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220425『なんで?を考えなくなった大人たち』

おはようございます☀

入力のためにキーポードを購入したものの、noteの投稿するときには、縦画面にしか対応していないことに気がついた

『小学2年生から後輩と呼ばれている男』ふらっとです。

#おいしすぎる


さて。

今日は午後から学童だったので、午前中はのんびりと過ごしていました。

お昼に釜玉うどんを食べたあと、Facebookのグループでこのようなことをつぶやいてみました。

こんにちは。

ふと思いついたので、やってみようと思います💡

みなさんにも是非ご参加いただけたらと思います。

今から、48時間以内に「なんで?」「どうして?」を見つけてみてください。

そして、その見つけた「なんで?」「どうして?」を、この投稿にコメントする形で共有してください。

コメントは何回でもOKです!

では、スタート!!

この質問を投げかけると、予想通りこんな質問が返ってきました。

「なんで」そう思ったんですか〜

グループの中では答えなかったのですが、このnoteでは書いておこうと思います。

先月このようなやりとりを子どもとしたんです。

先生、なんで雨って降るの?

それはね、空には雲があるでしょ。雲は水でできているのね。その水が耐えられないよう〜って落ちてくる。それが雨だよ。と答えたのですが、こどもはへぇ〜という感じ。

おそらくわかったような気もするし、よくわかっていないと思う。けれども、その子どもにとって、最善手だったと思っている。

もちろん、時間があれば「一緒に調べてみよう」と言うこともできるし、図書館に行くことだってできる。

でも、そのときはできない。いや、しない。

その子にとって、ベストではないからだ。

時には自分で調べることも必要かもしれないけれど、その瞬間では絶対に不適切。

じゃあ、いいや。と調べることはおろか、その疑問すら忘れてしまうはずだ。

そしてなによりもその子は、『疑問に感じることそのもの』すら減ってしまうのだ。

もしも、ぼく以外の誰かがそのように質問を受けた時、このように答えることもあるだろう。

「雨なんて降るものなんだよ。そういうものなんだ。」

控えめに言って、クソだ。

子どもの疑問を否定し、感情すら否定している。

申し訳ないけれど、子どもの前に立たないでほしいとすら感じる。


しかし、ぼくがなぜこのような発言をしているのかというと、過去に少なくとも一回はそのような対応を受けてきたからである。

だからこそ、問うのである。


「なんで?」「どうして?」と思うことはありますか?

そうすることで、何か変わるかもしれないし、何も変わらないかもしれない。

けれども、何も変わらないのであればなぜ変わらないのか?

変わったのであれば、何がどのように、どうして変わったのかを考えてみるといいんじゃないかと。


ぶわぁと考えての投稿だったので、うまく書ききれていないかもしれないけれど、投稿したきっかけはこんな感じ。

今日noteを読んでくださっている方も、よければ教えてください。

あなたが「なんで?」「どうして?」と思ったことはなんですか?



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