手放すことを躊躇わない | すみた たかひろ
「そもそも計画性がない人間なんだよね」
と言う彼のキャリアには、確かに計画性が無かった。
東大医学部を卒業し、ファッション業界の老舗メディアでライター・編集者の道へ。それだけでも異例なのに、今や彼の編集領域は、読み物としてのメディアの枠を飛び出し、ホテルや企業、コミュニティなど、人・思想・空間が交わる三次元のメディアにまで広がりを見せている。
彼のキャリアには、確かに計画性はなかった。
けれど、編集者という職種をすっかりアップデートしてしまうほどの、創造性があった。
意思決定の根拠はとてもシンプル。
「東京に出たい」「ファッションがやりたい」「この人と仕事がしたい」
そのためには、今持っているものを容赦無く手放せる。
常に心を奪われた方へと足を向ける自由な好奇心。
「だいたいそういうのって閃きというか、思いつきで始めない?」
何か目的に向かって歩むのではなく、
瞬間瞬間の豊かな着想に未来を任せてみる。
意図した人生の計画書なんて要らないのかもしれない。
自分にもそう思わせてくれるような、
そんな軽やかさが『Flat Share Magazine』を包んでいた。
角田 貴広(すみた たかひろ)
編集者・ライター 1991年、大阪生まれ。東京大学大学院医学部医学系研究科中退。ファッション業界紙「WWDジャパン」でのウェブメディア運営・編集を経て、フリーランスに。現在はメディアでの執筆、複数企業のオウンドメディア運営などに関わるほか、HOTEL SHE,などを手掛けるホテルベンチャーL&Gにて企画・戦略全般を担当。
聞き手:キルタ(Flat Share Magazine)
書き手:はし かよこ
ようこそ、すみた たかひろさん。
すみた たかひろ(以下、すみた):すみた たかひろと申します。編集をやっています。...編集と言いながら、色んなことをやっております。
──僕は、すみたくんのこと、最初はライターとして認識してました。でも、実は自分でも出版活動をしていたり、編集をしていたり、『HOTEL SHE, 』などを展開するL&G GLOBAL BUSINESSで企画のお仕事もしているすし...それぞれどんなポジションで、どんな風にお仕事してるのか、気になってる人も多いと思うので、今日はそんなことを聞けたらと思います。
そもそも、すみたくん、東大医学部卒なんですよね。
すみた:そうですね、もう10年前ですけどね。
──すごいですよね!
すみた:僕が行ったのは医学科じゃなくて、看護師さんとか、助産師さんとか、研究者とか、医者以外の人が行く学科だったんだけど。大学院も行ったから、5年ちょっとは在籍してたかな。
──院まで行ったんですね。
すみた:うん、大学は普通に卒業して、なんか就職するのやだなーと思って。
──実家がお医者さんだったりするんですか?
すみた:全然!医者の家系でも全くなくて。
──医者を目指してたんですか?
すみた:いや。もともと医者を目指す感じでもなくて。
──その感じで東大医学部って入れなくないですか...?
東京に出たかったから、東大に行った
すみた:僕は大阪出身で、田舎は本当に和歌山のど田舎で。
──育ちは大阪なんですか?
すみた:もともとは和歌山で、学校はずっと大阪で。18歳までそっちにいて。
──えー、そうなんだ!全然関西人感ないですね。
すみた:こういうこと言うと良くないかもしれないけど、大阪のノリがあんまり合わなくて。服が好きだったし、東京に出たかったの。でも、「お金ないから私立なんてダメ!国公立しかダメ!」って言われて。当時、大学のことなんて全く知らないから、「東京の国公立って東大じゃん!」って思って。
──えっ?(笑)
すみた:それで「頑張る!」ってなって。
──ちなみに、浪人してます?
すみた:いや、現役。
──やば!
すみた:でも、理科二類っていって、理三じゃないのよ。東大でいうと中くらいのレベル。
──高校は進学校だったんですか?
すみた:中高は一応進学校にはいましたね。みんな勉強すごい好きだし。でも、そういう状況もあんまり好きじゃなかった。
──すごいなあ...。
すみた:他に興味のある学科がなくて、本当は一番好きなのは数学だったんだけど、数学科は素人じゃ無理だったんだよね。教養学部にいたときから「これは無理だ」と思って。
──東大って、入学してから学科が決まるんでしたっけ?
すみた:そうそう、3年生に上がるときに学科が決まる。そのときまでの2年間の成績で決まるのよ。医学科なんて当然無理で。僕が入った学科はそこまでハードルは高くなくて、だからもうそっちでいいかなあって。
──じゃあ医学関連でキャリアを考えてたわけじゃなかったんですね?
すみた:そうですね。普通にバイトもしてたし。
──何やってたんですか?
すみた:めっちゃ普通になんでもやってたよ。居酒屋とかカフェとか。あとは、(東大生なので)家庭教師が儲かるから、家庭教師とか。服が好きで、とにかく服が買いたかったから。
──服を買うお金をバイトで稼いで...みたいな。
すみた:そうそう、あんまりちゃんと勉強してなくて。そんな感じの学生だったね。
大学院を中退して『WWD』へ
──そして、就職はせずに院に行ったんですよね。
すみた:そう、院に行ったんだけど、そのときに『WWD』を知って。もともと雑誌としては自分も読んでたんだけど。たまたま社員の募集を見かけて、受けたら受かったんだよね。
──すごい...!
すみた:『WWD』はファッション系の出身の人が多い中で、東大卒ってなかなかいなかったから、面白がってくれたんだと思う。あとは、英語の試験が一応あって。その試験だけはめっちゃできたんだよね。
──ベースのポテンシャルが東大レベルだからなあ...。
すみた:「君、英語できるね!」ってなって。別に喋れないんだよ?でも、筆記試験はできちゃったから...。『WWD』ってアメリカに本社があるから、米国の記事や英語の情報もいっぱいあって。「君、翻訳しなさい!」って言われて。だから入社する前にアルバイトでただただ本国の記事を翻訳する仕事をやってた。
──めちゃめちゃ良い経験になりそうですね!英語で入ってくる情報って、日本のずっと先を行ってるわけじゃないですか。
すみた:そうそう。その仕事を何ヶ月かやった後、(まだ院の在学中だったので)「君どうするの?学校まだあるよね?」ってなって。「じゃあ学校辞めるか」って。
──えっ!(笑)
すみた:ファッションやりたかったし。就活しなくてよくなったし!1年生が終わる3月のタイミングで学校は辞めて。新卒と同じタイミングで、新卒として入社した感じ。
──親に何か言われなかったんですか?
すみた:いや、そんなに。というのも、うちって別に勉強できる家庭では全くなくて。そもそも大学に行ってること自体がよく分かってなくて。「やめるよー」って言ったら、「そうかー」って。それで気づいたら『WWD』に入っていて。
──いやー、すごい。そんなすぐにライターになるなんて。
すみた:だから大変だったよ。別に文章やってきたわけじゃないし、理系だし、国語は嫌いだし。
──ライターの募集を見つけるまでは、そういう仕事がしたいと思って探してたんですか?
すみた:いや、全然メディアをやりたいとは思ってなかった。選択肢をそもそも知らなかったから。ファッションだったら、専門に行って服作るとか、服を売るとか、そっちばっかり考えてて。そんなときにひょんなことから、吉岡徳仁さんに会うことがあって、何を思ったのか...相談したんだよね。
──「服の仕事がしたいです」って?
すみた:そうそう。そのときに別に答えを貰ったわけじゃないんだけど、「何が好きなの?デザインするのが好きなの?」とか聞かれながら話してるなかで、服を作ったり売ったりする以外にも色んな選択肢があるんだということが分かって。
それで色々考えてみたら、自分はけっこうミーハーで、みんなが知らない情報を知るのも好きだったし、発信するのも好きだったし、雑誌も読んでたし、「そうか、メディアっていう選択肢もあるのか」と。あとは、すごいやらしい理由なんだけど、「メディアに入ったら、展示会で買い物できるじゃん!」とか。それくらいのふわっとした感じで。
──入ってみて、翻訳ではなくて、ライターとして自分で記事を書いたのはどんな感じでした?
すみた:楽しかったよ。色んなところ行けるし、色んな人に会えるし、それをアウトプットできるし。楽しかったけど...
──なんか悩みがあったんですか?
すみた:全然悩みはなかったんだけど、歴史ある媒体だから、記者さんがみんな大御所というか。キャリアが長い方ばっかりで、それぞれの専門分野が確立されすぎてて。例えば、スポーツ分野だったらこの人は何でも知ってるとか、この人はユニクロを〇〇年追っかけてるとか。そういう人ばっかりだから、急に新卒で入った身としては居場所がなかったの。
それで、みんながあんまりやってなさそうな、苦手なところってなんだろう?って考えたときに、D2Cとかスタートアップっていう分野があって、そういう同世代を取材すればいいや!と思って。そんな風に考え始めたのが、ちょうど辞めるころだね。
──辞めるきっかけはなんかあったんですか?
すみた:きっかけは、ホテルの仕事をしようと思ったから。
──そこでファッション以外のパスが見えてきたんですね。
文章の編集から、肩書きのない仕事へ
すみた:『HOTEL SHE,』を手がける翔子ちゃんと出会って。創業期のころ、まだ本人が自分でプレスリリース書いて、自分のアドレスで送ってきてたの。それをたまたまファックスで見つけて、「誰だこれ?」って思って取材したのがきっかけ。
──すごい!ファックスで見つけたんですね!
すみた:それもたまたまなんだけど。
──PRに関わっているひとりとして、ファックスで知るってすごく嬉しいです。「絶対誰も見てないだろ」と思っていつも送ってるんで。
すみた:『WWD』はやっぱり老舗なので。ファックスがいっぱい届くんですよ。当時は、記事を書きながらも、WEBのディレクションみたいなこともやっていて。
──そのころ確かにWEBに力入れてましたよね。
すみた:そうそう。その時期に、ありがたいことにWEBでどういう企画を出すか、どういう人を出すか、僕と先輩でほとんど作っていた時期があって。その代わりにKPIとしてPVを取らないといけなかったから、とにかくどういう記事がWEBで受けるのかを模索していて。だから他の媒体も見るし、ファックスも見るし、Twitterも、なんでも見てた。
──すごい!
すみた:そんなときに翔子ちゃんと出会って。
──もともとホテルとか場所が好きだったんですか?
すみた:旅行は好きだったけど、別にホテルだからやりたいとかじゃなくて、単純に翔子ちゃんが面白い人だなって思って。何度か取材させてもらっている中で、冊子を作る仕事があったんだけど、それを手伝いません?って言ってくれて。ただ、自分が社員の状態だと副業ができないから、会社の方を辞めるというか、『WWD』との契約を業務委託に切り替えて、フリーランスに転向したっていう。
──その仕事が始まりだったんですね。そこから次も次もという感じで進んでいったんですか?
すみた:そうだね。当時、翔子ちゃんのまわりにはホテルを運営するメンバーはいたけど、俺みたいに外からああだこうだ言う人がいなかったから、色々相談してくれるようになって。「新しいホテル作るんだけど、コンセプトどうかな?」とか。
──前から好きだったけど、すみたくんが関わってから(『HOTEL SHE,』が)めちゃくちゃ変わったイメージあります。
すみた:コンテンツを色々作ったりとか、ホテル自体のPRも含めてコンセプトをちゃんと作って打ち出していくとか、そういうのがハマったんだろうね。
──なるほど。そのときって、会社ではどういうポジションだったんですか?編集?
すみた:え、肩書きも何もないよ(笑)
──会社全体の編集というか、外に見せるストーリーテリングの全てみたいな?
すみた:そうだね、こういう関わりする人もそんなにいなくて。
──珍しいですよね。でも、今後こういう人も増えていくかもしれないですね。編集・出版のキャリアから経営者の隣に立って、ストーリーテリングする人って僕のまわりにも何人かいたりします。
すみた:そうだね、面白い仕事だよね。
──でも、意外とそれって肩書きはないんですよね。広報でもないし。
すみた:そうそう、広報でもないし。一応名刺にはエディターって書いてるけど。それ以外の肩書きはない。
ホテルの仕事以外、全部手放した
──じゃあ一応エディターとして、今も『KUMOI』とか会社の色々を見てるんですね。
すみた:そうだね、とくに専門分野や所属もなく。色々と好き勝手にやってるかな。
──今は、ホテルと...服の仕事はやってるんですか?
すみた:いや、やってないね。コロナになる前は、同世代のスタートアップを何社か同時並行で手伝ってたんだけど。コロナになって、ホテルが全部休館になった時期があって。その時期に「これは今年ホテルちゃんとやらないとヤバイな」と思ったし、「逆にチャンスだな」とも思って。それで、ホテル以外の仕事全部辞めたの。
──すごい。
すみた:それまでは色々分散して手伝ってたんだけど、時間かけた方がいいなと思って。もともとホテルは週1だったんですけど、週5に振り切ろうって思って。
──それは他の案件が止まったとかじゃなくて、自分の意思で?
すみた:そう、本当にすみませんって感じだけど...でも他の会社がコロナの影響で大変という感じでもなかったし、抜けてどうこうってなるわけじゃなくて、全部ちゃんと引き継いで。翔子ちゃんに言うとプレッシャーになるから言ってないけど。
──当時、すみたくんが色々仕掛けてるなって確かに思ってました。コロナの中でも色んなチャレンジしてて、会社としてもすごく愛されてるなって、こういう仕事できるのかっこいいなって思って見てましたけど、裏側にはそんなドラマがあったんですね。愛ですね。
すみた:愛だねー。僕一人じゃなくて、みんなね。
怖いけど、会社員を辞めたあとの方が心地良かった。
える:これからはどんなことがしたいの?
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