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応援の連鎖

ぼくには「やりたいこと」がある。

誰もが応援することのできる
社会をつくること

そのために、

1.ゆとりを生み出し、応援できるようにする
2.応援することを応援できるようにする

さて、、、

早速、「やりたいこと」のために、「やらなきゃいけないこと」、いや「やりたいこと」を考えたいと思う。

1.ゆとりを生み出せるために

ルールをこわす

世の中には、営利団体と非営利団体があり、非営利団体は組織を運営していくために必要な収入を得ることができるらしい。

非営利団体は公共施設を利用することができるのだが、ここで課題となってくることが営利団体でないことをどうやって証明することができるのか?ということ。

ぼくは、個人事業主でもあるので、その名義で会場を借りようと考えた。けれども、「会場を借りられるだけの費用だけを集金します」と伝えたら、まさかの学習塾認定されてしまって、一切その先へと進むことはできなかった。


で、そんな団体に勤めている人もいて、そこから役員報酬とやらを受け取っている場合もある。

だから、最低限ぼくが生きているだけの、せめて会場費だけでもと思って、集金しようと考えて申請したものの職員さんの判断はアウトだった。


そこで、ぼくはアプローチの方法を思い切って変えてみることにした。

『役員報酬は支払わないものとする』

という趣旨を明記することにしたのだ。


こうすることで、ぼくをはじめとした役員に対して、報酬(賃金)を支払うことはない。

つまり、団体として得たものは、団体の財産として動かすことが可能になる。

よくある『報酬を支払う』というルールを根本からこわして、支払えないシステムとしてみた。


価値をつくる

ぼくには一切お金が入らないシステムなので、ぼくはどんどん入ってきたものは外に出していく必要がある。

たとえば、すくもぐカフェを運営したり、みんなの学習室を運営したりするのに必要な資金や備品とするのである。

実際にすくもぐカフェを運営していく中で、延べ40名以上にご参加いただいた。

次回は、11月12日にすくもぐカフェを開催し、おもちゃの広場とのコラボも予定している。


この『参加者に楽しんでもらえること』が、価値をつくることにもつながっていて、現時点で12名から申し込みが来ている。


目の前のゆとり

でも、この活動は誰にでもできるものではない。少なくとも現時点では。

9月3日に開催した『いっぽ〜地域に居場所をひらくために〜』には、多くの方々にご参加いただき、ぼくにとっても豊かな場となった。

もう少し、書類のところも見てみたかった。という意見があり、行政手続的なところについてもニーズがあることが考えられた。

そして、多くの方々が参加してくれたということは、それだけさまざまな方が地域にどのように居場所をひらけばよいのか?悩んでいる人がいて、助けてくれる人たちもいっぱいいるということを再認識することができた。

だから、今思っているのは「できることからでよいから、やってみようぜ」ということ。

もしかしたら、寄付かもしれないし、ボランティアかもしれないし、拡散かもしれないし、知ることかもしれない。

モヤモヤと考えているだけじゃなくて、それを具体的な行動として表現してみることで、なにか変化が起こるかもしれない。

今は気がつけていなくても、ふとしたときに気がつくと思う。

「あのとき、ぼくは変わったんだ」

それがゆとりだということは、ぼくも最近気がついた。

いろいろな挑戦ができているのは、目の前のゆとりがあるからだ。そのゆとりに気がつけるだけのゆとりがあるからだ。

2.応援することを応援できるようにするために

応援するってなんだろう?

この『応援』という言葉も、よく耳にする言葉のひとつだろう。

でも、応援と一言でいっても、たくさんの種類があると思う。

たとえば、応援団。

これは、野球だとか、サッカーだとか、リレーだとか、スポーツなどの競技の途中に、言葉をはじめとした表現を通して、選手が思うようなプレイができるように支えてくれる集団だ。

つまり、力を出し切ることのできるようにサポートすることが、応援するということになる。

でも、この力を出し切ることのできるようにサポートするというのは、応援団に限った話ではない。

その一つに、クラウドファンディングというシステムがある。支援者から資金を集め、その資金をもとに活動を進めていくというものだ。

支援者というのは、まさにサポートする人であって、応援している人である。

では、支援をしていないものはサポーターではないのか?というと、そうではない。

それは、支援者でなくてもサポートすることは可能だからである。具体的には、TwitterやFacebookといったSNSを通して、知人に紹介することで、プロジェクトを知ることのできる人が増えるのである。

つまり、活動について周知していくことも応援になるのである。

アンチは感謝するか受け流せ!

ところで、活動を進めていくと、時々その流れを止めるような意見が飛び出してくることがある。

たとえば、同性婚を認めよう!という仕組みが話題として出てきたときに、そんなことしたら子どもができないじゃないか!という意見を出す人がいる。

そもそもとして、子どもができないのは『子どもを産むこと』にメリットを強く感じない、または『子どもを産まないこと』のデメリットをほとんど感じないからであって、同性婚があろうがなかろうが、現時点でも同性カップルは多く存在している。

でも、そんなアンチコメントというのは、逆を言えば興味をもってくれていて、情報を広めてくれているのである。

これほどありがたいことはないし、あまりにも辛けりゃ放置すればいい。

応援できるようにするために

話がそれてしまったが、応援するために必要なことがある。

その一つは、ゆとりだ。

ゆとりに気がつくために、ゆとりが必要だ。

そう書いたと思うが、あえて何もしない数時間をつくり、この1週間に感謝してみてほしい。

たとえば、朝起きられるのは、アラームのおかげだとしたら、アラームを開発してくれた人に感謝したくなるはずだ。

朝食で卵を食べられるのは、卵を産んでくれた鶏がいるからで、鶏に感謝したくなるはずだ。

子どもたちが学校に来てくれる。一方で学校に来られない子もいる。学校に来てくれるのは、ありがたいことなので、感謝したくなるはずだ。

#知らんがな

なんと言っても、応援できるようにするには、応援してもいい文化をつくる必要があるし、応援したくなることが必要になる。

ここで、もう一段階考えてみる。
応援したくなるのは、なぜだろうか?

おそらく「その活動」について、興味をもったからであろう。

つまり、「その活動」がなければ応援は存在し得ない。

としたら、誰かが「その活動」をする必要があるのだ。

であれば、応援することを応援できる社会にするために必要なことは、誰かを応援すること。

であれば、その1人にぼくがなる。

ぼくが誰かを応援する。

そして、ぼくは応援している誰かを応援する。

これだけだが、むしろこれしかできないのかもしれない。

ぼくがゆとりを生み出して、そのゆとりを使って応援することで、新たなゆとりを生み出していく。

たったこれだけだが、ぼくにできることから始めていこうと思う。

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