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怠惰を飼い慣らすデザイナー | タカヤ・オオタ


『Mr. CHEESECAKE』『青山ブックセンター』『明け方の若者たち』

... 彼を知らない人でも、彼が手掛けた数々のロゴやブランドデザインを見かけたことがある人は多いだろう。

そのブランドが何者で、どこを目指すのか。企業のアイデンティを掘り起こし、デザインとして形づくるデザイナーとして知られるタカヤ・オオタ。


「僕は怠惰な人間なので」
と言う。

だからこそ、制作環境はしっかり整える。
クライアントとの均整の取れた関係性。十分な制作時間の確保。
そして、手を動かす期間はカチっと区切る。自分自身を理解した上で組まれたマイ・ルールたち。

怠惰はしっかりと飼い慣らされて、
むしろ自律のための装置になっていた。

すべてての怠惰なクリエイターへ届けたい、
とある日の『Flat Share Magazine』。

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タカヤ・オオタ
DESIGNER / ArtDirector
1989年沖縄県生まれ。立教大学経営学部卒業後、株式会社 monopo 入社。コーポレート・アイデンティティから Web デザインまで幅広いクライアントワークを担当。2016年に株式会社ペロリのアートディレクタを経て、2017年独立。スタートアップ企業と協業しアイデンティティ・デザインの設計・制作に従事する。
聞き手:キルタ(Flat Share Magazine)
書き手:はし かよこ


ようこそ、タカヤ・オオタさん。

タカヤ・オオタ(以下、タカヤ):デザイナーをやっていて、「kern」という個人事務所をやりつつ、『Mr. CHEESECAKE(以下、ミスチ)』というブランドのアートディレクターなども担当しています。

──自己紹介するときって、肩書きはデザイナーって言うんですか?

タカヤ:デザイナーって言いますね。

──アートディレクターというか、クリエイティブディレクターみたいなイメージがありました。

タカヤ:僕ディレクションがめちゃくちゃ苦手なんですよ。ディレクターって名乗ると人に作ってもらうことができねばならない、というイメージがあるから、自分はディレクターではないなって。

──今まで作ってきたVIもsべて自分が手を動かしてる感じですよね?

タカヤ:そうですね。人にお願いをするのができないんですよ。

──改めてですけど、キャリアはデザイナーがスタートなんでしたっけ?

タカヤ:キャリア的には、普通の4年制大学の新卒からのデザイナーです。


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就活しそびれ、デザイナーにはなれないと思った

タカヤ:大学の時にデザインを始めて、自主制作的にやっていたのがめちゃくちゃ楽しくてハマってたら、就活の時期を逃してしまって。

──3年から4年になるくらいの時期ですか?

タカヤ:就活がいつ始まるのかすら分かってなくて。デザイン事務所でインターンをしてたので、僕の中の就活のイメージって、事前にWEBで申し込むとかではなくて、行きたいところに行って直接面談する感じだったんですね。

──当時は、インターンとしてお仕事をされてたんですね。

タカヤ:本当に雑用みたいな感じで、お手伝い程度ですけど。

──そこでデザインの基礎は学んだ感じですか?

タカヤ:そうかもしれないですね。大学ではフリーマガジンとかを作ってたんですけど、デザイン事務所ではWEBのバナーとかLPの素材を作っていて、全然毛色が違くて。

──いわゆるWEBデザインもやってたんですね。

タカヤ:やってましたね。フリーマガジンの制作はお金との結びつきがイメージできてなかったんですけど、事務所での制作を通して、こういうデザインが社会に出るとお金になるんだというイメージはしました。

──で、そこで働きながら、就活のタイミングを逃し...。

タカヤ:「デザイナーになれば?」とか言われたんですけど、当時は、博報堂とか電通とか大手の広告代理店に行かないと“社会人としてのデザイナー”にはなれないと思っていて。「もうなれなくない?」って。

──なるほど、もう時期を逃してしまっていたから。

タカヤ:どうしたらいいんだろう?っていう時期が1年くらいあって。4年生の真ん中くらいの時に『monopo』さんでインターンを始めました。

──どういう関わりで始まったんですか?

タカヤ:宮川さん(編集注:『monopo』のディレクター)が大学の先輩で、誘ってくれて。大学の最後の1年は『monopo』でインターンをして、そこから転がるように入社しましたね。WEBデザインがメインですけど、来たものは何でも受けるというスタンスで働きはじめました。

──『monopo』は大手の代理店というより、知る人ぞ知るクリエイティブエージェンシーという感じでしたけど、当時はどういう気持ちだったんですか?

タカヤ:当時は数年後自分がどうなってるとか考えたことがなくて、「毎日デザインやれて楽しいなー」っていう。まだ若かったんで、辛いのも楽しいというか。「自分がこれからこの会社の主力デザイナーにならねば!」と、若き闘争心を燃やして働いてたので、楽しかったですよ。

──そこから別の場所に移るきっかけは何かあったんですか?

タカヤ:次に行ったのが、現在の『株式会社MERY(以下、MERY)』というところなんですけど、もともと『monopo』のクライアントで。それまではいろんな種類のデザインを雑多にやってたんですけど、その中でもこの方向性が自分はより楽しいかも?っていうのが見てきたタイミングで『MERY』の案件が来て。


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クライアントの気持ちを知りたくて転職

──『MERY』が色々あった後(編集注:2016年11月に発生した一連のキュレーションメディア騒動。『MERY』は一時全記事非公開に追い込まれた。)の、新しく再出動する時のロゴを手掛けたんですか?

タカヤ:いや、そのときはすごく順風満帆なときで、さらにアクセルを踏んでマスに向けて広告を打っていく手前でちゃんとブランドの土台を整えたいっていう相談だったんです。そのブランド整備の仕事を終えて、そのまま『MERY』に転職したんですよ。

──じゃあ色々あった時には『MERY』の中にいたんですね。

タカヤ:そうです。デザイン事務所で働いてた中で「なんでクライアントはこういう要件を作るんだろう?」「誰がこういう意思決定してるんだろう?」って疑問に思う場面が多々あって。それで、クライアントがどういう意思決定してるのか知りたいなって思ったから、事業会社に転職して、裏側を知ろうと思ったんです。

──すごい本質的な転職。そういう想いだったんですね。事業会社側のクリエイティブ責任者みたいなポジションですか?

タカヤ:デザイン事務所で働いてた時に僕が「イケスカねえな」って思ってた要件整理側に行ったって感じですね。広告を出稿するにしても、代理店にお願いする前にどういうものを作りたいのかを整理するというか。

──最初に苦手と言ってたディレクションする側になるわけですよね。やってみてどうでしたか?

タカヤ:言い方を濁すと、自分は手を動かす方が楽しいなって改めて認識した期間でしたね。

──上がってきた納品物に対して満足いかない部分があった?

タカヤ:いや、上がってきたものはめちゃくちゃすごくて、「こんなもの作れるんだ!」って。僕は『monopo』にいた時は撮影現場には行かなかったので、素材を作るところに行けるっていうのは良い経験だったんですけど、その素材を作るのは自分じゃなくて、カメラマンさんとか美術さんとか、監督も代理店側にいるわけじゃないですか。

だから自分が作ってるわけじゃないなって。その立場を軽んじるわけではないですけど、自分はあんまり面白くないなって思いましたね。

──なるほど。確かに事業会社のクリエイティブって、どちらかというとマーケティング寄りのクリエイティブっていう感じですよね。

タカヤ:それでちょっとモヤモヤしてる時に、“キュレーションメディア事件”が起きて。1,2年後くらいを見据えて準備してたものが全部出せなくなりました。

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キュレーションメディア事件の渦中で決めた独立

──当時ってどういう感じだったんですか?

タカヤ:最初はそこまで深刻に考えてはなくて...しばらくしたら落ち着くんじゃないかなって思ってたんですけど、全然落ち着く気配がなく。オフィスには行くけど、今までみたいに来週出すものはこれっていうのがない状態が3~4ヶ月くらいずっと続いて。

最初の1ヶ月は、それまでがすごく忙しかったから「休めるわー」って感じだったけど、2~3ヶ月経つと「何やってるんだろう自分は...?」って。

──心配になってきますよね。

タカヤ:当時まだ26,7歳とかなので、同世代はこの期間にめちゃくちゃ進んでて、自分は今日も お菓子を食ってるだけだ...みたいな。

──頭角を表す世代ですもんね。そこで自分の居場所も改めて考えたりしたんですか?

タカヤ:そうですね。当時は、楽観というと語弊がありますけど「いつかは再開できるだろう」っていうのが全体としての見通しだったんですけど、徐々にトーンダウンしていって、「これは厳しいかもね」という空気になってきて。そこで真剣に自分の将来の方を優先して、今の自分の事務所というか、いったん個人事業主になって。

──なるほど。転職ではなくて、独立。

タカヤ:そのときも悩んだんですけど...。言い方ちょっと悪いかもしれないですけど、事業会社ってデザイン事務所と比べると楽だったんですよ。徹夜もないし。クライアントもいないし、無理難題押し付けられないし。すごく良い環境だったので、もうデザイン事務所には戻れないなってなっちゃって。『monopo』で働いてたときは、変な要件突きつけられるとかはなかったですけど。事業会社では給料もババっと上がったんで。

──キャリア的には戻れない状態ですもんね。

タカヤ:とはいえ、他の事業会社で働きたいモチベーションもなくて。じゃあいったん独立するか...みたいな。

──すごい。そのとき個人として受ける仕事が既にある状態で辞めたんですか?

タカヤ:いや、なくて。辞めたら覚悟決まるだろって思って。

──すごい!僕も辞めたばっかりですけど...すごいですね。怖くないですか?

タカヤ:辞めるにあたって大きい決心をしたというより、今の会社にいて将来のイメージも沸かないし、このままデザインできないのは辛いなっていう感じで、流れるままに。だから基本的に学生時代から計画性がなさすぎるんですよね。


スタートラインに立つ企業と


──個人で最初に仕事を受け始めたのはロゴ制作がメインですか?

タカヤ:『monopo』にいたときも、後半からWEBの案件の比率が下がって、今やってるコーポレートアイデンティティやロゴの仕事が増えてたんですよ。で、事業会社に入って、そういうものがブランドとしてどう扱われるのかがより分かったので、手広くいろんなことをやるよりも、自分が積み上げてきたことをベースに売り出してみようという感じでした。

──一番最初のお仕事はなんだったんですか?

タカヤ:『MERY』を辞めた数ヶ月後に担当したのが、『PKSHA Technology』というアルゴリズムの会社と家入一真さんがやってた『polca』というサービス。その2つが最初のクライアントでした。

──最初からすごいイケてるクライアントというか、大きいところと仕事をしていましたよね。

タカヤ:特に、最初のパートナーはすごく大事だなと思った。

──なるほど。何でもやるわけじゃないというか。今もその2つはポートフォリオに載ってますもんね。そこからケルン社になるまでどれくらいあったんでしたっけ?

タカヤ:1年くらいですかね。ケルンっていう社名になったのは2年後ですけど、1年後に法人成りをして。

──社名が変わるまでの間に『ミスチ』とか、カツセマサヒコさんの本を手掛けた感じですか?

タカヤ:『ミスチ』は一昨年からですけど、カツセさんは去年ですし、意外と皆さんにお声がけしていただくのは最近になって増えたなっていう印象です。

──この仕事がきっかけで見られ方が変わったなあとかってありますか?

タカヤ:いや、あんまりこの仕事をしたからフォロワーや仕事が増えたとかはなくて。すごく淡々としてるというか。

──僕がはじめてタカヤさんを知ったのは『MERY』のロゴかなあ。あれだけのことがあってからロゴを変えるから、誰が手掛けたんだろう?って。そのあと立て続けに、『アル』とか『polca』とか『giftee』のお仕事をTwitterで見かけて。これは普通じゃない人だなと。

タカヤ:たしかに、キルタさんみたいにひとつの仕事というよりは、例えば『ミスチ』をやってたと思ったら『青山ブックセンター』もやってるとか。そういう言われ方をすることが多いかもしれないですね。

──そうだ、『青山ブックセンター』もやられてましたよね!すごい。

タカヤ:僕は運がいいんですよね。営業をやらないので。

──そうですよね、取ってきてるわけじゃないですもんね。手掛けたお仕事を見たら頼みたくなりますよ。

タカヤ:ありがたいです。

初めてやったお仕事の『PKSHA Technology』さんも、その後マザーズに上場したんですけど、『giftee』さんも、カツセさんもそうですし、共通しているのは、クライアントさんが何か新しいスタートラインに立つときにお仕事をいただくことがすごく多いですね。

──それはもう偶然ですか?

タカヤ:偶然ですね。

カツセさんが初めて出す本で、めっちゃ変なデザインやったら一生残るじゃんって思うと、スベれないなって思うし、自分にとっても頑張れる役所なので、ありがたいなと思ってます。

──タカヤさんのお仕事って、ただのロゴではなく、本当にブランドの資産というか、顔というか、それがあってのブランドになってるじゃないですか。普通にVIデザインしてる人とは生み出し方が違うのかなって今聞いてて思って。どういうスタイルで制作されてるんですか?

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喉から手が出るほど欲しい案件でも、断る


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