としてはものすごく低くなる。悔しいけれど、事実上そのように捉えられている。

そして、昨日はぼくが子どもたちのよいところを見つけ出して、書いておいた。月曜日に子どもたちの前に行けないことがとても悔しいが、来週から少しでも書いてくれる人が現れたら、うれしいな。

そんな学童の中で昨日は、ぼく一人で数名を見る瞬間があった。正直、35名を見ていたぼくにとっては、苦痛でもなんでもなかったのだけど、ほかのスタッフさんと連絡を取り合うために、もっとスタッフ同士の連絡先をお互いに知っておくことは必要なのかもしれないと感じた。

偶々、ぼくが連絡先を交換していたから、今回の対応ができたけれど、ほかの人だったら、きっとできていない。そう考えると、連絡先を交換しようと提案してくれた相手にも感謝したいし、柔軟な対応をしてくれたことにも感謝しかない。

学童と学校の違いとは?

昨日は、夜に1on1があって、作業療法士の方と話をすることができた。

作業療法士とは、リハビリテーションや精神科などで、どうしたら過ごしやすいか?どのように社会復帰すればよいか?といったことを考えていくようだ。

そんな作業療法士の方に質問されたことが、「学童と学校の大きな違いって何ですか?」ということ。

ぼくは「保護者さんとより多く話すことができる点です」と伝えた。

質問してくださった方は、「学校の方が連絡帳もあるから連携を図ることができる」と考えていたようだ。

確かに、連絡帳を通して保護者と連絡を取ることは可能だ。けれども、学級の人数を考慮すると、正直...

また、ぼくの参加している学童の中で連絡帳にメッセージを書くことはめったにない。じゃあ、保護者と話さないかというと、決してそうではないのだ。なぜなら、子どもたちは学校から学童を経由して自宅へ帰る。その学童から自宅までは、保護者さんのお迎えがあるのだ。

そのお迎えは、預かる日には毎回行われるものである。『毎回』だ。

それだけ、保護者とのおしゃべりをするチャンスがあるのだ。このチャンスも考慮すると、『直接話をするチャンス』はケタ違いなのだ。一方で、学校内で話をするチャンスは、せいぜい学級懇談会のあとや個人面談や家庭訪問という限られた数である。

これは、実態としての大きな違いである。

そもそも、学童は厚生労働省の管轄で、学校は文部科学省の管轄だよね。なんて話じゃないと思うので、この点はサラッと流します笑

小1プロブレムとは?

小1プロブレムとは、

幼稚園・保育園などと小学校の間の段差によって生じる様々なトラブル

とされています。

ある記事では、

家庭のしつけが十分にできていないことや、まだ自分をコントロールする力が身についていないことなどが主な原因といわれています。

小学校に入学した1年生が、これまで過ごしたのとまったく違う環境に置かれ、馴染めないことから小1プロブレムが起こるとも考えられていますが、実はこの問題は日本特有の現象だと指摘する人もいます。

と書かれています。

ここで、ぼくの意見を述べます。

『そもそも小1プロブレムはあるんでしょうか?』

言いかえるならば、

『なぜ問題なのでしょうか?』

言葉を選ばないならば、

『そもそも問題じゃないのではないか?』

#自主規制をかけてしまった

集団で生活することは大切です。
では、なぜ就職活動になると個性が求められるのでしょうか?

相手を尊重して話を聞くことは大切です。
では、座る姿勢をよくすることで、子どもたちの理解できる言葉が変化するのでしょうか?

未来を見据えて練習をすることは大切です。
では、そもそも着席して話を聞かなくてはならない理由はなぜでしょうか?

と考えていくと、小1ギャップの背景の一部は『そもそも問題なのか?』という問いが立てられるんです。

では、こんな課題が山積みの小1ギャップはどのように解決すればよいのか?一言でまとめちゃいますが、『大人がもっとゆとりをもつ』です。

正直、「大人がこうあってほしい」という願いを抱き、その願いに応えられなかった子が「小1プロブレム」「不登校」「発達障害」といったレッテルを貼られてしまうんです。もしも大人一人ひとりにちょっとだけゆとりがあって、子どもにあった関わり方をすることができたならば、こんな問題は発生したのでしょうか?ぼくには『問題は起こらないだろう』という世界が見えます。

『そもそも、なぜ問題なのか?』という問いは、あらゆる問いにつながりうるので、これからも考えていきます。


さて、今日は映画を観てきます。

わくわくだ!

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