絶望と希望、
笑ってしまうくらい理解できない、
笑えないくらい信じられない、
あの祭典が迫っているせいなのか、
誰かの発言やニュースに翻弄される、
この国や世界に絶望してしまう瞬間が増えたような気がする、
最近。
先日とても身近にあった話で、
それが僕に気づかせてくれたことを書き留めておく。
書き手:キルタ(Flat Share Magazine)
僕にとってとても身近な存在で、おじさんと慕う人がいる。
その人が、1歳になった娘に会いに訪れた。
僕と妻と、娘もご機嫌で、楽しい時間を過ごした。
その日、彼は良かれと思ってか、こんな事を言っていた。
「こんなに愛嬌の良い子で、毎日イライラすることなんてないでしょ」
そうすねー(笑)と受け流してしまったが、
その後、妻ともその発言について一瞬絶望していたことを確かめ合った。
毎日イライラすることだってあるし、心から幸せだなと思う瞬間もある。普段外に出ていて、育児も家事もまだまだな僕には到底わからない感情が、妻にはもっとある。
その件で、おじさんの事を嫌いになることはない。
おじさんの家庭は、俗に言う亭主関白な家庭環境であることを知っている。
奥さんも専業主婦で、一家の大黒柱として家事も育児もほとんどせずに過ごしてきた、そうゆう世代の、そういうおじさんだった。
だからむしろ、その発言も仕方ないなと感じてしまった。
そして、彼は今、
ある公的組織の代表にあたる役職を勤めている。
僕の家だから、まだ良かったかもしれない。
例えば、これが公の場で
「専業主婦は毎日子どもといられるんだから、イライラすることなんてないでしょ」なんて発言をしてしまっていれば... 言うまでもなく、世間は燃え上がるだろう。
ああ、こういうことなのかもしれない。
このもっと先に、政治家や企業の代表、あの祭典に絡んでいる人たちがいるのかもしれない。そう感じた。
理解の無い発言が、様々な議論を起こしているが、
それらすべてを仕方ないと言いたい訳ではなく、彼らだけが、上の世代だけが、悪いわけではないと思った。
というか、誰が悪いとかいう話でもない気もする。
亭主関白という言葉は知っているように、
昭和と言われる時代は、昔のTV番組では、
今では考えられない表現や発言が当たり前とされていたことを知っている。
男は仕事、女は家事、だったのかもしれないし、
割とどこでも、普通にタバコが吸えたらしい。
時代と共に、価値観も生活様式も、世間の当たり前は変わる。
それはわかっていても、世代が違えば、理解できないことだってある。
でも、理解し合おうとすることは、もっとできる。
遅れているとか、老害とか、
上の世代のせいにするばかりでは何も解決できない。
というか、僕らの世代も歳をとった時に、そうなり得てしまうかもしれない。
もちろん世代は違っても、
同じ価値観やマインドで対話できる人がいることを知っているし、
だからこそもっと理解し合えると思う。
ただ、お互いの、コミュニケーションが足りないだけで。
対話しようという気持ちが、足りないだけなのかもしれない。
発言が、発言者が、悪ではない。
批判や軽蔑など、攻撃だけが飛び交っている状態がとても嫌いだ。
勇気あるひとつの発言が、意識や行動を変えることはわかってはいるけど、
誰かが誰かを晒しあげ、
その誰かを話題に、強い言葉ばかりがぶつかり合っているのは、
違う気がする。
決して上の世代が憎い訳ではない、嫌いな訳ではない、
なぜ分からないのか、
理解できないような発言をしてしまう、その価値観が理解できない、
わかってほしい、変わってほしい、
なぜ、僕らの声は上の世代に届かないのか。
そういえば、そんな想いで、本を作ったことがあった...
2年前、yutori が起業した当時、PRを手伝っていた頃だ。
「ゆとり」という言葉自体はポジティブな意味を持っている。そもそも世間一般的にネガティブな印象になってしまった要因でもある「ゆとり教育」は、そういったポジティブな意味を込められて名付けられたはずだ。けれど上の世代は、自分たちの過去の誤ちかのように、その言葉の意味をひっくり返して、僕らの世代をまるごと、その言葉ひとつでネガティブに捉えてもいる。
当時 yutori の片石と、何度か取材をしてくれていたライターのすみたくんと共に話してたのは、別に僕らは上の世代と戦いたいわけでもなければ、マウントをとろうとしているわけでも、批判しているわけでもないということ。というかむしろ、もっと僕らの価値観を理解してほしいという寄り添いたい想いや願いがあった。「ゆとり」という言葉だけに、上の世代が書く記事も脅威や若い尖った奴らと揶揄されることが多いからこそ、僕らはそうではないという意思とスタンスを表明していこうと、PR戦略を練っていた。
そんな話をしている中で、
WEB記事ではなく活字に残す意味があるのではないかと、『新・ゆとり論』プロジェクトが生まれた。
この本の中身は現在、全文公開しているので是非読んでみてほしい。
当時願っていたことを、改めて思い出した。
毎日SNSで眺める言葉のせいで、僕も少し忘れていたのかもしれない。
身近なおじさんの絶望的な発言が、気づかせてくれた希望。
誰かが悪いわけではない、
誰もが、それを誰かのせいにしないことが大切だ。
国や世界の先っちょで起きていることは、
実はめちゃくちゃ身近なところから、そこに続いているんだなと感じた。
そんな話でした。
Photo by Kazuki Takahashi
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